MUSANISTA -活動日誌-

サッカー部 MUSANISTA #148 『 部活再開まで秒読み 』

 月曜日、火曜日で令和3年度埼玉県公立高校入学者選抜学力検査の採点が実施され、今日から在校生は再び学年末考査の後半戦が始まりました。残りはあと明日を残すのみ。年度を締めくくる考査として、最後まで精一杯取り組んでくれることを期待します。
 考査が終わればすぐに、延びに延びてしまった新人戦がついに始まります。緊急事態宣言はまだ明けていませんが、3/14(日)に予定している大会まで、すでに2週間を切っています。明日で学年末考査が終了するので、サッカー部はさっそく明日から部活を再開する予定です。実に一か月ぶりとなるサッカー部の活動。新人戦に向けて、フルスロットルで準備してまいります。新型コロナウイルス感染予防のため、観戦・応援が認められていませんが、結果はHPでお知らせいたしますので、結果を楽しみにしていてください。いい結果をお伝えできるよう、選手・スタッフ一同全力を尽くしてまいります。


 さて、今日3月3日といえば、「ひな祭り」です。少しひな祭りについて調べてみたので紹介します。

≪3月3日のひな祭りの起源とは?≫
 西暦300年ごろの古代中国で、「上巳節(じょうしせつ・じょうみせつ)」という区切りがありました。もともと上巳(じょうし・じょうみ)とは、旧暦3月の最初の「巳の日」のことでしたが、年により日がずれるために3月3日に定められました。春を寿ぎ(ことほぎ)、無病息災を願う行事として定着していたようです。ちょうど季節の変わり目であるこの頃は体調を崩しやすく、邪気が入らないようにと沐浴して禊(みそぎ)をしたりしていました。日本へは遣唐使が上巳節を伝え、宮中行事として取り入れらたところから始まりました。

 穢れを払う意味合いで、紙や薬草で作った「ひとがた」で体を撫で祓い、穢れを移した「ひとがた」を川や海に流すようになりました。現在でも地方によっては「流しびな」などの形で残っている場合がありますね。

 

≪ひな祭りは平安時代のおままごとだった?≫
 平安時代になると、宮中や貴族の子どもの間で人形遊び(ままごと)が流行になりました。ままごとは「飯事」と書き、ご飯を食べるところやお祭りの情景などを紙人形で再現して遊ぶ、ということが現在のおままごとの起源とする説も。この遊びを、飯事という言葉とは別に「小さい、かわいらしい」「大きいものを小さくする」という意味の「雛」「ひいな」という言葉を用いて「ひいな遊び」「ひいな人形」と呼ばれました。

 やがて「ひいな遊び」が武家社会まで広がると、5月5日が男の子の節句であることの対として、3月3日は女の子の節句として浸透していきました。またそのころ開花時期の花である桃は、古代中国から邪気を払う神聖な樹木、花として大切にされてきました。実は食べると不老不死の仙人になれるとか、花も邪気を払うと言われていました。葉もまた漢方薬などに利用されてきたため、桃の花を飾ったり、室町時代には桃の花を浮かべた桃花酒というお酒が飲まれていました。このお酒は、飲むと顔色がよくなったり、体の悪い所を持って行ってくれたりするなどの効果があると信じられていたのです。

 人形を作る技術が発展するに伴い、ひな人形は流すものから飾るものへと変化を遂げました。江戸時代初期には男女一対の人形にお供えする行事食のみだったものが、わずか100年ほどの間に、7段飾りなどの豪華なひな人形が出てきたのです。一対の人形だけだったものが、お供が増え、お道具が増えていきました。当時、名のある大名は女の子が生まれたらすぐに雛道具の準備に取り掛かったと言われています。それらは本物の牛車や籠、漆器などを再現したミニチュアで、ひな祭りの日はそのお道具を使っておままごと遊びをしたと言われています。上巳の節に子供の健康や厄払いを男女一対の人形に託したところから発展していったのですね。

出典:Webサイト『LOVEGREEN』
https://lovegreen.net/botanicallife/p77608/

 このように行事の歴史に触れてみると、いろいろと感じるところがありますね。まさに今の「新型コロナウイルス感染症」の流行の状態に直面すると、「ひな祭り」の起源にあやかって、「穢れを払」ってほしいものですね。みなさんも、油断せず、新型コロナウイルス感染症対策に取り組んでいきましょう。

サッカー部 MUSANISTA #147 『 2021シーズン到来 』

 2月26日(金)令和3年度埼玉県公立高校入学者選抜学力検査が実施されました。本校では、面接試験は実施していない為、試験はこれで終了です。本校を志望して受検を終えた中学生たちは、今どんな気持ちなのでしょうか。倍率を見ると1.04倍でしたので合格率が100%というわけにはいきません。前回のブログにあるように今は「天命を待つ」のみというところでしょうか。合格発表は、およそ一週間後の3月8日(月)です。4月から共に大宮武蔵野高校で生活していける事を楽しみにしています。

 さて、国内サッカーの方は昨日、Jリーグ発足29年目となる2021年シーズンが開幕しました。昨年、開幕直前に猛威を振るった新型コロナウイルスの影響は未だに終息せず、緊急事態宣言も解かれぬ状況下でのリーグ開始となったことには不安もありますが、あれから一年が経過しても収まりきらないこのウイルスの感染力にはわずかな恐怖も覚えます。今月28日には対象地域の10都府県のうち首都圏を除く6つの府県で緊急事態宣言が解除され、首都圏の1都3県については、感染状況や医療提供体制の状況を見て解除の方針を決めるとされています。予定通りにいけば3月8日には解除されますが、懸念されている感染のリバウンドや感染拡大の第4波が現われない為にも、競技者・観戦者・運営者など、サッカーに携わる人たち全体で感染拡大防止に努めていかなければいけないんだろうと思います。

 FC MUSASHINOは、高校入試業務の為にわずかな休止期間を挟み、来週半ばから再び学年末考査の後半戦が始まります。そして、考査が終わればいよいよ新人戦一週間前になります。大会を目前にしての延期措置、及び部活動中止から約2ヶ月もの間、どのチームもどの選手もここまでコンディショニングやモチベーションを維持して来るのは大変なことだったでしょう。ですが、もう少しでまたサッカーが出来るようになると思うと…ワクワクしてきます。長い間、ブカツを中止してきましたが、私たちもいよいよ2021年シーズンの再開幕です。

 

【本日のJ1リーグ開幕戦一覧】

<2月26日(金)> 

  川崎フロンターレ  vs 横浜F・マリノス 2-0で川崎フロンターレの勝利

<本 日> 

  コンサドーレ札幌  vs  横浜FC 14:00 札幌ドーム

  浦和レッズ     vs  FC東京 14:00 埼玉スタジアム

  サンフレッチェ広島 vs  ベガルタ仙台 14:00 エディオンスタジアム

  大分トリニータ   vs  徳島ヴォルティス 14:00 昭和電工ドーム

  鹿島アントラーズ  vs  清水エスパルス 15:00 カシマスタジアム

  湘南ベルマーレ   vs  サガン鳥栖 15:00 レモンガススタジアム

  セレッソ大阪    vs  柏レイソル 16:00 ヤンマースタジアム

  ヴィッセル神戸   vs  ガンバ大阪 17:00 ノエビアスタジアム

 

 

サッカー部 MUSANISTA #146 『 Do your best and leave the rest to Providence 』

 ついに、明日で学年末考査一週間前となります。一年生にとっては初めての学年末考査。学年末考査はやはり、他の考査とは違った意味合いを持ってきます。
 それは、学年の成績が決まる点です。1・2学期の成績は10段階で出ますが、3学期は学年を通した成績が5段階で出ます。この一回の考査によって、5段階の成績が1あがったり1下がったりする可能性もある大切な考査なのです。しかも、ここで決まってしまった「評定」は、その後いくら勉強を頑張っても塗り替えることはできません。まさに、「今」がやるべき時なのです。部員には、「今がやるべき時だ」ということを十分に伝え、ブカツができない分しっかりと取り組むよう伝えています。

 また、これを見てくださっている、受験生にとってはいよいよ入試が10日後に迫っていますね。残り少ない日数ですが、以下のことを確認しましょう。

① 体調第一。新型コロナウイルス感染症、インフルエンザ対策はもちろん、きちんと睡眠をとり、生活リズムを整えよう。

② ラストスパート、苦手な教科こそ追い込みを。得意教科だけではなく、苦手教科にも取り組もう。得点の伸びしろが多い教科に追い込みを!

③ 当日の準備をしっかりと。試験当日にもっていくもの、試験当日の検査場所の確認をしておこう。当日は時間に余裕をもって行動するように心がけよう。

 受験生全員が、自分の全力を発揮し、実力通りの結果を得られることを願っています。4月、学校でお会いできることを、サッカー部でお会いできることを楽しみにしています。

 Do your best and leave the rest to Providence
(人事を尽くして天命を待つ)

サッカー部 MUSANISTA #145 『 ココロは熱くアタマは冷静に 』

 今日は「イライラ」について書きたいと思います。私も決して気が長い方ではありません。若い頃はそれでもまだ我慢出来ていたと思いますが、歳を重ねるうちに段々と我慢が弱くなっている様な気がします。これを読まれている方の中にも「すぐにイライラしてしまう」「人よりもイライラしやすい」という方もいるかもしれません。ですが、事にサッカー(スポーツ)の世界の話になれば、「イライラしながら」プレーする事や「イライラしやすい」性質というのはマイナス面でしかありません。表題にもあるようにどうしたらその「イライラ」を「良いパワー」に変換できるのでしょう。ひとつの参考になればと思います。

 まずは、「イライラしやすい人の特徴」を見てみましょう。この中に自分自身の事で当てはまるものがありますか。

1.キャパシティーが乏しい ちょっとしたことですぐにいっぱいいっぱいになったり、八つ当たりをしたり…。キャパシティが少ない人は、イライラしがちかもしれません。誰しもイライラしてしまう瞬間はありますが、それを理不尽に他の人にぶつけてしまうとしたら、あまり良いことではありません。

2.思い込みが激しい

 相手の立場や考え方を理解できずに、自分の視点しか持てない人は、言動に思いやりが持てないでしょう。そうしてそういった人は、自分の思い込みで突っ走ってしまう傾向があると言えます。心理カウンセラーの吉野麻衣子氏は「視野・視座・視点が狭く低く浅い上に、物事が客観視できず、相手の立場にも立つことができないため、周りを見ずに自分の思い込みで一方的に突っ走ってしまう傾向があります」と話しています。イライラしやすい人は、他の人の立場から物事を見るのが苦手な人が多いのかもしれません。

3.完璧主義

 責任感があり妥協をしない真摯な性格の人は、完璧を求めすぎてしまうゆえ、他の人の意識の低さやいい加減な態度にイライラを感じやすいと言われています。いつでもプロ意識を持って丁寧に取り組む姿勢は素晴らしいですが、妥協のできない完璧主義者は同時にイライラも感じやすくなってしまう可能性もあります。

4.精神的余裕がない

 人は余裕がないとき、ちょっとしたトラブルや問題に対してすぐに怒りをぶつけがち。余裕がなくなると、目の前の出来事だけに気持ちが傾いてしまうため、周囲の声も届きにくい傾向にあります。また、時間に追われているときも焦りが出て気持ちに余裕が持てなくなってしまうものです。

5.人に頼るのが苦手

 人に仕事を任せたり、大変なときに人に頼ったりすることができない人も、イライラしやすい傾向にあります。仕事ができないと思われるのが嫌で、周りの人に悩みや相談ができず、一人で抱え込んでしまいます。また、自分でやった方が早いと思って、一人でたくさんの仕事を背負ってしまっている場合も多々あるかもしれません。

 

 いかがでしたか。私は…やはり思い当たるものがいくつかありました(笑)では、続いて対処法についてです。

<イライラしやすい人の対処法>

①リラックスする時間を設ける

 一般的に、日頃から適度にリラックスする時間を設けることは、自律神経のバランスを整え、イライラや不安を和らげることができると期待されています。ストレスや緊張を抱えることが多いと、自律神経のバランスが乱れて交感神経が優位になります。するとイライラや不眠、肩こり、頭痛など、精神的にも体的にも体調を崩しやすいと言われています。そのイライラはもしかしたら、自律神経のバランスが崩れたことで起きている可能性もあります。意識的にリラックスする時間を作る努力をしてみましょう。

②物事の良いところに目を向ける

 物事を考えるときに、ポジティブに締めくくることで、嫌な感情を和らげることができます。例えば嫌なことがあったときに、「最悪だった」で終わると、ネガティブな感情だけが強く残ってしまいますが、「最悪だったけれど、△△は良かった」とポジティブに締めくくることができれば、その都度イライラせずにいい面にも目が向くようになります。人はネガティブになっているときほど、他人の欠点や物事の理不尽さに目がつきやすくなるもの。人の長所や物事の良かったところに視点を変えることができれば、ネガティブな思考に頭を支配されることは少なくなるはずです。

③冷静に本質を考える

 思わずイライラを人にぶつけてしまいそうになったら、一旦落ち着いて状況を見つめ直してみましょう。心理カウンセラーの吉野さんによれば、その時の怒りに任せず、一瞬冷静になる時間を作るべきだと言います。「苛立ったときは怒りに任せず、『なぜ苛立ってしまったのか、どうしたら良かったのか、自分はどうして欲しいのか』などを考えてみましょう。その場の感情で動くのではなく、一瞬立ち止まって冷静になり、物事や自分の感情に対してロジカルに考えるようにしてみてください」

④自分にゆとりを持つ

 家庭でも学校でも、あまりに忙しいときは思わず余裕をなくしてしまう瞬間もあるはずです。でもそんなときだからこそ、落ち着いて物事をシンプルに捉える努力をしてみましょう。「多忙過ぎて限界と思うときこそ、深呼吸をし、冷静になって自身の気持ちを落ち着けてください。物事はどんな難解に思えるものでも実はいたって単純。その単純さが重なって複雑になっているため、落ち着いてゆとりを持って解きほどいてみてください」

⑤自分がイライラしやすい状況を分析する

 心療内科医の田中茉里栄さんによると、自分がどういった状況でイラッとしやすいかを分析することで、前もった対応策を講じられると言います。「私の場合は急患が入っていつもより疲れて帰ってきたときには、明らかにいつもよりイライラしやすくなっているなと感じます。そんなときにはあえて家事はせず、デリバリーを取ったり、お風呂に入ってすぐに寝てしまうようにしています。自分のイライラしやすい状況を分析することで、前もって対応策を講じることができたり、自分がイライラしているという自覚をもつことで『今余裕がない、手伝ってくれる?』と周りに助けを求めるという選択肢もできるでしょう。」(田中氏)イライラしてしまう原因を前もって分析し、対応策を用意しておけば、周りや自分自身に当たることもなく冷静にやり過ごすことができるかもしれません。

 

<イライラや怒りが生じた時のその場での対処法>

①ゆったりとした呼吸を意識する

 ネガティブな感情から脱するためには、深く息を吸い込み、体全体に酸素を行き渡らせるイメージをしながら吐き出す呼吸がおすすめです。 新鮮な酸素が体内に取り込まれると、イライラによって疲れた脳もリフレッシュしやすくなります。また呼吸には、「息を吸うこと」と「吐くこと」に意識を集中させることで、怒りの原因から一時的に距離を置けるメリットもあります。

②6秒間数える

 人間の怒りをコントロールするアンガーマネジメントによると、怒りのピークは6秒で終わるそうです。 これは、神経伝達物質のノルアドレナリンによって生じる興奮状態が、体内をめぐって落ち着くまでに6秒かかるメカニズムに関係しています。 ですから、何らかの嫌なことで怒りが湧き上がりそうになったら、その場ですぐに反論するのではなく、意識の中で6秒カウントしてみてください。こうした意識をすることで、イライラによる人間関係の悪化なども防ぎやすくなります。

③タッピングを行う

 タッピングとは、精神医学の分野でも使われる手法です。指の先で手の甲や肩などの皮膚に触覚・圧覚刺激を与えていくと、気持ちが開放されやすくなると言われています。※これは、あまりオススメしません。

④状況を面白いものに転換する

 イライラや怒りが生じやすい人は、人間関係トラブルなどに対して自分を責めたり、被害者意識を持ちやすかったりする傾向があります。この癖に気づいたときには、自分にストレスを与える状況を敢えて面白がるという考え方に挑戦してみるのもおすすめです。 面白がれるようになると、自分の個性や能力の低さを責めてしまうこともなくなります。また、不快な状況を面白がれるだけの精神的余裕があると、ストレスを恐れず新たな挑戦などもしやすくなるでしょう。

⑤「4マス整理」を実践する

 イライラなどのネガティブな感情が多い人は、「その問題が重要か?否か?」と「自力でコントロールできるか?できないか?」で気持ちの棚卸しをする4マス整理を行ってみましょう。 この作業を実践すると、さまざまな怒りに対して「自分がコントロール可能で、重要度が高いものだけ対処すれば良い」という結論を出しやすくなると思います。また、4マス整理で「重要度が低い」とわかったイライラ対象は、状況を面白がる方向で対処をしても良いでしょう。

 

 いかがでしたか。あくまでも一般論ですので「自分に合わない」とか「なんか違う」ということもあると思います。それぞれで自分に合った改善方法を身に着けてもらうための参考にという意味で書いてみました。

 今は、部活として身体(フィジカル面やテクニック)を鍛えることはなかなか難しい状況です。ですが、脳(=メンタル面)は個々人の心の持ちようでいくらでも鍛えられます。以前のブログにもありますが、「これをチャンスと捉えて」是非取り組んで欲しいと思います。どんな場面でも「いつも通り」やることがどれだけ難しいことか。全集中も、精神コントロールも、息使いがポイント…なのかもしれません。

サッカー部 MUSANISTA #144 『 気持ち一新 』

 高校入試・大学入試が近づいてきました。あちこちで新型コロナウイルス感染症対策が叫ばれる中、東京都の新規感染者数の1週間平均が「500人以下」と、緊急事態宣言解除の基準の一つをクリアした形となりました。一方で、「検査の基準が変化した」という声や「検査数が減っている」という話もあり、実際のところはよく分かりません。いずれにせよ、油断することなく新型コロナウイルス感染症の「終息」まで、対策を続けていくしかありません。今日は、こんなニュースがありました。

緊急事態宣言、10都府県は継続必要 医療体制厳しい=西村再生相

 西村康稔経済再生相は12日開催された基本的対処方針等諮問委員会で、新型コロナウイルス感染拡大防止のため緊急事態宣言が発令されている10都府県について、新規陽性者数は減少傾向にあるものの、医療提供体制は引き続き厳しいとして、宣言の継続が必要と述べた。
 緊急事態宣言の期限は3月7日。政府は新規感染が減少傾向にあった岐阜県・愛知県を中心に宣言を解除し、13日施行される改正特措法に盛り込まれた「まん延防止等重点措置」の対象に移行する検討していたが、見送った格好だ。
 西村氏は感染状況を示す指標で2番目に深刻な「ステージ3」の段階では、「まん延防止等重点措置の対象になる」と述べ、緊急事態宣言の対象地域の段階的解除で適用する方針を示唆した。まん延防止等重点措置では、緊急事態宣言と異なり対象地域を市町村などに限定できる。飲食店に営業時間短縮を命令できるのは緊急事態宣言と変わらないが、違反した場合の過料が30万円から20万円に減額される。
 西村氏は、飲食店の営業時間短縮の協力などにより新規感染者が減少しているが、高齢者の感染がなかなか減らないと指摘。昼のカラオケ、路上での飲み会などについて注意喚起した。また、昨年春の宣言発令時と比べ、在宅勤務が十分に広がっていないと述べた。

出典:Webサイト『YAHOO!JAPANニュース』
https://news.yahoo.co.jp/articles/d8c6f6a603000342e71f6b257618bc277128fd6d

 新型コロナウイルス感染症との戦いはまだまだ先は長いとは思いますが、イメージ・世間の風潮に流されることなく、自分の考えで動けるような人になって欲しいです。サッカー部としては、そんな中でも、新人戦に向けできる限りのことを行っていくつもりです。
 さて、本日は学校では粗大ごみや廃品の回収の準備日でした。サッカー部では、古くなったラインカー、古くなったグラウンド整備用マット、年末の部室・マネ小屋の掃除で出てきたゴミなどを捨て、環境を一新。活動の場所をすっきりさせ、部活の再開に向けていい準備をしました。最後のミーティングでは、まず「約10日後から始まる学年末考査に集中すること」とともに「そんな中でもしっかりと身体を動かし、新人戦に向け準備すること」を確認し解散しました。ブカツができず忍耐力が必要な時期が続きますが、しっかり力を貯め、部活再開の時を万全の状態で迎えるつもりです。

サッカー部 MUSANISTA #143 『 自主練習とは? 』

 誰もいない夜中の校庭がイメージトレーニングには最適だった。闇の中、「蹴れ」「行け」「OK」などと大声で叫び、ボールを蹴ったこともあったそうだ。「その光景は奇異だったものに違いない。幽霊とでも試合をしているような様子だったのだろう。しかし、僕自身は、至って真剣だった」

 サッカーのW杯ブラジル大会日本代表のGK川島永嗣選手は浦和東高校時代、試合前日の夜中に1人でコーチング練習をしていたと言う。著書「準備する力(角川書店)」で語っている。「練習の虫」の川島選手らしく、高校時代は毎朝7時30分ごろに学校に着くと、午前8時20分の始業時間ギリギリまで自主練習。しかも片道45分の自転車通学では、ギアを一番重たくして、爪先でペダルをこいだ。雨の日も傘を差しながら実行したことも書いている。浦和東高校で出会った野崎正治監督(当時)が川島選手に大きな影響を与えたと言う。「人と同じ事をしていては、人と同じにしかならない」。サッカー部に入部して最初のミーティングでの薫陶がプロ選手への道を開き、海外クラブで活躍し、日本代表となり、今に至った。

 世界が熱狂するW杯ブラジル大会が開幕。浦和東高校3年間に実行した朝練習や夜中のトレーニングが強固な礎となり、日本のゴールマウスを守ってくれることだろう。

2014/06/13 さきたま抄より

【ポイント】

   ・人よりも上達したければ、人と違う事他の人以上に)をやりなさい。
   ・自主練習は、人からやらされてするものではなく、自ら考えてするもの。
   ・周囲からは白い目で見られたとしても、自分は真剣に取り組むこと。
   ・その時の状況に左右されずに(天候や体調など)、どんな時でも継続すること。
   ・練習量は、裏切らないということ。

 

<川島永嗣選手 プロフィール> Wikipediaより抜粋

 1983年3月20日生まれ。埼玉県与野市(現さいたま市中央区)出身のプロサッカー選手。リーグ・アン・RCストラスブール所属。日本代表。ポジションはGK。少年時代は地元与野八幡サッカースポーツ少年団で基礎を学ぶ。与野西中学校時代に本格的にGKのポジションを始めた。その後埼玉県立浦和東高等学校へ進学し、3年の間に選手権・国体・高校総体と高校サッカー3大全国大会すべてに出場。学生時代の成績は優秀で、周囲からは大学進学を勧められていたが、プロでやっていくことを決断。しかし、地元浦和レッズのセレクションは不合格となる。その後もうひとつの地元クラブである大宮アルディージャへの加入が決定。

 

サッカー部 MUSANISTA #142 『 このブログのアクセス数 』

 この大宮武蔵野高校サッカー部のHPにアクセスカウンターを設置してから、ちょうど半年になります。アクセスカウンターとは、このHP左にある以下のようなものです。

  

 

 

 

 

 これは、このHPを何人が見てくれているかをカウントするものであり、この半年で15685人もの人がこのHPを見てくれていることになります。このカウンターを設置した時は、ブログの『MUSANISTA』はちょうど#100でしたので、この半年で42回ブログを更新してきたことになります。この毎回のブログを見てくださっている人もいれば、たまに覗いてくださる人もいるかもしれません。2020年8月11日から今日まで、数えてみると185日あります。したがって、一日当たり平均84回ものアクセスをいただいていることになります。当初は「年内に2020アクセス」を目標にHPを作ってきましたが、その目標を大きく上回り、年内に10000アクセスもしていただいておりました。顧問の阿部、鈴木ともども、驚きとともに感謝の気持ちでいっぱいです。また、一つのブログあたりに直すと、平均373アクセスになります。今後も、多くの人に見られているということをしっかりと認識し、ブログやその他試合日程などを更新していこうと思います。
 一昨年の4月から刷新したこのHPは、まもなく2年を迎えようとしています。練習試合をすると、相手高校の先生から「ブログ見てますよ。この前の試合、おめでとうございます」と言われたこともありました。学校説明会の部活動見学では、「HP見ています。選手の様子や、練習試合の場所や頻度、結果などが分かってイメージがわきやすい」という声もありました。嬉しい声をたくさん聞き、「思っていたよりも多くの人が見てくれているんだなあ」と実感しています。その他にも、大宮武蔵野高校に来ようと思っている中学生、その保護者の方々、部員、卒業生など、その声は聞くことはできませんが、多くの人が見てくれているのだと思います。
 今後も、見てくださっている方々の期待を裏切らないよう、HPの更新に力を入れていきたいと思います。今後の更新にもご期待ください!

サッカー部 MUSANISTA #141 『 泳ぎで感謝を 』

【瀬戸大也はなぜ「引退を考えなかった」か?活動停止期間がもたらした”スタミナ低下”と五輪への収穫とは】

 課題が見えた一方で、それに大きく勝る収穫のある大会だった。2月4日に開幕し、7日まで行なわれた競泳のジャパンオープンに瀬戸大也が出場した。約2カ月半の活動停止処分が明けて、ほぼ5カ月ぶりの実戦でどのような泳ぎを見せるのか注目を集めたこの試合は、瀬戸の今後を占う上でも重要な意味を持っていた。エントリーしたのは3種目。最初のレースとなったのは、大会初日に予選と決勝が行なわれる400m個人メドレー。ここで瀬戸は良好な結果を出す。予選を4分14秒98、全体の2位で決勝に進むと、4分12秒57で優勝したのである。

<まだまだ練習不足です。身体が全然動きませんでした>

 1日置いた6日には、200mバタフライと200m個人メドレーに出場。両種目ともに全体1位で決勝に進む。初日とは対照的に、決勝を本来の順位におさめることはできなかった。バタフライは予選の1分56秒80から1分56秒32とタイムを少し上げたものの3位。個人メドレーは予選1分59秒52から2分03秒89と大幅に落とし、決勝の8人中最下位の8位に終わった。「まだまだ練習不足です。体が全然動きませんでした。」レースを終えて、瀬戸は語った。たしかに体力面が本来とは異なるのは、泳ぎから伝わってきた。200m個人メドレー決勝は、得意とする最初のバタフライから動きが重く、萩野公介らに離され、背泳ぎで最下位になるとその後は泳ぎ切るのがやっと、という疲労感があった。優勝した400m個人メドレーでも後半に追い上げられたのはスタミナが足りていなかったことにある。活動停止期間中も練習は認められていたとはいえ、民間のプールに許可を得て泳ぐレベルだったという。本格的な練習再開は1月になってからだったし、試合の場から遠ざかった影響も大きかっただろう。それでも収穫と言ってよい材料がいくつもある。

<今までとは違った緊張感があった復帰戦>

 いちばんは、400m個人メドレーで優勝したことだ。もともと予定されていたスケジュールから大きく変わり、空白となった期間がある。紆余曲折を経て迎えた復帰初戦だ。「久しぶりのレース、復帰戦ということで、今までとは違った緊張感がありました。」「(予選は)久しぶりだったので、かなり緊張していて周りが見えてなかったです。とにかく自分のことでせいいっぱいだった。」不安やさまざまな緊張のある中で勝ち切ったことは、瀬戸自身にとって手ごたえとなったはずだ。泳いでいるときのフォームなどの面で以前と大きく変わった印象も見受けられなかった。瀬戸自身はこう語っている。「技術的にはかなりのスピードで戻っています。」それをたしかめられたのも、収穫の1つだ。

<反省とともに「泳ぎで感謝を」>

 そして何よりも、レースという場に立ったこと自体から得たものは大きかった。久しぶりの実戦について尋ねられ、答える中に、このような言葉があった。「初めてオリンピックの会場で泳がせていただいて、いろんな気持ちが芽生えて競技ができるありがたさを感じました。」また、コロナ禍に触れたあとにこう語っている。「とにかく今は大会ができて出場できるありがたさをすごく感じました。」自身が立っている場所に、立ち位置に自覚がなかったことから、泳ぎたくても大会に出ることができない状況を自ら招いた。だからこれまでを反省する。「恵まれた環境というのが、自分はすごく当たり前だと勘違いしていたと、すごく情けない気持ちでいっぱいでした。」反省とともに、支えてくれた人々にも思いを馳せることから、「泳ぎで感謝を」とも考える。

<金メダルを獲ることへの思いは変わってない>

 引退を考えたことはなかったと言う。手にしていないオリンピックの金メダルを渇望することに変わりはないからだ。「しっかりと競技で結果を出すということはオリンピック、その先の世界大会で金メダルを首から下げることだと思っています。応援してくださる方々によい報告ができるよう、恩返しができるように頑張っていきたいと思います。金メダルは子どもの頃からの夢ですし、夢を達成したい気持ちは変わっていないです。」オリンピックという目標が変わらないからこそ、今大会もそのための機会と考えていた。200mバタフライ、200m個人メドレー決勝の泳ぎの要因は、体力が足りていなかったこともあるが、ともに全体1位となった予選の泳ぎにもある。単純に決勝に焦点をあてるなら、予選はある程度抑えていく作戦もあった。そうしなかったのは、予選から好タイムを出していかなければ世界では戦うことができないと思っていたからだ。「今大会で現状が分かったので、自分に活を入れていきたいです。」3つの種目すべてを終えて、瀬戸は語った。これからどのように進んでいくのか、その過程こそ問われるし、過程にこそ価値がある。将来を作るのも、自分自身にほかならない。瀬戸の次戦は、4月の日本選手権になる。

2021年 2月9日 NumberWebより(松原孝臣氏)

<プロフィール>Wikipediaより抜粋

 1994年5月24日生まれ。日本人競泳選手。埼玉県入間郡毛呂山町出身。2020年9月末まで全日本空輸に所属。2016年リオデジャネイロオリンピック男子400m個人メドレーで銅メダルを獲得。2013年世界水泳選手権の400m個人メドレーで日本人初となる優勝。2015年に連覇もしている。2019年世界水泳選手権では日本人初の200m個人メドレーで優勝。小学生の時から水泳の全国大会に出場経験があり、萩野公介とは少年時代からの好敵手であり、憧れであったとのこと。個人メドレー、バタフライ、自由形、平泳ぎ、背泳ぎといった全ての泳法で全国大会優勝経験を持つ。毛呂山町立毛呂山中学校2年次に全国JOCジュニアオリンピックカップ水泳競技大会男子400m個人メドレーにて萩野に競り勝ち、当時の日本中学新記録で優勝している。埼玉栄高等学校時代は、インターハイで400m個人メドレーの三連覇を達成した。

サッカー部 MUSANISTA #140 『 明るい話題に目を向けて 』

 政府が出した、緊急事態宣言の延長に伴い、大宮武蔵野高校でも『始業時間1時間遅れ40分授業』が延長になりました。本来は、2/7(日)で緊急事態宣言が解除になるはずだったので、今日2/8(月)からは平常授業になる予定でしたが、戻ることができず残念。さらに、部活の大会も延期して部活ができず残念。イベントもできず、旅行も行けず、できないことだらけですが、できることを見つけて頑張っていくしかありません。
 こういう時に、暗い話題ばかりでは前を向いていけません。世界の明るいニュースをご紹介するのでご覧ください。

短期間でのワクチン実用化:
 新型コロナワクチンが実用化にこぎ着けるまでにかかった時間は1年足らずと、ワクチン開発史上でも異例の早さだった。ドイツのビオンテックと組むファイザーのほか、モデルナ、アストラゼネカとオックスフォード大学、中国医薬集団(シノファーム)などが数十億人もの人々を救うワクチンの開発に懸命に取り組んだためだ。さらに、ファイザーやモデルナがメッセンジャーRNA(mRNA)技術を用いて体内で人工的にウイルス構成物質を作り出すことに成功したことで、将来的にがんや心臓病などの治療法発見につながると期待されている。

大掛かりな在宅勤務の実験:
 育児との両立や長時間労働、テクノロジーや高速インターネットへのアクセスのばらつき、精神的ストレスといった問題もあり、全てが順風満帆だったわけではないが、数億人もの人々が在宅勤務をどうにか1年近く続けてきた。こうした勤務形態の急激なシフトで、パンデミック(世界的大流行)後の働き方を世界的に見直さざるを得なくなっている。フレックスタイム制や通勤・出張の減少、在宅とオフィスで勤務時間を分ける形態がニューノーマル(新たな常態)となる可能性がある。

(つかの間の)環境回復:
 観光業と製造業の低迷で経済は打撃を受けたものの、人の流れや工場の稼働が一時的に止まったことが環境にとってはプラスとなった。大気汚染が劇的に減少し、静かになったタイのビーチにはカメとクジラが戻ってきた。香港では、フェリーの運航減少後、姿を見せる絶滅危惧種のピンクイルカが増えたという。人間のプレゼンスが低下すれば、生態系が急速に回復する可能性が示唆された。

テクノロジーが世界を結ぶ?:
 人々をバーチャールに結び付けるテクノロジーなしのロックダウン下の生活を想像できるだろうか。家庭料理の腕を磨いてインスタグラムやユーチューブなどのプラットフォームで披露する人もいれば、ゲームソフト「あつまれ どうぶつの森」で仮想サファリを始めたり熱帯の島に集まったりするインターネットユーザーもいる。また、室内にとどまる人間に代わり、ドローンや自律型ロボットが緊急医療物資や食料品などの配達に活用されている。

出典:Webサイト『bloomberg』
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-12-24/QLN444T0AFBB01

 新型コロナウイルスの対応で、多くの人、分野では自由に物事を進めることができなくなった。一方で、上に挙げたような分野では、たまたまこのような状況のメリットが見つかったり、大きな転換の契機にできたり、まとまったお金や技術(マンパワー)が集中的に投入されたり。今、世界が大きな転換期を迎えていることは間違いない。
 家にいる時間が長いこの時期に、『ゴロゴロして、無為に日々を過ごす』のか、『目標をもって、新型コロナウイルス終息後の生活に向けて取り組む』のでは大きな違いがあることは、もう世界中、日本中の人が気づいているはずだ。環境の波に飲み込まれないよう、自身も自己陶冶(とうや)に励んでほしい。

サッカー部 MUSANISTA #139 『 Self Control 』

 前回お知らせしました通り、新人大会が再延期となりましたので再びブカツの方は暫く活動停止となりました。私たちはまだ幸運な方です。年明けからわずかな間だけでも活動することが出来ましたので。けれど、多くのブカツは昨年クリスマス頃よりおよそひと月半もの間、ブカツが出来ていない事となります。

 私たちは3月に延期した新人大会に向けて” Self Training Note ”を引き続き活用していきます。いわゆる「自主練習」ということですが、私は『セルフコントロール』だと思っています。

 生徒の中には、部活をしているから身体も心も健全な状態を保てている者もいるのが実際の所だと思います。なぜなら、彼らは競技者(アスリート)である反面、生徒(子ども)でもあるからです。「部活があるからコントロールされている」ということです。例えば、「明日は日曜だけど部活があるから規則正しく起きられる」「明日は試合があるから夜にきちんと寝ることができる」「今日は筋トレしたからたんぱく質を摂ろう(身体のためになるものを食べよう)」「赤点(欠点)取ったら〇〇(部活のルール)だから今はマジ勉強しよう」「髪を染めたいけど部活やってるから我慢しよう」などなどです(言うまでもありませんが、太文字箇所が否定形になる生徒がいたとすれば、それは競技者ではなく、ただの生徒になってしまいます)。

 それでは、3月までの部活ができない期間はどうなってしまうのでしょう。そうした「コントロールされてきた」部員たちは大変なことになってしまうのでしょうか?・・・否。私は、むしろ「最良の機会」だと思っています。理由は、2つあります。

①自分自身で自分をコントロールする力(自己統制力)を身につけられる

②他者との差を大きく縮める(開かせる)チャンスである

 これまで、部活があることで抑えられていたものや管理されていたことがなくなっても、それらを自分でできる力。それは、競技者(アスリート)に最も欠かせない力だと思います。『他の競技者や過去の自分自身(記録)に勝りたい人が、自分の事さえコントロールできなくて、良い結果が望まれる訳がない』皆さんもそう思いませんか。これは、「身体面」のことだけではありません。「精神面」も同じです。”挑戦する力””我慢する力””諦めない力””継続する力””協力する力””統率する力”など、これまで部活の中で求められてきていたものを、ブカツ以外の様々な場面でも「活かす」ことができるのかどうか。

 そして3月の部活再開後、もしかしたら大きなチャンスを掴める人も出て来る可能性が高いということです。勿論、それは”FC MUSASHINO”も同じです。普段でしたら皆同じようにブカツをしていますので、その差はなかなか埋まらない(開かない)。練習の時間と負荷を、誰よりもどこよりもこれまでよりも努力して、長期に渡って継続しないと困難です。ですが、今は状況が違います。今は、皆同じようにブカツをしていません。もし、その中でひとりだけ、毎日10km走り続ける部員がいたらどうでしょう。ひと月後、彼はダントツで10km走を優勝することができます。「うさぎとかめ」の話は皆さんもご存知ですね。どんなに足の速いウサギでも、ひと月もの間休憩していれば、たとえウサギよりも足の遅いカメでも、毎日毎日コツコツ積み重ねていければ、ひと月後に立っている位置は、逆転することができますよね。

 来週8日(月)から、私たちは「 Self Training Note Vol.2 」に突入します!

 

『 頑張ることしかできないんだから 俺は昔から 』

『 努力は日々の積み重ねだ 少しずつでいい 前に進め!! 』

                                           by 竈門炭治郎

サッカー部 MUSANISTA #138 『 再度延長 』

 緊急事態宣言の延長により、新人戦の日程が再度延長になりました。それに伴い、先週金、今週月、火、水とやってきた部活も、また停止期間に入ってしまいました。新人戦の新たな日程は、初戦が3月14日(日)の予定です。
 さて、今回の部活動停止期間は、学年末考査や入試の関係で、約1ヶ月になる予定です。再開は、学年末考査最終日の3月4日(木)になる予定で、今回は大会前であるからといって2週間前から練習を再開することが難しい状況です。したがって、今回は練習再開の4日から数えると、新人戦に向けたチーム全体の練習としては

 4日(木)、5日(金)、6日(土)、7日(日)、8日(月)、9日(火)、10日(水)、11日(木)、12日(金)、13日(土)

のちょうど10日間しか行えません。もし、この一か月間部員が何の「自主練習」もせず3月4日を迎えたとすると、確実に新人戦で全力で戦いきることはできません。今回こそ、前回以上に『新人戦は準備をしっかりとできたチームが勝つ』ということを再確認し、「自主練習」に取り組んでほしいと思っています。特に、テクニックでは勝っているのに、体力切れで戦いきれないということが絶対にないように準備していくつもりです。今回も、「Self Training Note」を課し、部員の取り組みを見守ります。
 また、我々スタッフ以外にも学校の中で応援してくれる生徒もいます。先日、新人戦に向けてということで、差し入れをいただきました。ありがたく頂戴し、新人戦の試合当日に使わせてもらおうと思います。'FC MUSASHINO'を応援してくださっている皆様も、緊急事態宣言明けの新人戦での活躍を信じて、引き続き見守っていただければと思います。よろしくお願いします。

 今できることは、『再開できるその日を信じて、その日を見据えて、準備していくこと』。それしかないと思います。ブカツができなくとも、やるべきことをやり、試合に備える。そんな『自律力』が試される期間だと思います。

 Do what you should do now !

(今 やるべきことをやれ!)

サッカー部 MUSANISTA #137 『 立春 』

 今年も早いもので2月になりました。明日は、1897年(明治30年)以来124年ぶりに2月2日が節分となる日です。つまり、暦の上では明後日からもう春です。この一年、ほんとうにあっという間だったような気がします。それでも政府は、緊急事態宣言を延長する方針で固めたそうです。明日の諮問委員会で正式決定になるようです。予期していた「新人大会」の”再延期”も現実味を帯びてきました。

 さて、話は少し変わりますがみなさんはどうしてサッカーをしていますか。言い換えれば、「サッカーが出来なければほかに何をしますか」。高校生当時の私の答えは簡単です。「自分の夢を叶えるため」「プロになって日の丸をつけてプレーをするため」「サッカーが出来ない事は考えられない」そんなところだったと思います。私に限らずチームメイトも私と似たようなものだったと思います。なので、ある面では試合よりも練習の方が厳しかったですし、仲間が練習を休んでるときはチャンスだと思っていましたし、そんなやつらばかりでしたから多少身体が痛くても安易に練習を休んではいられないような雰囲気でした。捻挫、モモカン、肉離れ、時には疲労骨折でも練習中は痛みを忘れるくらいにやっていたと思います。中には、試験前でも練習に来るのもいましたし、学校行事を休んで試合や練習に来るのもいました(笑)今ほどクラブチームという概念が定着していなかったので当時学校側もチームの活動を理解するのは大変だったかもしれません。皆、サッカーが好きな連中ばかりでした。

 何が言いたいかというと、私たちはそれだけ「打ち込んでいた」ということです。自分が好きなものや大事にしていることに高校3年間のすべてを費やしていたということです。そして、そのために「本分」を疎かにはしなかったということです。「サッカーを頑張ってるから勉強できなくてもいいだろう」「練習で疲れてるから勉強できなくても仕方ないだろう」「監督にバレなければ大丈夫」「オレは上手いんだから特別だ」「たまには練習サボって遊ぼうぜ」・・・。私がサッカーを始めて、最初に学んだことは「サッカーは、子どもを大人にし、大人を紳士にするスポーツである」という言葉でした。当時は、あまりピンと来ませんでしたが歳を重ね、振り返ってみると挨拶や礼儀、マナー、身の回りの整理整頓、時間を守ること、物を大切に扱うこと、協力すること、努力すること、諦めないこと、年下には優しくすること、年上には敬いを忘れないこと、親孝行すること、約束は守ること、自分に嘘はつかないこと、誤魔化さないこと、人を馬鹿にしないこと、ずっとサッカーに携わっていけるような人になることなど、本当にたくさんの大切なことを「サッカー」を通じて教わってきたことに気が付きました。あまり知られていないかもしれませんが長谷部誠選手も、長友佑都選手も、香川真司選手も、クリスティアーノ・ロナウド選手だって、皆サッカーをすることで成長して世界でも有数のサッカー選手になられています。

 私たちの春はまだまだ先ですが、自分を見失うことなく、今を大事にして、明日からも練習に打ち込んでいきたいと思います(まだブカツができることに感謝です)。

サッカー部 MUSANISTA #136 『 Re:start 』

 延期となっていた埼玉県高校サッカー新人大会南部支部予選の改日程が決まりました!規定により、「感染予防対策として2月7日までの間は部活動は原則中止とするが、大会当日から起算して2週間以内は活動をしてもよい」となっているため、本日より「ブカツ」を再開しました。部員も約3週間振りの部活とあって、イイ顔をして練習していました。ここまで自主練習に取り組ませていたのがよかったのか、私達が思っていた以上に身体がまだ動かせていたように感じました。さすがに最後の方は疲れも見えていましたし、何より「試合」となったら今日の状態は、まったく論外でしょう。ここからどこまでコンディションを上げていけるのか、私にも分かりませんが…それはどの学校も同じこと。初戦までの短期決戦を精一杯に準備していきたいと思います。

 ですが・・・

練習後に部員には、こうも話をしました。

「今の状況下で部活動を行うことが周囲にどんな風に思われるか」

「だからこそ、感染予防には細心の注意を払って、これまで以上にまわりに気を配って活動しなければならない」

「万が一、大会が再延期になって、数日も経たない内に再び活動中止になったとしても、決してこの数日間は無駄にはならないし、少しの間だけでもブカツが出来たことに感謝する」

「置かれた環境の中でそれぞれの考えがある。この状況での部活への不参加は誰からも非難されることではない。皆で理解しよう」

 この先、予定通りに大会が開催できるのか、本当に分かりません。報道では来週5日頃には緊急事態宣言の延長可否が決まるとの事です。先にも述べましたが、今の私達は大会参加の機会が設けられたお陰でブカツが行えるようになった。ただ、それだけです。今日までなくなっていたピッチが眼前に広がり、ボールとゴールがあって、仲間と集まり、共にサッカーを思いっきりすることが出来る。それだけです。

 

【埼玉県新人大会南部支部予選兼関東大会予選】

     日 程:2月11日、14日、20日、3月14日、20日、21日 (6日間)

     初 戦:2月11日(木)

     相 手:県立与野高校

※コロナウイルス感染拡大予防のため、本大会は大会関係者のみでの試合となり、保護者をはじめ家族や友人、その他一般の方の来場を禁止しています。試合会場及び試合時間は、掲載できませんがどうぞご理解とご協力をお願い致します。

サッカー部 MUSANISTA #135 『 内に目を向けてみれば 』

 コロナ禍で部活動ができなかった期間にも、顧問の阿部、鈴木は様々なことを相談し、決定してきました。緊急事態宣言解除後の練習について、来シーズンについて、HP更新についてなど...。そんな話の中で、ふと今の2年生の話になりました。
 阿部が本校に着任してから2年が経過しようとする今、顧問が阿部、鈴木での体制での'FC MUSASHINO'は3年目を迎えようとしています。今の2年生が2年前入学してきたころを思い返してみると、今よりも技術力も戦術力も物足りなかったことを思い出します。今では、それぞれが技術面、戦術面、精神面、様々な面で成長し、一回り大きくたくましくなったことをしみじみと感じます。

 一昨年の夏合宿では、「骨折した!」と騒いで病院で診てもらったら「ただの捻挫ですよ」と言われたり、選手権予選vs山村国際で大事な試合であるにもかかわらず、人生初めてのカードがレッドカードで退場したGK。試合後はいじけて端っこで泣いていました。今では、キックの精度、飛距離も上がってきたり、コーチング、声出し、シュートストップなど見違えるようになりました。

 クマガヤSCで培った力で先輩の試合にも早い時期から出場していたCB。部長になってからは、試合を分析してミーティングで時間を取って話してもらったり、選手への連絡をしてもらったりしています。試合の中でも、誰よりも声を出してチームを盛り上げたり、練習中からチームをまとめたりしてくれています。ヘディングやスライディングなどのプレーにも自信をもって戦えるようになってきました。

 一昨年の12月に入部したCB。最初はなかなかステップが踏めず、守備の対応に四苦八苦していました。しかし今では、自分からインターセプトを常に狙っていたり、相手に前を向かせないように早くプレスをかけたりと、チームのためにサボらず貢献してくれている姿をよく見ます。身体の方も継続的に鍛えていて、部活再開後が楽しみです。

 先輩がいた間はなかなか出場機会がなかったSB。昨年の夏には、試合でなかなかうまくいかないスランプの時期があり、そこから「練習前のステップ、ラダートレーニングなど」を始めました。最近では、その成果もあってか、ステップをしっかり踏めるようになったり、ボールの落下点を読んでヘディングでクリアしたり、自信も出てきてオーバーラップなど攻撃面でも積極的なプレーが増えてきました。

 球際やヘディングを嫌がってほとんど競り合いに行かなかったボランチ。今では、セットプレーになると上がって点を取りに行ったり、守備の面でも相手を圧倒するヘディングの強さを見せています。また、練習中でのゴール率の高さも目を見張るものがあり、最近は意識してロングシュートをさせていることから、試合中のロングシュートでの得点も期待できる選手になりました。

 先輩と折が合わない時期があったり、ポジションがかぶって出場機会に恵まれなかったボランチ。最近では不動のボランチを任され、献身的で粘り強い守備、着実で正確性の高いパスで攻撃のリズムを作るなど、今では'FC MUSASHINO'のゲームには欠かせない存在になりました。怪我に悩まされる時期もありましたが、部活動再開後は万全の状態で活躍してくれると信じています。

 高校に入ってからサッカーを始めたFW。初めの頃はボールを止めることも、蹴ることもままならず、ドリブルで突っ走るだけのSHでした。なかなか顔が上がらないドリブルは、そのまま止まれずゴールラインを割ってしまうこともしばしばありました。今では、立派にFWを任されるほど迫力満点に。顔も上がるようになり、相手の守備をしっかり見て次のプレーを考えられるようになりました。実は一番成長しているその選手、持ち前の速さを武器に相手ゴールに迫る姿をまた見せてくれるはずです。

 持ち前のボディーバランスと他を圧倒する馬力の強さ、誰よりも豊富な運動量に味方の良い所を引き出す判断力で活躍するトップ下。先輩の試合にもよく出場していたこの選手は、今ではチームのバランス的にトップ下を任される。後輩とトラブルになっても、後輩の話に耳を傾け、改善に向けて努力する大人な面も培ってきた。部活動再開後、彼がゴールネットを揺らしチームを勝利へ導く日が来るのだろうか。今後の彼に期待を寄せる。

 今の2年生とともに入ってきて、ここまで支えてくれているマネージャー。部活動再開に向け、ずっと伸ばしてきた髪の毛をバッサリ切って気合十分。また新人戦に向け、チームを盛り上げ支えてくれること間違いなしです。

 こう見てみると、やはり2年生は成長したなあと感じます。1年生は入部してからあまり試合経験も積めず、出場も少ない選手もいますが、1年後はここで先輩たちと同じように報告できるかと思うと、楽しみです。今後、彼ら全員がどのような成長を見せてくれるのか期待してまた指導していこうと思います。

サッカー部 MUSANISTA #134 『 未完の大器 』

 「Jリーグ史上初2年連続得点王」「記者泣かせの寡黙な選手」「大食漢」「世界大会とは無縁の日本代表」「リーグ戦でシーズン最初のゴールを決めた相手はJ2に降格する(2007年から6シーズン連続)」「デスゴール」など、彼のことを表す言葉には絶えない。日本屈指のストライカー前田遼一選手です。高さ・技術・豊富な運動量に合わせ守高い守備意識も兼ね備えた万能型FW。彼もまた昨シーズンいっぱいでプロサッカー選手を引退されました。

 

”谷間の世代”と呼ばれて…あえて「暁星→ジュビロ」を選んだ”不器用な男”の21年間

 

 「谷間の世代は粘っこい」

 かつて阿部勇樹がこう語っていたことがあったが、そんな“谷間の世代”でまたひとり、現役引退が発表された。昨年末でFC岐阜との契約が満了していた前田遼一だ。世界大会はワールドユース出場のみ。2004年のアテネオリンピックも、2010年の南アフリカ大会も2014年のブラジル大会もワールドカップには出場していない。日本代表では33試合出場し10得点とあまり縁がなかったとも言える。高い技術力と戦術眼、サッカーセンスが前田遼一の持ち味だ。そして、黒子になることもいとわない献身性が彼の美徳だった。だからストライカーとしては地味な存在かもしれない。それでも、J1通算154得点は歴代5位(現在3位タイの中山雅史・興梠慎三には3点足りなかった)。ちなみに1位の大久保嘉人、2位の佐藤寿人と前田を含め、トップ5には3人の谷間の世代が君臨している。

【名門暁星→慶應ではなく、名門「ジュビロ磐田」へ】

 そうか、もう21年も前のことだったのか。前田を初めて取材したのは、ジュビロ磐田加入が決まっていた2000年1月、U-19日本代表合宿だった。東京の名門私立校暁星学園で育った彼は、少しおっとりとしていて落ち着いた少年だった。その年の高卒選手のなかで、もっとも多くのオファーが届いたという前田が、なぜ磐田を選んだのか? 慶應義塾大学への推薦入学が決まっていたとも聞いた。「ほんと変わっているよね。俺だったら、慶應を選んだよ」と磐田の先輩がさっそく前田をネタに軽口を叩いた(その先輩は名門大学を卒業後、磐田へ入っていた)。世間一般で言われるエリート街道ではなく、成功できるか分からないプロの世界へ身を投じたのは、さぞ、サッカー選手として大きな夢を抱いているからかと思えば、そういう話でもなかった。

 「磐田の練習に参加したら、うまい選手ばっかりで、すっごく楽しかったんですよ。サッカーをやるならここだと思って」当時はまだ強豪校とは言えなかった桐光学園を率いて、高校選手権準優勝に輝いた中村俊輔に前田は憧れていた。中村の高い技術力、ドリブルに魅かれただけでなく、自身もまた中村のように暁星学園高校をけん引し、選手権を勝ち進みたいと考えていた。だからときにはチームメイトに厳しく当たることもあったと、のちに振り返っている。前田自身はすでにU-18日本代表にも選ばれ、有名な存在だったが、結局一度も高校選手権には出場できなかった。彼が抱いていた渇きを埋めたのが、磐田での練習だったに違いない。けれど、プロの世界は甘くない。目を輝かせながら笑う18歳の前田に、あるJリーガーの話を告げた。

 「磐田の練習に参加した帰りの新幹線のなか、選手名鑑を見ながら自分と年齢の近いMFの顔ぶれを見て、磐田へ行っても試合に出るのは難しいと入団を断念したのが、中村俊輔なんですよ」すると前田は「だから楽しかったんですね」と答え、自分と同じポジションの先輩の名前を挙げながら、「なるほど」と納得顔を浮かべ、笑った。やはり楽しさが一番なのだろうとほほえましい気持ちになった。


【名門の厳しい言葉にも「こんなもんです」】

 当時の磐田は個性豊かな日本代表クラスの選手が揃い、強豪として君臨していた。試合になれば、ときに罵声も飛び交うチームの一員として、果たしてこの少年はやっていけるのか? 強い興味を抱いたことを覚えている。

「僕がシュートを外すと、周りの選手がみんな『アチャー』って感じでコケているんですよ。お笑い番組でコケているみたいな感じで」自分の失敗を、少し楽しそうに前田は話してくれたのは、磐田に加入して数カ月経ったときのことだ。

「遼一、俺のコース消すな!!」

「途中から出て来たのにすべてが中途半端で何がやりたいのかわからない」

「お前の視野はどれだけ小さいんだ」

 実際、前田には笑えないくらい厳しい言葉がチームメイトから発せられていた。それを彼はどう受け止めているのだろう。「ごめんなさいという感じですか?」と訊いてみたことがある。「ジュビロの先輩は試合になると鬼になる。怒鳴られても、ごめんなさいとは思わない。本当のことだから。へこんだりはしない。陰で言われるよりもずっといい。今はこんなもんですという感じ」さらりとそう言った前田は、他の若手とは違った。「自分はやれる」というような自信はまだなかったが、自分を信じる強い気持ちは厳しい現実のなかでも変わらなかったのだろう。前田が持つ図太い芯みたいなものは、百戦錬磨の先輩たちも見抜いていた。「あいつは俺たちにキツイことを言われてもへこたれたりしない。だから、俺らも厳しいことを言えるんだよ」と福西崇史が当時語っている。あの頃の磐田は、ピッチ上では強烈な厳しさが行き渡っていたけれど、チームの雰囲気は部活に近いものがあった。そんななかで、前田は「弟キャラ」としての存在を確立していく。しかし、MFとしての出番はほとんどなく、前田が定着したのは、中山雅史、高原直泰に続く、FWとしてのポジションだった。

 

【名ストライカーへ 進化の原点は“挫折”】
 「試合にもっと出場できるようにレンタル移籍を考えたこともあるけど、ジュビロで試合に出ることを目標にしたい。そこからは逃げたくない。今までも僕なりにがんばってきたけど、まだ足りないということを痛感している。先輩はみんなもっとがんばっているから」

 新人の前田が口にした「逃げない」という姿勢は、彼がプロとして生きるうえでの基盤となったように感じる。どんなに苦しい現実でも、それを解決できるのは、自分しかない。そのための悪戦苦闘が、成長を後押ししてくれるのだ。「FWだったのに、1点も取れなくて申し訳ない」

 2001年アルゼンチンで行われたFIFAワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)に出場したU-20日本代表で、前田は1トップでプレーしている。高い技術を持つ前田に、前線でボールを収め、攻撃の起点を作り出すゲームメイカーのような働きを期待したのだろう。しかし、阿部勇樹など主力と思われた選手が欠場したこともあり、最下位でのグループリーグ敗退を喫した。これが「谷間の世代」と呼ばれる彼らの原点となった。本来のMFではなく、FWで起用されたものの無得点だった自身を前田は責めた。しかし、思い返すと、このときに彼のストライカーとしてのキャリアがスタートしたのかもしれない。現に十数年後には、磐田だけでなく、日本代表としても活躍するFWに進化を果たす。

 

【「取材しづらい選手」と言われて】
 「今日、俺、そんなに良かったですかね?」得点を決めた試合後、多くの報道陣に囲まれた前田は、取材に応じながら、少し不満気だった。そして、最後にそっとそう告げた。確かにその試合の前田は運動量が乏しく、らしくはなかった。けれど、ゴールを決めて、チームに勝利をもたらしたのは事実だ。若いFWの活躍にメディアが騒ぐのも当然だった。けれど、前田はそれで良しとはできなかったのだ。自分に対してはいつも厳しい。そんな前田らしさは、20歳の頃からずっと変わらなかった。ゴールというわかりやすい結果で一喜一憂することはない。90分間何ができたのかが大事だった。チームに勝利をもたらす仕事をすることだけを考えていたように思う。その頑なさが、「取材しづらい選手」という印象を作っていったのかもしれない。

 2002年に右ひざを負傷し、長期離脱をして以降、身体のケアに余念がなかった。練習後には乳酸が溜まらないように黙々とジョギングを行い、クラブハウスで長い時間を過ごすようになる。まだ20代前半ながら、その気遣いはベテラン選手のようだった。中山をはじめ、ベテラン選手の多い磐田では手本となる選手は数多くいた。そして前田からは少年ぽさが消え、精悍さが強く漂うようになる。

 

【「強引さが足りないと言われることは多いけれど」】

 こうして、FWとして頭角を現し始めていた前田が否定されたのが、アテネオリンピック代表でのことだった。「前田はFWじゃない」と山本昌邦監督は語り、メンバー選考の最後の試合ではボランチで起用、結果、アテネ五輪代表に選出しなかった。ストライカーには「俺が」というエゴや強引さも必要だと言われるが、常にそれを否定する前田は、指揮官が考えるFW像とは違っていた。

 「強引さが足りないと言われることは多いけれど、チームよりも先に『自分』が来て、『俺が中心だ』というふうになるとむしろダメになる。そんなことが出来るのは、本当のスーパースターだけ」と、のちに34歳になった前田は話していた。自分に厳しい前田だが、チームメイトには優しい。2009年、2010年の2シーズン連続で得点王に輝いた年で、すでに磐田のエースストライカーとして、日本代表の常連にもなっていた時のこと。

 世代交代を経た磐田はなかなか思うような結果を生み出せず、両シーズンともに11位と低迷。若い選手たちのなかで、コンビネーションが悪く、前田が活きない試合も少なくなかった(それでも得点を重ねたことは評価に値する)。しかし、そんな試合のあと前田はいつもこう言った。

「まあ、そこがサッカーの楽しいところだと思うから」前田はいつも考えていたのだ。「サッカーはひとりではできない。だから面白い」と。2010年のナビスコカップで優勝。胴上げされる前田遼一©Takuya Sugiyama
「FWは周りに使われて、初めてゴールができる。パスが来なければ、シュートも打てないから。得点王を獲ったときもチームのなかでいかに動けるかを一番意識していた。良いクロスを入れてくれる選手がいて、僕自身も上手く動けたから、シュートチャンスが生まれただけのことなんです」

 

【「サッカーはひとりじゃできない」】

 “選手はチームの歯車であれ

 これは黄金時代の、かつての磐田の選手なら誰もが口にした言葉だ。誰もがチームのために戦わなければならない。そして、チームを構成する選手全員が共通意識を持つからこそ、歯車は回る。それを構築するには時間もかかる。だから、前田はオファーが届いても環境が変わることを懸念して、磐田に残留したのだろう。それでも「J1へ移籍できる最後のチャンス」と腹をくくり、2015年FC東京へ移籍を果たす。

 「移籍をして、サッカーはひとりじゃできないんだなと強く感じた。そして、ここでもまずはチームプレーを考える。組織の歯車になって、そのうえで、僕にしかできないことをやっていきたい」移籍加入時にこう語り、それが自身のプレーの幅が広がるきっかけになるだろうとも話した。

 

【ジュビロ磐田からFC東京へ】 
 そのFC東京からJ2のFC岐阜へ移籍し、J3でもプレーしたが、コンディション調整に苦慮し、怪我にも悩まされた。FC岐阜での1年目当初、シュート数とゴール数が同じという時期があった。精度100パーセントの理由は、試合を見れば一目瞭然だった。シュートチャンスがほとんどなかったのだ。

サッカーはひとりではできない前田の言葉が重く響いた。

 

【不器用で真っすぐなサッカー選手だった】
 引退の一報を受けて、真っ先に思い出したのは、若いころの彼の姿だった。

 それは21年もの時間が経過したにもかかわらず、前田の姿勢に大きな変化がないと確信したから。もちろん成長という変化はあったが、思い返せば返すほど、「やっぱり変わらないなぁ」と思わざるを得ない。そういう意味では不器用な人間だった。サッカーはあんなに巧いのに……。

 引退発表と合わせて、古巣磐田のU-18チームのコーチ就任もリリースされた。指導者としての第一歩を磐田で踏み出せるのは、前田にとっては幸運だろう。けれど、もう弟キャラではいられない。新しい覚悟が必要になる。

2021年 1月 NumberWeb(寺野典子氏)

 

「僕にプレーする機会を与えてくれたジュビロ磐田、FC東京、FC岐阜に関わる全ての皆さん、そして21年間僕を支え、応援してくれた全てのファン、サポーターの皆さん。皆さんのおかげで本当に幸せなサッカー人生でした!本当にどうもありがとうございました!
この度ジュビロ磐田で指導者としてのスタートをきるチャンスをいただくことができました!ゼロからのスタートになりますが、指導者としてこれから頑張っていきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします!」

FC岐阜 HPより

サッカー部 MUSANISTA #133 『 新人戦に向けて 』

 新型コロナウイルスの感染対策で延長されていた新人戦の日程が、2/11(木)、14(日)、20(土)に決定しました。対戦相手は、初戦が秋季大会で敗戦を喫した「与野高校」、勝ち上がれば、グラウンドも近く昨年練習試合をしていただいた「埼玉栄高校」となっています。まだ、グラウンド、日時などは決まっていませんが、'FC MUSASHINO'も再開の日に向け、準備を進めています。生徒の方からも「テレビで試合を見ていたら、試合をしたくなってきた」という声や、「自主練で鍛えたので、試合で活躍する姿を見てほしい」という声も聞こえてきて、モチベーションの高まりを感じます。日々の「Self Training Note」を見ながら、再開の日に向けてアドバイスしつつ、再開の日を待ちたいと思います。
 新人戦が決まれば、大会2週間前から部活動が再開できます。初戦が2/11(木)に決まれば今週末金曜日から、2/14(日)に決まれば週明けの2/1(月)から活動することができることになります。
 思えば昨年末、冬休みに入ってから練習ができなくなりました。10日間練習ができず、新人戦開始の予定であった1/16(土)の2週間前にあたる1/4(月)に練習を再開。しかし、5日間練習したのみで1/8(金)には新人戦の延期が発表され、て再度部活動中止に。今回は、まるまる3週間の部活動中止を余儀なくされました。
 その中で、生徒には「Self Training Note」を課し、『新人戦は準備をしっかりとできたチームが勝つ』と話をしながら、自主トレーニングを指示してきました。生徒が「いまかいまか」と待っていた部活動再開ですが、スタッフの我々も「いつからできるのか」と楽しみにしておりました。大会が決まりましたので、何もなければ早ければ金曜日から、部活が再開できます。今までできなかった分、間が空いて感覚が鈍ってしまった分、急ピッチで新人戦に向け準備してまいります。


 昨年は人数が少なく8人で戦い、いい試合をしながらも残念ながら一勝も挙げられなかった新人戦。

 参考URL;
 https://om-h.spec.ed.jp/blogs/blog_entries/view/311/246abea7a481a3d499e4053bedc4f9c5?frame_id=283

 今年は部員が増え、11人揃って戦うことができます。「コンディションが悪かった」や「練習不足だった」という後悔がないよう、全力で準備してまいります。応援よろしくお願いします!

 

【連絡】
 今回の新人戦ですが、新型コロナウイルス感染予防のため、観戦・応援が認められていません。結果はHPでお知らせいたしますので、結果を楽しみにしていてください。いい結果をお伝えできるよう、選手・スタッフ一同全力を尽くしてまいります。よろしくお願いします。
 

 

サッカー部 MUSANISTA #132 『 川崎のバンディエラ part2 』

 

 “決断のスポーツ”サッカーでは、限られた時間の中で常に最善の選択を求められる。その重要なプレー選択の場面で、日本屈指の存在である司令塔、中村憲剛の目にはどんなビジョンが映っているのか――。

 一つのプレーを選択する際に考慮するファクターや行っている準備、選択する際の判断基準などを教えてくれた前編(part1)に続き、この後編では中村憲剛が外から見てプレーに優れていると感じる選手、そして状況に応じたプレー選択の切り替え方を、実際のプレー動画を通して解説。トップアスリートの思考回路をのぞいてみてほしい。

 

 

――海外サッカーにも詳しい憲剛さんから見て、決断力が優れていると感じる選手は誰でしょうか?

 「世界トップレベルの選手たちは、みんな凄いと思います。その中でも、自分のポジション柄、目が行くのは中盤の選手のプレー選択ですね。いろいろなことを考えながら、その瞬間瞬間でベストな決断をしているなと。名前を挙げるとしたら、バルセロナのブスケッツとか、レアル・マドリーのカセミロとかでしょうか」
――どちらもアンカーと呼ばれるポジションの選手ですね。プレースタイルとしては、そんなに派手なことをやるタイプじゃないと思うのですが。

 「ブスケッツこそが、バルセロナのサッカーの肝だと思います。何気ないパスなんだけど、2手、3手先まで考えて出しているんだというのがわかる。ブスケッツがパスを出した後に『あれはそういうことだったのか』となるのはよくあります。カセミロは余計なことはしないけど、それがいい。難しいパスも狙わないし、ボールをこねくり回すこともない。世界最高の選手たちが前線にいるんですから、あのチームにおけるベストな選択をしていると思います」

――誰もが気に留めないような、何気ないパスの選択によって、その先の展開が変わってくることもあると。

 「僕はやっぱりそっちのほうを見ちゃいます。ゴールが決まる決まらないだけじゃなくて、そこからの一手で相手がどう崩れるか。そういう見方をすると、サッカーは凄く面白くなるんじゃないかなと思います。ただ、FWの選手はそういう見方はしないんじゃないかな。だからストライカーの何が何でも自分で決めるという潔さみたいなのに憧れることもあります」

 

動画を見てプレーを分析する時には、笑顔の中にもまるでピッチに立っているかのような真剣な眼差しがのぞいていた


――そういう意味で、憲剛さんに見ていただきたいプレーがあります。J1第17節の阿部選手にアシストをしたシーンです。中盤で味方がボールを奪って、左サイドの憲剛さんにパスが出る。そこからドリブルで持ち込んで、GKと1対1でシュートを撃つと思ったら、ゴール前にパスを出しました。

https://www.youtube.com/watch?v=cNqGWT47u50

 「これはね、本当は自分で撃ちたかったんですよ」

――え、そうなんですか? 自分で撃てたけど、より確実性の高いパスを選んだのかなと思ったんですが。

 「もちろん、自分で撃つこともできました。でも、決まる確率が低いと思ったからパスを出したんです」

――どこで「自分でシュート」から「味方へのアシスト」へプレーの選択を変えたんでしょうか?

 「2つ目のタッチですね」

――2つ目、ですか?

 「よく見てもらうとわかるんですが、2つ目のタッチが微妙に外側にずれてしまってるんです。(動画を見ながら)ここ! 本当にわずかなんですけど。それでゴールに最短距離で向かえなくなってしまったんです」

――憲剛さんにしては珍しい。

 「こんなに全速力でドリブルすることがないので(笑)。ボールが向かって来た時は、ゴールに向かってドリブルをして、ファーにインサイドで流し込むようなイメージをしていたんですけどね。ただ、タッチがずれた瞬間にその選択肢は捨てました」
――映像を見る限りはシュートを撃とうとしているようにも見えます。

 「これは“フェイク”です。自分で撃てないんだったら、何をするのが一番ゴールに繋がる確率を高められるのか。ここで僕が最初からパスを狙っている感じだったら、GKや相手の選手は中に走り込んでいる阿部ちゃんのほうを警戒するはず。僕がシュートを撃つような雰囲気だったからGKは前に出て来たし、中のDFも僕が撃つと思っているからカバーをしようとするわけですから。自分のところに引きつけておくことで、阿部ちゃんがシュートを撃ちやすくなる」

――自分の思い通りのプレーができなかった時に、いかに次のプレー選択に切り替えられるかというのも重要ですね。

 「そうです。こういう技術的なミスもそうですし、相手が何をやってくるかも見ないといけない。最善の選択というのはどんどん変わっていきますから」

――試合展開によっても、最善の選択は変わりますか。

 「もちろん。基本的にはゴールに向かっていくという目的があって、そこから逆算してプレーを考えていくけど、それがすべてではない。例えば、チャレンジのパスを出すよりも、確実にパスを繋いで回した方が、相手にとっては嫌な時もありますよね。1-0で勝っていて、残り時間がもうないんだったら、パスを繋ぐよりも、とりあえずクリアしちゃった方が良いということもある」

――なるほど。

 「サッカーっていうのは、正解のないスポーツなので。時間帯によってもスコアによっても力関係によってもプレーの選択肢は変わってくる。大事なのは、どれだけ試合の状況を読んでプレーできるかだと思います」

――スコアや時間帯におけるプレーの選択ということで言えば、J1第3節・柏戦で、2-1とリードしていた70分に憲剛さんがドリブルをファウルで止められて、相手DFの中山雄太が1発退場になった場面が印象的です。そもそも、憲剛さんがああやってドリブルで仕掛けるのは珍しいですよね?

https://www.youtube.com/watch?v=_gwLQAUkvzA

 「あの時は、ポストプレーから良い形で抜け出して、僕が最前線でボールを持った状況になったんですよね。パスを出そうにも、自分の前には誰もいない。でも、相手陣内にスペースがあるし、DFは1人しかいないから、そこを抜ければビッグチャンスになるのは間違いない。どうしようかなと思いましたけど、股が空いているのも見えたから、思い切って仕掛けてみようと」

――あそこで退場に追い込んだことによって、柏の反撃のチャンスを摘んでしまった。ベテランらしい、老獪さを感じました。

 「僕が1番前にいるということは、自分の後ろには味方がたくさんいるということ。もしも失ったとしても、カウンターを食らう確率は低いですよね。だから、ある意味で失敗しても良いと思って仕掛けました」

――これまでのサッカー人生で、憲剛さんはどのぐらいの選択を下してきたんでしょうか?

 「どのぐらいだろう……。数え切れないでしょうね。1試合に何回決断をしているのかもわからないですし。サッカーって、自由だし、何をやってもいいじゃないですか。だからこそ選択って重要だし、それこそがサッカーの醍醐味なんじゃないかなと思います」

 2017年 9月 footballistaより

サッカー部 MUSANISTA #131 『 外に目を向けてみれば 』

 新型コロナウイルスの感染拡大がとどまるところを知らず、東京オリンピックはどうなるのか、様々な憶測が飛び交う中でこんなニュースが飛び込んできた。


「日本政府が東京五輪・パラの中止と結論」と英紙報道 2032年の開催目指す?
 
 【ジュネーブ共同】英紙タイムズ(電子版)は21日、今夏の東京五輪・パラリンピックを巡り、新型コロナウイルスの影響で「日本政府が中止せざるを得ないと内々に結論付けた」と報じた。
 「日本、コロナのせいで五輪脱出を模索」と題した東京発の記事。連立与党幹部の話として「既に1年延期された大会は絶望的だとの認識で一致している。今は次に可能な2032年大会の開催を確保することに焦点が当てられている」と伝えた。
 「誰も最初に言いたがらないが(開催は)難しすぎるというのが一致した意見」との情報筋の談話を紹介し、国際オリンピック委員会(IOC)と日本政府が表向きには五輪開催は可能と主張しているとした。
 大会組織委員会は英紙タイムズの報道について「政府、東京都、組織委、IOC、国際パラリンピック委員会(IPC)など全ての関係機関が、今年の夏の大会開催に完全に注力している。今夏の安全で安心な大会開催実現に向け、関係団体と緊密に連携し、準備に尽力する」とのコメントを発表した。

出典;東京新聞Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/81382


 実際にはどのような話になっているか、どのようになっていくか分からないが、大切なのはオリンピックが開催できるかどうかではなく、まずは新型コロナウイルス感染症終息に向け、精一杯努力できるかではないだろうか。近日は、こんなニュースも耳にする。


東京で新型コロナ変異種の市中感染か 英国滞在歴のない10歳未満女児

 厚生労働省は22日、東京都の10歳未満の女児が英国で拡大している新型コロナウイルスの変異種に感染したのを確認したと発表した。英国滞在歴はない上、滞在歴がある人との接触も確認できておらず、同省は「市中感染の可能性がある」として感染経路を調べている。
 ただし、これまで解析した都内の1400以上の検体からほかに変異種感染例が見つかっていないことから、厚労省の担当者は「面的に感染が広がっているとは考えていない」と述べた。
 女児に症状はないが、現在は都内の医療機関に入院している。
 このほか厚労省は、10日に英国から入国した30代女性の変異種感染も確認したと発表した。女性は13日に発症し、都内の医療機関に入院している。(共同)

出典;東京新聞Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/81498


 変異種が市中感染をしているかもしれないこの状況では、「自分が感染する可能性は低い」などと油断するのはやめて、「誰かが感染したらこの状況が長引いてしまう」「早くこの状況を収束させよう」とすべての人が自覚を持たなければならないと考える。
 第1波のとき、日の新型コロナウイルス陽性者は一桁まで少なくなった。緊急事態宣言の解除は「東京の一日の陽性者が500人未満」になるのが一つの指針のようだが、緊急事態宣言が解除されるのはいつの日になるのか。解除されたとして、その後の新型コロナウイルスの動向はどうなるのか。第4波が来るのか。これからも長い戦いになることを覚悟して、過ごしていかなければならない。

 

サッカー部 MUSANISTA #130 『 川崎のバンディエラ part1 』

 

 

 2021年元旦、天皇杯決勝戦。新国立競技場で行われた川崎フロンターレvsガンバ大阪の試合をもって18年間のプロサッカー選手にピリオドを打った中村憲剛選手です。紛れもなく日本を代表をする司令塔のひとりだと思います。正確なキックから繰り広げられる数々のスルーパス。試合を決定づける得点力。誰よりもピッチの上を走り回る豊富な運動量。チームを支える精神的強さ。ゴールパフォーマンスに見られるようなファンを楽しませるユーモアのセンス。誰からも愛され、フロンターレを誰よりも愛した「川崎のBKB(ボク カワサキの バンディエラ)」。今シーズンから中村選手のプレーをJリーグで見られなくなってしまうのは、本当に残念です。その中村選手が4年前にfootballista(雑誌)のインタビューにこのように答えていました。

 

——今回のインタビューでは中村憲剛が試合中にどんなことを考えながら、プレーを決断しているのかというのを聞きたいと思っています。試合中、実際に1本のパスを通したりシュートをするという時、どのぐらいの選択肢を持ちながらプレーしているものなんでしょうか?

 「それこそ、無数にしようと思えばできるんです。そこは難しいんですよね。開始直後なのかそれとも終盤なのか、勝っているのか負けているのか、(自分のいる)ゾーンはどこなのか……によって全部変わってくるので。ただ一つだけ、(選択肢が)1個だけにはしないようにしています。なるべく“決め打ち”はしたくないので、常に2、3個ぐらいは持っておくようにはしてますね」

——“決め打ち”というのは、「これをやろう」と最初から決めておくこと?

 「そうです。それをやってしまうと、ダメだった時に時間がかかってしまうので。ただ、ゴール前とかでは別です。ペナルティエリアの中でパスをもらった時は決め打ちすることもありますね」

——でも、基本的には2、3個ぐらいは用意していると。

 「そうです。相手がこちらの選択肢を消してきたとしても、それを上回れるように」

——ということは、一見何気なく出しているように見えるパスも、いくつか想定していたプランの中から選んでいる、という感覚なのでしょうか?

 「そういう時もありますし、ゲームの流れ、チームのボールの流れを止めないために、(プランにはなかったけれど)はたいて動かすこともあります。一番はゴールに向かうことだから。そこから逆算してプレーしないといけない」

——最短距離でゴールに向かう、というのがファーストチョイスとしてあって、それ以外の案も持っているということでしょうか?

 「そうですね。例えば、本当は(自分が)行きたいところにいる相手を移動させるために、あえてパスを出して動かしておいてそこに入っていく、みたいな。自分も意思があって相手にも意思があるので、それをうまくコントロールしながら、自分の突きたいスペースをあける。もちろん、いつも狙い通りにいくわけではないですけどね」

——なるほど。自分の理想の形に持っていくために、相手を動かすという選択肢があるわけですね。

 「僕がパスを出す時に、『こっちに出せ』とパスを受けた選手に『あっちが空いてる』とかやってるじゃないですか。それはもう次のプレーのイメージができていて、そこに入った瞬間に動き出す。ただ実際には、ちょっと(パスが)ズレて動き出せなくなって、それで選択を変えたり、動き方を変えたり。本当にちょっとのズレで局面はまったく変わってしまうので、そこはもう常に修正と選択の連続ですね」

——正しい選択をするためにやっていることはありますか?

 「それこそ試合前から、相手はどういうシステムで、どういうスタイルで、どんな特徴の選手がいるのかというのは頭に入れておきます。僕もキャリアは長いので、Jリーグの選手であればだいたいの特徴はわかりますから。そこで、どこを狙っていこうかと考えておきます」

——チームでスカウティングをやるだけじゃなくて、個人でもスカウティングをしていると。

 「僕以外にもやっている選手はたくさんいると思いますけどね。あとは、その情報を試合が始まってからアップデートしていく。前から奪いに来ているのか、ブロックを作ろうとしているのか。自分とマッチアップする選手がいたら、密着してくるのか、それとも距離を取ってくるのか」

 ——プレー中はめまぐるしく状況が変わっていくと思うのですが、どうやって把握しているのでしょうか?

 「ボールを持ってない時だったら、プレッシャーも何もないからいくらでも見られるじゃないですか」

——サラッと「いくらでも見られる」と言っていますが、普通の人には理解できない世界だと思うんですが……。それは憲剛さんが特別な才能があるからできるんでしょうか?

 「訓練次第でできるようになると思います。僕がずっとやっていたのが、遠くを見るようにすることです」

——「遠く」というのは具体的に言うと?

 「例えば、ピッチの真ん中にいるとしたら最終ライン、右サイドにいるとしたら左サイドの奥の方とか。そうやって遠くを見ておくと、自然と手前の方も見えるようになってくるんです。だから、パスをもらってサイドチェンジをしようかなと思って、そこがふさがれていたら一つ手前の空いているところにパスを出そうとか、そういうことができるようになる」

——それ、誰にでもできることじゃないと思います。

 「若くてもできるような選手はいるし、それはセンスだと思います。僕の場合は培ってきたというか、普段からそういう風にやろうとしていて、だんだん見えてきたという感じです。最初は遠くに蹴られるようになりたいなと思って、遠くを見るようにしていたら、だんだん見られるようになってきたというか

——それがいわゆる「視野の広さ」の正体なんでしょうか。

 「そうなのかもしれないですね」

——たまに、GKが出ている時にハーフウェイラインあたりからゴールを狙う選手がいますよね。

 「それはあんまりやらないですね。だって……ほとんど入らないでしょ(笑)。自分は、わざわざボールを失いたくない、正確にやりたいなというタイプなので」

——今はこうやって言葉にしてもらっていますが、試合中はそこまで考える時間はあるものなんでしょか?

 「う~ん。本当に瞬間的な判断だと思います。実際の時間からすると0.1秒とか0.2秒くらい。でも、自分としては、その時間の中でけっこう見えているという感覚はあります」

——0.1秒しかないのに、憲剛さんの中ではもっと長く感じる、と。

 「そうですね」

——ではここからは、憲剛さんがどのようにプレーを選択するのか、実際のシーンを見ながら解説していただきたいと思います。J1 2017年 第13節・浦和戦で阿部浩之選手に出したスルーパスです。

https://www.youtube.com/watch?v=egG08xRQDls

——このプレーを見てまず思ったのが、「いつ見てたの?」ってことなんです。だって、相手ゴールに背中を向けた状態で振り向きざまにワンタッチで出してるんですよ。ちょっと信じられない。

 「エドゥ(アルド)がボールを奪って、リョウタ(大島僚太)に出す。確か、その出す前に1回チラッと見たはず……(動画を見ながら)ここ! そこで、まず相手の最終ラインがどんな感じで、自分に来る選手がいるかを確認して。(動画を見ながら)ストップ! この時はリョウタに『こい、こい、こい!』って言ってます。自分の周りに(相手の選手が)いないのがわかっていたから、パスが来れば裏へ出せるチャンスがあるなと。それでパスが出た後に、前の状況がどうなっているかを見るために首を振ったら、阿部(浩之)ちゃんが相手CB2人の間に斜めに走り込んでいた。この時に、パスを出してシュートを打つっていう1秒後の絵が見えたんです。あとは僕がちゃんとパスを出すだけでした」

——会心の決断だったわけですね。

 「そうですね。本当に自分の思い通りでした。この試合の後に『あの1本で今日の仕事は終わった』って言ってましたからね」

——ちなみに他にも選択肢はあったんでしょうか?

 「最初はたくさん選択肢がありますけど、『自分にマークが来てない』→『DFラインの間が空いている』→『そこにFWが走りこんで来ている』と絞っていったイメージです。最終的にはゴールに行けると思っていたから、自信を持ってプレーを選びました」

——こういう、相手ゴールに向かってダイレクトにパスを出すのは、憲剛さんの得意技ですよね。

 「そうですね。だって、楽じゃないですか。1本のパスで点が取れるんだったら、それが一番いい。だけど、相手だってそこは警戒してくるので、簡単には通させてはくれない。だから横パスを出して揺さぶったりすることが必要になってくるんです」

——パスが通らなさそうだなと思っても出すことはあるんですか?

 「昔はダメそうかなと思っても出すことはありました。前の方に1人でシュートまで持っていけるジュニーニョのような選手がいた時は、その方が良い結果に繋がることが多かったんです。ただ、今は(成功確率が)フィフティフィフティでは出さない。それは(受ける選手の)能力が低いというわけじゃなくて、チームとしての方向性と言うか。オニさん(鬼木監督)は『出していい』って言ってくれているんですけど、より正確にやる方がいい、って30歳過ぎて自分の中で考え方が変わってきているので。逆に言えば、自分の中で『通せる』と思ってやっている。決して博打じゃないんです」

——パスを出す選手のキャラクターによって、プレーの選択肢も変わってくる?

 「全然変わってきます。例えば、さっきの阿部ちゃんへのパスの場面でも、もし足は速いけど、技術はあんまりないタイプの選手だとしたら、足下にピタッと出すのではなく、もっとスペースに走らせるようなボールにしていたと思います。阿部ちゃんの場合は、スピードを上げた状態でも確実にボールを止められるというのがわかっていたので、足下に出してあげるのが一番良いだろうと。そうやっていろいろな要素を頭に入れて決断をしています」

——1本のプレーに、ものすごい思考プロセスがあるんですね。

 「まぁ、後からだったら、いくらでも言えますから(笑)」

part2へ続く(次々回)➤

サッカー部 MUSANISTA #129 『 FCとSCの違い 』

 大宮武蔵野高校サッカー部の通称は'FC MUSASHINO'だ。顧問の阿部は、この'FC'についてこだわりがあると、昔言っていた。FC(フットボールクラブ)とSC(サッカークラブ)は、今ではほぼ同じような使われ方をしている。その違いをあえて挙げるとすれば、そのルーツだろう。

 フットボールは、Wikipediaによると、

『フットボール(英: football)は、チームスポーツの一群。程度の差はあるが、得点するために指定された相手陣地のゴールにボールを蹴り込む要素を含むチームスポーツの総称である。また、通常「フットボール」と呼ぶ場合、その地域で最も人気のあるフットボールの競技を意味する。日本で最も人気があるフットボールはサッカーであるが、サッカーを示すために単体でフットボールという用語はあまり使われずに、サッカーと呼ばれる。』

とある。ではなぜ、大宮武蔵野高校サッカー部があえて'FC'を使うのか。それは、その歴史にある。Wikipediaの「近代フットボールの確立」という項目には、

『フットボールは様々な形でブリテンの至るところで行われ続けていたが、パブリックスクール(その他の国での私立学校にあたる)は近代フットボール起こったことで広く認められている。まず初めは、パブリックスクールでそれまでの「群集」によるフットボールが、整理されたチームスポーツへと変化したことである。2つ目は、フットボールに関する初期の説明や言及の多くが、これらのパブリックスクールで学んでいた人物によって記録されたことである。3つ目は、パブリックスクールの教師、生徒、卒業生が、出身校間でフットボールの試合を行うことが出来るように、初めてフットボールの規則を法典化したことである。最後は、これらのパブリックスクールが初めて「キッキング」と「ランニング」(あるいは「キャリング」)を明確に分けたことである。』

さらに、
『イングランドのパブリックスクールでは、初めてフットボールの規則が法典化された。特に、18世紀末に彼らは初めてオフサイドルールを発明した。最も初期のこれらのルールでは、選手はボールと相手側のゴールの間にいる時は単純に「オフサイド off their side」とされた。選手は、足であろうと手であろうと前方にボールをパスすることは許されなかった。前方にボールを進める方法は足でドリブルするか、「スクラム」あるいは同様の「フォーメーション」の中で進めるかしかなかった。しかしながら、オフサイドルールはそれぞれのスクールで別に分化・発展していった。』

とある。この当時の「フットボール」は、手を使うことができ、いわゆる今日の「ラグビーフットボール」に近いものであったそうだ。現在でも、日本で「フットボール」といえばサッカーのことを指すが、アメリカ合衆国では、ほぼアメリカン・フットボールを意味し、カナダでは カナディアン・フットボールも表し、オーストラリアでは、地域によってラグビーまたはオーストラリアン・ルールズ・フットボールを表すそうである。

出典;Webページ『Wikipedia(フットボール)』の一部を抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB

 一方で、サッカーは、顧問の阿部に言わせると、「ブラジルのような速いパス回しやコンビネーション、個人技」が頭の中に浮かんでくるのだそう。ブラジルでは、子供のころから、道端でボールを蹴っては個人技を磨いていくイメージがある。遊びの中からボールタッチ、コンビネーションを磨くからこそ、将来ピッチに立った時に他の人には考え付かないプレーが見えてくることもある。また、国際的にはサッカーのことをFootballと表わす方が一般的である。そうでなければFIFA(Fédération Internationale de Football Association)も”FISA”になっていたはずだ。

 'FC MUSASHINO'が'FC'を用いるのは、サッカーのイメージのような「きれいな」「うまい」プレーを否定はしていないが、その中にもサッカーの源流であるラグビーのような「泥臭い」「身体をぶつけ合う」プレーを忘れてほしくないという気持ちが込められているからである。

(実は、顧問の阿部はもともとラグビーをやっていたそうです。ラグビーで役立つキックを身につけるためサッカーを始めたのですが、サッカーに魅了されサッカー1本で続けていくことに決めたそうです。そんなこともあり、今でもラグビーに近しい意味の「フットボール」という言葉を好んで使うそうです。)

 <FCを使用するチーム>

FCバルセロナ/FCバイエルンミュンヘン/アーセナルFC/リバープールFC/パリセンジェルマンFC/FCナント/セルティックFC/マンチェスターユナイテッドFC/マンチェスターシティーFC/ユベントスFC/FCインテルナツィオナーレミラノ/セビージャFC/FCシャルケ04/サンパウロFC/サントスFC/明和FC(キャプテン翼)など

<SCを使用するチーム>

SCインテルナシオナル/SCコリンチャンス/SCフライブルク/SCラインドルフアルタッハ/ポルティモネンセSC/SCブラガ/SCファレンセ/SCオリャネンセ/SCフェーレンヘーン/SCカンブール/SCバスティア/シャルルロワSC/南葛SC(キャプテン翼)など

サッカー部 MUSANISTA #128 『 愚直な闘将 』

 

 この険しい表情のサッカー選手をご存知ですか。私が大好きなサッカー選手のひとり、小笠原満男選手です。2018年シーズンで21年間に渡るプロサッカー選手を引退されてしまいましたが、日本サッカー界においては「黄金世代」と呼ばれる年代のひとりで鹿島アントラーズ黄金期を築き上げた選手です。小笠原選手と言えば、個人的にはやはり2001年シーズンのチャンピオンシップ。ジュビロ磐田との第2戦で90分間を戦い両チームとも0-0のまま延長戦に。当時の延長戦はゴールデンゴール方式(前後半を戦わずとも先に得点したチームの勝利)で行われていましたが、延長前半10分に決めた決勝ゴールの直接FKは、20年が経った今でも鮮明に覚えています。

 私が小笠原選手のことが好きな理由は、華麗な技術だけではありません。別の面にあります。次の文章は2019年1月にNumber Webに掲載されたもので、小笠原選手が小笠原選手である所以がよく表れています。以前のブログで「偉大な先人から見習うべきは、華麗なプレーだけではない」と書かせてもらいましたが、小笠原選手からも見習うことは沢山あると思います。

 

 

ー小笠原満男はいつも正直だった。悔しさを胸に戦い続けた男の引退。ー

◇職人のような人間臭さ。

 天邪鬼ともちょっと違う(その一面もあるかもしれないが)。勝つための仕事ができなかったときは、何を言っても言い訳になってしまうと考えている。だから、そういうときは話したくはない。逆に手放しに称賛されても自分が納得できていなければ、無邪気に受け入れることはできない。そんな小笠原に対して、「プロとしてどうなのか?」という声もあったのは事実だ。確かにそうかもしれない。

 それでも、私は昔かたぎの職人のような彼の人間臭さが好きだった。サッカー選手として誠心誠意ピッチ上での仕事と向き合う。だから、仲間たちからの信頼は厚い。対戦相手からすれば、手強く、悪役のような存在になったのも、自分の仲間、クラブへの忠誠心と勝利への貪欲さゆえ。そのことを改めて痛感する、そんな引退会見だった。

◇ベンチ外続きで「最後だな」。

 「自分がピッチに立って勝ちたいという想いがすごく強いので、それができなくなったときは、やめるときだと決めていた。だから、引退を決断するうえで、葛藤はなかったです。今季(2018年シーズン)ベンチ外が続いたときに、なんとなく、最後だなという気持ちが徐々に芽生えてきた。もちろん、その日が来ないように、少しでも長く頑張るという気持ちでやってきましたけど。シーズン終盤に試合で使ってもらえる機会も増えたんですけど、正直それは、同じポジションの選手が怪我をしたり、出場停止だったから。それなら若い選手、これからの選手が出るべき。アントラーズが強くなっていくために、自分が身を引くときがきたなと。膝の怪我が原因で引退を決めたという報道がありましたが、それは事実ではなくて、練習もしていたし、試合に出る準備はしていたけれど、出られなくなったから」

 8月中旬からリーグ戦6試合連続でベンチ外が続いた。ACLを勝ち進んで過密日程が続くなか、小笠原の心のなかに「引退」の文字が浮かんだのだろう。

◇中田、柳沢、本田の姿。

 しかしその胸の内を誰かに相談することはなかったという。そんな彼を支えたのはかつてクラブに所属したOBたちの姿だった。

「自分がいざ辞めるとなったときに、すごく感じたのは、偉大なOBの方々が最後までこのチームでやり遂げたという姿を見てきたので、自分もそれをするべきだと思いました。自分がなかなか試合に出られなくなって、ベンチから外れることもあったときに感じたのは、中田浩二の姿であり、柳沢(敦)さんや本田(泰人)さんの姿でした。中田浩二は最後のシーズン、なかなか出場機会がなかったけど、練習を1日も休むことなく、最後の最後までやったのを見ていたので、自分もそうすべきだと。もちろん悔しさもあるけれど、自分の気持ちとは関係なく、チームのためにやるというのは、最後の最後までやり通したかった。(大岩)剛さんには『特別扱いはしないでほしい』ということをずっと言ってきた。(現役時代から)剛さんの背中を見てきたこともあるし、剛さんだから我慢できたこともありました。本当に感謝しかない」

◇偉大なOBを真似しただけ。

 鹿島アントラーズに加入して以降、ずっと先輩たちの背中を見ながら成長してきた。最後も同じだったのだろう。

 「自分がやってきたことというのは、偉大なOBたちの真似をしてきただけなので。いいときも悪いときもどういう振る舞いをすべきかというのを、先輩たちから見て学んできた。OBたちが素晴らしかっただけで、自分が誇れることはない」

 出場機会を失ったベテランが他クラブへ移籍することは特別なことではない。鹿島アントラーズでも秋田豊や柳沢敦をはじめ、新天地へ挑戦した選手は多い。しかし、他クラブへ移籍して、プレーするという選択肢は小笠原にはなかったという。「他のクラブでやりたいというのは、まったく思わなかった。やっぱりここで、勝ってきたのが面白いし、タイトルを獲ってきたのがやり甲斐だった。他のチームでやるよりも、違う形でチームに恩返ししたいという気持ちが強くなった」

◇ゴールよりもPK失敗の記憶。

 そして、引退会見ではお馴染みの「記憶に残るゴールは?」という質問に対する答えが、まさに小笠原の本質を表現していた。

 「ゴールではないのですが、ナビスコカップ決勝のPK戦で僕がキーパーに止められ、失ったタイトルの印象が強く残っている。自分のインサイドキックのミスで負けてしまい、いろんな人の想いやいろんなことすべてが変わってしまった。ジーコからずっと、『PK戦は運ではなく、120分、90分間戦い抜いて、ボロボロの足の状態でも狙ったところに強いボールを蹴らなくちゃいけない。だから、練習でのインサイドキック1本でも真剣に蹴らなくちゃいけない』とずっと言われていた。それを身をもって感じました。練習から意識してやっていかなくちゃいけないし、クラブW杯でも思ったんですけど、止めて蹴るというのは、すごく大事だし、その精度をあげていかなくちゃいけない。なんとなくやった“止めて蹴る”と、高い意識でやるのとでは、だいぶ差がついてくると思うので」

 1999年のナビスコカップ決勝の柏戦でのPK戦。最後のキッカーだった小笠原のキックが止められて敗れた。その悔いをずっと背負い戦ってきたのだろう。

◇W杯予選での決勝ゴールも…。

 そして、ジーコジャパンを救ったとも言われるワールドカップドイツ大会アジア最終予選バーレーン戦での決勝弾についても「あれは小野伸二のゴール」と言い切った。

 「思い出深いゴールではありますけど、ずっとレギュラーだった伸二が直前に怪我をしての出場だった。自分としては複雑な想いがありました。伸二はいつか追いつき、追い越したいと思い続けてきた選手。その選手の怪我で代わりに出るというのは、思うところはあるんですけど、伸二は『ミツ、頑張れよ』と言ってくれた。悔しかったと思うんですけど。だからあれは、本来なら伸二が決めるゴールだったと思う。小野伸二の魂が宿りました。それだけ伸二には思い入れがあるので、頑張ってほしいですね」ゴールデンエイジと言われる1979年生まれの小笠原。1995年のU-17世界選手権メンバーでもあったが、彼の前には常に小野をはじめ、稲本潤一や酒井友之、そして中田浩二、本山雅志などのライバルたちがいた。1999年ワールドユース(現U-20W杯)の準優勝メンバーではあるけれど、2000年のシドニー五輪はメンバー外だった。日本代表でも中田英寿や中村俊輔など、ライバルをあげればキリがない。「彼らに負けられないという想いでやってきたので、彼ら、ライバルの存在が僕のモチベーションでした。そういう人達から、学ぶこともいっぱいあった。同期の曽ヶ端、本山、中田浩二や他クラブなら伸二や稲本の存在は大きいし、そういう人と一緒にやれたのは幸せなことでした」

◇逃したタイトルが何十個も。

 そんな小笠原にとって公式戦ラストマッチとなったのが、クラブW杯3位決定戦、リーベルプレート戦。2点差をつけられた76分、小笠原は内田篤人に代わりピッチに立った。

「最後の試合という特別な想いはなく、ただ、なんとか点をとって、勝ちたかった。やっぱり、最後にクラブW杯に優勝して終わりたかったので、悔しかった。でも、そういう想いで終わるのも自分らしいのかなって。悔いだらけです。獲ったタイトルもあるけど、獲れなかったタイトルが何十個もあるので。今年に限っていっても、ACLは獲れましたけど、ルヴァンも取れなかったし、JリーグもクラブW杯も取れなかったし。悔いばっかりです。代表でも悔しい想いをいっぱいしたし。自分の人生は悔しい、悔しいの連続で、ライバルもいたし、負けたくない、そういう想いで突っ走ってきたなって思います」

 11月のACL決勝戦前後に組まれたJリーグ対セレッソ大阪戦と、柏レイソル戦に小笠原は先発し、控え組の若い選手を率いて2連勝と、決勝戦へ挑むチームをあと押ししている。「あのとき、まだやれるという想いは芽生えませんでしたか?」と訊いた。「そういう変な感情はなかった。今だからこそ言うけれど、正直ACLに出たかった。それは僕だけじゃなくて、若い選手たちもそうだと思う。そう思うべきだし。でも、与えられたJリーグの試合で、今までベンチ外で一緒に練習した若い選手たちといっしょに戦って、やっぱり勝たせてあげたかった。彼らがどう思っているかわからないけれど、ピッチに立つこと、そこに立って勝つということを示したかった。そこで勝てたというのは、チームの財産になるのかなって思うし、みんなで勝つことができて良かったですけど、本音はACL決勝に出たかったです」果たした任務の達成感以上に、悔しさがまた募っただけだった。

◇印象的だった鋭い瞳。

 鹿島に加入した直後も、U-19の合宿でも、小笠原はにぎやかな選手たちを少し離れた場所で見つめている東北出身の寡黙な少年だった。印象的なのはその鋭い瞳だ。

 ピッチに立てばギラギラとするのだろうが、なにかを射抜くような瞳は、油断とは無縁の飢えた獣のように見えることもあった。そんな少年は、いつしかクラブの大黒柱に成長した。寡黙さは相変わらずなのかもしれないが、チームの中心に立つ太い柱となり、鹿島アントラーズの25年間を繋いだ。

 現役引退会見で、獲れたタイトルの数よりも獲れなかったタイトルの数を数える。それが小笠原満男だ。だから、彼はたくさんの勝ち点を奪い獲り、タイトルを手にしたのだろう。

◇みんなで喜ぶ瞬間こそ幸せ。

「鹿島アントラーズの全部が好きですね。しいて言えば勝ちにこだわり、みんながひとつになって、タイトルへ向かうところ。そこがすごく好きです。、何よりもタイトルを獲って、みんなで抱き合い喜ぶあの瞬間が、一番報われるときで、幸せを感じる瞬間なので。絶対にこのチームはタイトルを獲り続けなくちゃいけない。だから、普通のチームになっちゃいけないと思う。ずっとタイトルを獲り続けて、強くなってきたチーム。急に強くなったわけじゃないし。いろんなものを積み重ねてここまで来た。今後もタイトルを獲って、どんどん積み重ねてほしいから。今度は違う形でそれに関わりたい」

 悔しさを笑顔でごまかすことはしない。悔しいという想いをポジティブな力に変えてきた。勝利にこだわり、球際での強さを発揮できるのは、鹿島アントラーズへの忠誠心とクラブ関係者、サポーター、仲間に対する誠意の表れだ。そして、自身の飢えを埋めるためなのだろう。

 現役を引退し、立場が変わっても、勝利への渇望はこれからも続いていくに違いない。

2019年1月8日 Number Web(寺野典子氏)記事より

 

サッカー部 MUSANISTA #127 『 サッカーの雑学』

 今日はサッカーの雑学について、少しご紹介しようと思います。

〇サッカーの試合はなぜ90分なのか
 サッカーの試合時間が90分と決められたのは、イギリスでサッカーの選手権大会(FAカップ)がはじめて開催された1871年のことだそうです。それまでは、双方の合意で決めたりしており、延々三時間も続いたり、どちらかが勝つまで延長戦を繰り返したりということがあったそうです。この大会が90分と決まった以降は、それ以降の変更もなく、今日に至っています。
 ちなみに、当時はロスタイムはなく、何があろうと試合は90分ちょうどで終わったそうです。たとえば、1対0で負けていたチームが、終了間際に、ペナルティキックのチャンスを得たとしても、ボールを取りに行っているうちに時間が過ぎたら試合終了だということです。こんなことがじっさい1891年の試合であり、そこからロスタイムは採用されるようになりました。

〇サッカーのスローインは、なぜ両手でやるのか
 サッカーでは、ボールがタッチを割ると、両手でボールを投げ入れて競技を再開します。これが「スローイン」ですが、当初、このスローインは、両手ではなく片手投げでした。これが両手になったのは、1882年のこと。イギリスのウィリアム・ガンという強肩の選手の登場で、ルールが改正されたのです。クリケットの選手でもあったガンは、片手投げで60ヤード(約54メートル)もボールを投げることができました。こうなると、肩の強い選手がいるチームにとって、スローインは強力な攻撃の武器になります。なにせ当時は、スローインから直接ゴールを狙うこともできたのですから。しかし、こんな点の取り方が可能では、もはやサッカーではなくなってしまいます。かくして、スローインの攻撃性を弱めるために両手で投げ入れるルールが採用されたのです。ちなみに、現在のルールでは、「スローインから直接ゴールに入った際の得点」は認められていません。
 また、今回の全国高校サッカー選手権では、SNS上でロングスローを巡る論争が話題となりました。スローインを文字通り放り込むパワープレーが議論の的となりました。今後どのような戦術や対応が生まれてくるのか楽しみですね。

〇なぜ「サイドライン」ではなくて「タッチライン」と呼ぶのか
 サッカーやラグビーでは、ピッチの横のラインを「サイドライン」といわずに「タッチライン」と呼びます。何かに触れているわけでもないのに、なぜ「タッチ」というのでしょうか?その由来は、19世紀半ば、イギリスのパブリックスクールで、サッカーの原型となるフットボールが盛んにおこなわれていた時代にさかのぼります。当時は、ボールがサイドラインの外に出てしまったときは、外に出たボールを、誰よりも早くタッチした選手がスローインの権利を得ていたそうです。そんなことから、ラインの外側を「タッチエリア」と呼び、ピッチとの境界線を「タッチライン」というようになったそうです。

 出典;Webサイト『雑学トリビア王』より
https://m-mom.net/archives/1451
https://m-mom.net/archives/1453
https://m-mom.net/archives/1455

 

〇サッカーボールはなぜ白黒になったのか
 もともと、サッカーボールは革で作ってあることが多く、茶色であったことが多かったそうです。現在の白黒のサッカーボールになったのは、1968年のメキシコオリンピックからで、TVの普及が原因だそうです。当時のTVは白黒で、茶色一色のサッカーボールでは、白一色になり見えにくいという事態が起こってしまったんだそう。白い色を多めにすることで黒色が浮いて立体的に見えるのでTVでも見やすくなりました。また、「回転が見やすい」とか、「土のグランドでも見やすい」という理由も、白黒のサッカーボールが普及する原因になったそうです。

出典;Webサイト『Activeる!』より
https://activel.jp/football/PqKav

 

 サッカーの雑学、歴史に触れてみると、サッカーというスポーツに対して新鮮な目で見ることができますね。再度、サッカー部が開始できる日を楽しみに、その日を待ちたいと思います。

サッカー部 MUSANISTA #126(#118) 『 虚実 』

 皆さんは、「虚構新聞」の存在をご存知ですか。2004年から始まりもう20年近く続いているものですが、実際にありそうで実は存在しないネタをニュースとして掲載している個人運営のテキストサイトです。その趣旨は「読者にクスッと笑ってもらいたい」という思いからだそうですが、最近では、見出しから「明らかに虚構だ」とわかるように工夫をして、誤解を生まないようにしているといいます。たとえば、こんな感じです。

 

ー 漢字「傘」など使用自粛要請を検討 社会的距離を確保できず ー 2020年4月10日 記事

新 型 コ ロ ナ ウ イ ル ス 感 染 対 策 と し て 、 「 傘 」 や 「 卒 」 な ど 一 部 の 漢 字 に つ い て 、 政 府 が 使 用 自 粛 の 要 請 を 検 討 し て い る こ と が 1 0 日 ま で に わ か っ た 。 こ れ ら の 漢 字 は 、 中 に 含 ま れ る 「 人 」 と 「 人 」 と の 間 隔 が 狭 く 、 感 染 防 止 に 必 要 な ソ ー シ ャ ル ・ デ ィ ス タ ン シ ン グ ( 社 会 的 距 離 ) が 確 保 で き て い な い こ と が 主 な 理 由 。

 自 粛 要 請 の 対 象 と す る 漢 字 は 「 傘 」 「 卒 」 「 俎 」 な ど 1 0 字 前 後 で 調 整 し て い る 。 ウ イ ル ス の 感 染 拡 大 を 防 ぐ た め に は 、 人 と 人 と の 間 隔 を 2 メ ー ト ル 以 上 空 け る 「 社 会 的 距 離 」 を 保 つ こ と が 効 果 的 と さ れ る が 、 こ れ ら の 漢 字 は い ず れ も 人 の 文 字 が 密 接 に 隣 り 合 う 危 険 な 状 態 だ 。

 今 の 状 況 の ま ま 放 置 す れ ば 、 感 染 し た 「 人 」 が 漢 字 の 中 か ら 脱 落 す る な ど 漢 字 崩 壊 を 招 く お そ れ が あ る こ と か ら 、 感 染 が 収 束 す る ま で は 、 原 則 的 に 「 か さ 」 「 カ サ 」 の よ う に か な 表 記 に 置 き か え る よ う 要 請 。 ま た 、 使 わ ざ る を 得 な い 場 合 で も 、 人 の 部 分 を 2 メ ー ト ル 以 上 離 し て 書 く よ う 強 く 呼 び か け る 方 針 だ 。

 お こ と わ り : 社 会 的 距 離 を 保 つ た め 、 文 字 間 に 適 切 な 間 隔 を 空 け て 記 事 を 掲 載 し て い ま す 。 あ ら か じ め ご 了 承 く だ さ い 。

 

 あるテレビ番組の取材でサイト運営者本人が語っていたことが印象的でした。

 取材者:虚構とフェイクには違いがあるのでしょうか?

「フェイクと一緒にしてほしくはないです。大きく違うのは発信者の意図です。フェイクニュースは、政治的に都合のいい話を捏造して、特定の考えを広めたいという思惑があると思います。けれど虚構新聞は、笑ってもらえる作品をつくるという意識があります。読めばウソだと分かるよう工夫していますし、フェイクのように、読者の考え方をコントロールしようという意図は全くありません」

 その上でサイト運営者はこのように語られていました。

「この数年で『現実が虚構新聞を追い抜いている』と言われるようになりました。トランプ大統領の当選に、イギリスのEU離脱も、今までなら『それは無いだろう』ということが現実になるようになりました。大量の情報を受け取れる時代で、みんなが情報をそのまま受け取るんじゃなくて、一歩立ち止まって『これ虚構新聞じゃないか』と思ってもらえるという気づきがあるだけでも」

「“ニューノーマル”の時代と言ってますけど、“ニュー”とか無くていいんです。普通に“ノーマル”に戻ってほしいです。ネットで“バズる”とかも、もう、その言葉自体も古くさい気がしています。これからの時代には、『常識』という柱をもう一回しっかり取り戻してほしいですね。コロナが収まることも含めて、4、5年前のように世の中が淡々と続いている、普通の時代に戻ってもらうのがいちばんありがたいです。事実というのは基本的にすごく当たり前のことなので、魅力的ではないかもしれません。しかし、事実がしっかりと土台にあるから、虚構新聞のようなふざけた情報とかがあるのだと思います」

 

 サイト運営者も語るように、風刺やパロディーが成立しないような世にしてはいけないと思います。この虚構新聞が次のような”誤報”の謝罪をしなくて済むような時代が再び来るといいものです。そして、こんな時だからこそ「クスっと笑える」そんな話題で人の心を和ませたらと私は思います。2 m 離 れ て マ ス ク 着 け て (笑)

 

「2mのロングバトンも コロナ禍で「新しい運動会」マキャベリ小」についてお詫び

2020年9月12日配信の「2mのロングバトンも コロナ禍で「新しい運動会」 マキャベリ小」記事につきまして、同月27日、神奈川県相模原市の小学校にて長さ2メートルのバトンを使った運動会が実際に開かれたことが分かりました。虚構世界の現実を伝えることを目的とする本紙におきまして、記事が一部現実化してしまったことを、関係者と読者のみなさまに深くおわびいたします。

 27日配信の毎日新聞(ウェブ版)の記事「長さ2mのバトン、掛け声は紙で、競技はテレビ中継…コロナ下の運動会」によると、相模原市の市立田名北小学校で27日に行われた運動会で「ウレタン製の棒にビニールを巻いた長さ2メートルの「ロングバトン」でソーシャルディスタンスを保って行うリレーや、かけ声を発さずに紙に書いて掲げながら踊るソーラン節など、工夫を凝らした12のプログラムが催された」ということです。

▲「長さ2mのバトン、掛け声は紙で、競技はテレビ中継…コロナ下の運動会」(毎日新聞より)

 

▲「「新しい運動会」用に制作した2mのロングバトン」(本紙記事写真より)

 

 上記記事の配信後、本紙編集部には「現実に起きたことを伝えている。誤報ではないか」とのメールやSNS経由での問い合わせが計20件以上寄せられました。これを受けて編集部で両記事を比較検討した結果、ご指摘いただいた本紙記事は「誤報である」との結論に達しました。

 誤報と判断した主な理由は以下の2点です。

 (1)「コロナ禍で行われる新しい形の運動会」という記事全体の趣旨か酷似していること
 (2)本紙記事「長さ2メートルのロングバトン」の記述が現実の運動会で使用されたバトンと長さ・名称ともに全く同じであったこと

◇  ◇  ◇


 昨年の「ジョン・ケージ「4分33秒」トリビュート盤発売が決定」の誤報以後、編集部では記事の虚構性を保つため、記事のチェック体制強化や、配信ペースの見直しなどを行ってきました。

 しかし、記事公開後わずか2週間余りで現実を先取りしてしまう勇み足の報道となってしまったことは、言論機関として痛恨の極みです。コロナ禍という非現実的な状況下でスクープを得ようと急ぐあまり、現実で起こる可能性を甘く見積もった結果であると自ら断罪せざるを得ません。

 当該記事を執筆した社主UKは、編集部の聞き取りに対し「『コロナ禍でもなお運動会を強行するなら、こんなことになるからあきらめなさい』ということを逆説的に報じたつもりだったが、こんな悪ふざけみたいな競技を実際にやる学校が出るとは予想できなかった。全部コロナが悪い」と説明し、反省の態度を示しませんでした。

 このことから編集部では執筆を担当した社主UKに対し、10月1日から本社ビル地下3階地下牢拘留2日間(おやつ抜き)の処分を言い渡しました。なお十分なバックアップ態勢が整っているため、処分中も記事執筆及びサイト運営に影響はありません。

 日ごろ本紙を信頼してくださっている読者のみなさまにおかれましては、この度の誤報でご迷惑おかけしたことを改めておわびします。これまでの常識が通用しないコロナ禍においてはスクープを狙うより、まず読者のみなさまの安心と信頼を取り戻したいと考える所存です。(編集部)

【虚構新聞】 https://kyoko-np.net/

サッカー部 MUSANISTA #125 『 40分 』

 本日から、新型コロナウイルス感染対策として、始業時間の1時間繰り下げ40分授業が始まりました。皆さんは40分と聞くと、何を思い出すでしょうか。ラグビーの試合は前後半各40分で行われています。また、バスケットボールの試合は10分×4クオーター=40分。サッカーに関して言えば、高校サッカーの前後半は各40分で行われています。
 'FC MUSASHINO'の試合では、「いかに前後半の各40分を集中して、高いパフォーマンスで戦いきるか」というのを大切に戦っています。立ち上がり、ハーフタイム後、終了間際。集中力が低下しがちな時間帯に、声を掛け合って集中する雰囲気を作っていく。そんなことを試合前は声掛けしていました。
 話をはじめに戻します。普段の50分授業から、40分授業になって勉強はどのように変わるでしょうか。先生側から見ると、普段50分でやっている内容を40分でやらなければいけないので、「授業のスピードを速くせざるを得ない」ということや「授業で伝えたい内容が入りきらず削らざるを得ない」ということが起きてきます。今日一日授業を受けてみて、生徒側は、どう感じたでしょうか。「スピードが速くてついていけない!」と感じたでしょうか、「内容がスリムで理解しやすい!」「集中力が持続してなんだか理解しやすかった」と感じたでしょうか。いずれにせよ、この40分授業は少なくともあと3週間程度は続きます。早く40分授業に慣れ、リズムをしっかりとつかみましょう。
 ある実験では、『15分の短い学習を積み上げた方が、詰め込んで一気に勉強するよりも効果的だという結果』が出ています。この実験では中学1年生を「連続60分」「連続45分」「15分×3回=45分」の3つのグループに分け、英単語を覚えさせました。結果的に、「15分×3回=45分」で学習させたグループの子が最も学習効果を得られただけでなく、「連続45分」で学習したグループの方が「連続60分」で学習したグループよりも効果が出ていたことが興味深いと紹介されています。続いて、『学習の成果は、「学習の量」×「学習の質」』ということに言及し、『時間は限られている中で、より効果が高い学習方法を見出していく必要があ』ると述べています。
 出典;http://www.asahi.com/ad/15minutes/
    朝日新聞デジタル『勉強時間は短い方が好成績?』より

 まさに今、学校の授業は40分授業になってしまい、1日あたり60分の授業時間が削られてしまっています。そんな今だからこそ、試合に集中するのと同じように1分1秒無駄にせず授業に集中し、学習効果を高めましょう。学校にいる時間が短い分、家に帰ってからも復習をすると、学習効果が高まります。40分授業のデメリットばかりに目を向けるのではなく、臨機応変に対応し、メリットを最大限に生かすようにしていきたいですね。

サッカー部 MUSANISTA #124 『 1.17 』

 

 既にお気づきの方もいるかもしれませんが、部活が中止になってから毎日ブログを更新しはじめました。以前、緊急事態宣言が発令されて臨時休業になった時もさせてもらいましたが、今回も”部活”の代わりにブログ更新を続けていきたいと思います。

 本日は、1月17日。もしかしたら、若い世代の中には「えっ、何それ??知らない」と平気で言う人もいるのでしょうか。今日から26年前、この国では大変なことが起きていました。

【観測史上初の震度7 死者の6割が60歳以上】

 1995年(平成7年)1月17日火曜日、午前5時46分。兵庫県南部地震が発生。国内史上初の震度7が観測。関連死を含めた死者が6434人、住宅被害が約64万棟の大震災。家屋の倒壊などで大勢の方が亡くなり、厚生労働省の調査では1995年1月~6月の死者のうち窒息・圧死が77%に達する。また、被害は高齢者に集中し、神戸市では死者のうち60歳以上が59%だった。

【被害総額9兆9268億円 国予算のほぼ1割の規模】

 大都市直下型の地震による経済被害は甚大で、被害総額9兆9268億円は国の予算規模のほぼ1割相当。2011年3月11日に発生した東日本大震災の被害総額は約16兆9000億円と推測されている。

【神戸市では7人に1人が避難】

 震災から6日目の1月23日、1153の施設に31万6678人が避難。自治体は、学校などの公共施設を避難所に指定していたが想定を超える避難者が出たことで、多くの人が指定外の公園や民間の建物に身を寄せた。多くは避難所に追加指定されたが、当初は救援物資や食事が配給されなかったケースもあった。

【供給網はずたずたに】

 寸断されたライフライン。神戸市全域で水道が復旧したのは発生から3カ月後だった。蛇口をひねっても出ない水。消えたままの街の灯り。繋がらない電話。ライフラインは、一瞬にして途絶えた。配水管を中心に被害を受けた水道は、兵庫県内の10市7町(当時)で全給水戸数の90%にあたる126万6000戸が断水。電気は約4000本の電柱が倒れたが、震災7日目の23日には倒壊家屋を除いて復旧。ガスは全国155事業者が応援、延べ72万人が復旧にあたり、震災3カ月を待たずに完了。

 神戸市内の水道は震災直後、ほぼ全域で断水。東京、大阪など全国各地の水道局の応援を受けながら復旧作業を進めたが配水池から各地域に水を流す配水管は約4000kmもある上、水が漏れている場所の特定から始まり、作業は難航。配水車による水の配給もあったが飲料など最低限に限られた。川の水で洗濯する人もおり、トイレやお風呂など生活用水の確保という課題を突き付けられる。

【東西の高速移動網が回復するのに622日かかる】

 阪神高速神戸線では走行中の運転手らが犠牲に。神戸市東灘区では橋脚が折れ、635mにわたって横倒しになる。衝撃の映像が被害の象徴として世界に発信され、今日でも繰り返し映し出される。

 JR六甲道駅はホームと上屋が倒壊し、阪神電鉄は8か所で高架が落下。神戸と大阪を結ぶ鉄道3線の上通で1日45万人の足が奪われる。復旧は急ピッチで進み、山陽新幹線は4月に運転再開。8月23日の六甲ライナーをもって、被災地の鉄道はすべて復旧。

【1793億円を超える善意】

 全国から集まった義援金は総額で約1793億円。当時としては戦後最多。義援金は「被災者の当面の生活を支えるもの」として位置づけられ、被災状況を確認した自治体では2月1日(震災から15日後)から支給が始まった。しかし、当時戦後最大規模で集まった義援金も、1世帯当たりに均等配分したとすると約40万円。雲仙普賢岳噴火災害(1990年)の約3219万円や新潟県中越地震(2004年)の216万円に比べると大きく下回る。そのため、被災者の多くは災害援護資金などの貸付制度に頼らざるを得なかった。

【167万人が被災地へ】

 被災地では震災直後の1年間で138万人、多い時で1日2万人が活動し、被災者を支援するボランティア団体やNPOが数多く生まれた。1995年は後に「ボランティア元年」と呼ばれるようになった。

 阪神・淡路大震災がきっかけに定着したボランティア。地震だけでなく、豪雨災害の被災地など、活動の場は広がり、復旧・復興に欠かせない存在になってきている。こうした市民活動を支援する機運が高まり、自治体がさまざまなボランティア助成金制度を設ける。災害時の緊急支援、そして息の長い活動に向けてノウハウの確立や人材の配置と育成、資金・資機材の調達などさまざまな課題もある。

【4万8300戸 前例のない仮設住宅の大量供給】

 地震発生の3日後、神戸市では仮設住宅の建設が始まる。問題になったのは、建設用地。被災地内だけでは土地が足りず、大阪府内や姫路、加古川市など18市11町に広がる。仮設住宅の発注は震災の日から始まり、兵庫県民向けに4万8300戸が発注された。神戸市では最初の入居が震災から16日後の2月2日だった。仮設住宅が入居ゼロになったのは、2000年1月14日。震災から1823日後だった。当初仮設住宅を設ける期間は原則2年とされており、設定期限は3回も延長された。仮設住宅を経て自力で住宅を確保できなかった人たちには、災害復興用の公営住宅が用意された。災害復興公営住宅などの供給戸数は4万2137戸。うち2万5421戸が新規に建設された。

【多くの人が住み慣れた街を離れた】

 仮設住宅や新規に建設された災害復興公営住宅は、建設用地の確保が難しく、湾岸の埋立地や人工島、郊外のニュータウンや工業団地の空き地などを利用するしかなく、住み慣れた地域を離れたくない被災者とのミスマッチから、優先度が高い高齢者世帯も抽選から漏れることが珍しくなかった。

【2人に1人が高齢者】

 2013年11月時点で、災害復興住宅の高齢化率は49.2%、単身高齢世帯率は45.4%。一般県営住宅は28.6%、23.8%に比べ極端に高くなっている。高齢化率70%の復興住宅もあり、そうした住宅では自治会の担い手不足からコミュニティーの活力低下が深刻化。住民の交流行事だけでなくゴミ出しや清掃と言った活動も難しくなっている。

【『震災を経験していない』2021年には5割に】

 神戸市では震災を経験していない市民の割合を算出している。震災を経験していない市民の割合は増加しており、震災から26年の2021年には市民の半数が震災を経験していないことが考えられる。阪神・淡路大震災後の採用が職員の約半数を占める神戸市では、「20年以後」を見据えている。小中学生向けの教材として、震災当時の体験を家族から聞き取れるワークブック形式の教材を作成するなど、若い世代へ記憶を伝える試みをしている。

1月17日 神戸新聞より

 

 神戸の人たちは、こんな苦難を乗り越えて今日までやってこられました。今、この国は再び危機的状況です。医療・経済・教育・スポーツ・生活・・・すべてが共に同じ方向を見るのは、恐らく難しいのでしょう。それでも数年後には、神戸市と同じように新型コロナウイルスの世界的感染拡大に対して取った国民の行動や日本はどうやって長期に渡る感染拡大を終息させたのか、世界と日本との違いは何だったのか、そして今回のことで得た教訓を私たちは堂々と後世に伝えていけるのでしょうか。

 

サッカー部 MUSANISTA #123 『 学ぶ姿勢 』

 新型コロナウイルスの蔓延に伴って、リモート授業やリモート会議、在宅ワークが増えてきている。去年卒業のサッカー部OBに話を聞くと、大学や専門学校で「多くの授業がいまだにリモートで行われている」という話を聞く。また、ある会社に勤める友人は、1度目の緊急事態宣言の際に在宅ワークに切り替えられたが、緊急事態宣言解除後にも「会社に出社しなくても仕事ができる」と認められ、むしろ「今後ずっと基本的には在宅ワークをしてくれ」と言い渡されたそうだ。

 そんな時代、環境において、大切な力の一つに「自律力」があると考える。リモート授業では、自分が好きな時間に授業の動画を見てレポートを書く授業がある。在宅ワークではだれも見ていないところで、誰の目もないところで仕事を進めなければならない。ここでは、「自分を律して」やるべきことをやらなければいけないということになる。のんびり過ごして動画を見ずレポートが出せない、ということがあれば当然単位は出してもらえないし、在宅ワークで仕事が期日に間に合わないようなことがあれば当然怒られ、最悪減給になることもあり得るだろう。結局、ツケを払わされるのは自分なのだ。

 そんなことにならないためにも、学校ではいろいろなことを教えている。「計画力」、「計画通りに実行する力」、「振り返る力」どれも大切な力であると思う。私は、これらの力を身につけるためには、言われたことをやっているだけでなく、「自分で考え、自分を律して行動する」ということが不可欠であると考える。今の部活がない状況は、まさにそんな力を伸ばすのに絶好なタイミングではないだろうか。
 部活では、まさに「計画を立て、実行に移し、振り返りをする」という「Self Training Note」を課している。また、部活がないことで家に帰ってから自学する時間が十分に取れることを考えると、まさに「自律力」を鍛えるのにピッタリの状況なのだ。家に帰ってからに時間を無為に過ごすのではなく、自分で計画を立て、自分で立てた計画を実行するという繰り返しが、こういった力を育む為にとても良い勉強になる。
 「学校で教えてもらえないから勉強ができない」と嘆くのではなく、こんな状況だからこそ伸ばせることを自ら伸ばすように努力してみてはどうだろうか。

サッカー部 MUSANISTA #122 『 魂のストライカー 』

 

 本日は、ひとりのプロサッカー選手をご紹介したいと思います。先日、現役選手を「ひとまずお休み」されることを再び決めた中山雅史選手です。サポーターからは「ゴン中山」「中山隊長」の愛称で親しまれています。最近では、スポーツ番組やニュース番組などにゲスト出演されていることでご存知の方も多いかもしれませんが、日本人ストライカーの中で、私はこの人を超える選手はまだいないと思っています。例えば、実績で言えば4試合連続ハットトリック(2016年まで世界記録)、国際試合における最短ハットトリックのギネス世界記録、2016年まで通算J1最多得点記録保持者(157得点)、Jリーグシーズン最多得点記録(36得点/27試合←昨年得点王だった柏レイソルのオルンガ選手は28得点/32試合)、W杯日本代表初ゴール、2002年日韓W杯日本代表10番など数々の偉業を成されています。プレースタイルは、泥臭く、鋭いゴール嗅覚、誰よりも執念深く、そこに血の滲むような努力とボールを持たない時の冷静な動き。人を驚かせるような華麗なプレーや特出した身体能力は見られないかも知れませんが、私はまさしく#9の選手だと思っています。スポーツライターの二宮清純さんは2013年に中山選手についてこのように書かれています。

 

“魂のストライカー”がプロ19年間の現役生活に幕を下ろした。昨年12月、コンサドーレ札幌のFW中山雅史が引退を発表した。中山はジュビロ磐田のエースとして、チームの黄金期を支え、Jリーグで3度の年間優勝に貢献。リーグのMVPを1度(98年)、得点王を2度(98、00年)獲得している。J1通算157得点は史上最多だ。日本代表でも中心選手として活躍し、W杯には2大会(98、02年)に出場を果たした。近年の日本サッカーの歴史は、中山の存在抜きには語れない。彼の代表での21ゴールの中から特に印象に残る2つのゴールを、11年前の原稿で振り返る。
<この原稿は2002年6月発行の『英雄神話』(徳間書店)に掲載されたものです>

 もし“日本代表魂”というものがあるとしたら、あの時に生まれたのではないか。
 私はそう確信している。

 1993年10月18日ドーハ・カリファスタジアム。
 アメリカワールドカップ、アジア地区最終予選。日本代表の“スーパーサブ”である中山雅史はイラン戦の後半28分に投入された。0対2と2点のビハインドで迎えた敗色濃厚の後半43分、中山は福田正博がタテに出したボールをラインを割る寸前にスライディングして止め、そのまま角度のないところからポストぎりぎりに振り向きざまのシュートを決めてみせた。それが最終予選における代表の初ゴールだった。「行ける! まだ行けるぞ!」ボールを小脇に抱えた中山は、チームメートを大声で叱咤しながら、センターサークルに走った。逆転こそならなかったものの、この中山の気迫が、意気消沈していたチームに喝を入れた。続く北朝鮮、韓国戦に連勝し、オフトジャパンは最後のイラク戦にアメリカ行きの望みをつないだ。中山の闘志が死に馬を走らせたのである。
 そして迎えたイラク戦、日本は中山の2点目のゴールで勝ち越すが、ロスタイムで追いつかれ、搭乗手続きまですませていたアメリカ行きのチケットを手から滑り落としてしまうのである。俗に言う“ドーハの悲劇”である。その瞬間、ベンチに下がっていた中山は天を仰ぎ、身も世もないとばかりに顔を覆った。放心と絶望が硬直した全身を包んでいた。

「1993年10月、サッカー日本代表」と書かれてある古いノートが手許にある。帰国直後、本人にインタビューを試みた。今読み返しても、中山の無念さが伝わってくる。
――聞きにくいことだが、あの(同点に追いつかれた)瞬間の気持ちは……。
「……ぼくはあの瞬間、自分の情けなさを痛感しました。なぜなら、あそこでベンチから仲間に“まだ時間はあるぞ!”と冷静に声をかけられなかったからです。たとえベンチにいても、ぼくはイラン戦のように振る舞わなければいけなかった。それができなかったのは、自分がまだまだ発展途上の証拠だということでしょう。今は神から与えられた試練だと思うことにしています」

 中山は忘れているだろうか。私はこの時、折りたたみ式のカサを彼にプレゼントした。インタビュー相手にプレゼントを持って行ったのは、後にも先にもこの時しかない。それくらいイラン戦でのプレーに深く感動したのである。自分の気持ちを、何かにたくそうとして折りたたみカサを思いついた。「人生、晴れた日ばかりじゃないから……」そう言って手渡すと、中山は例の人懐こい笑みを浮かべてこう言った。「雨、雨、降れ、降れ、もっと降れ……くらいの強い気持ちが必要なんでしょうね。今回はワールドカップに出られなかったけど、30歳がダメなら34歳、34歳がダメなら38歳……諦めさえしなかったら、いつか夢はかなうと思っています」

 5年後、フランス――。1998年6月、日本は初めてワールドカップに出場したものの、アルゼンチンに続いてクロアチアにも敗れ、早々とグループリーグ敗退が決まった。やはりというべきか、世界の壁は厚かった。残るはリヨンでのジャマイカ戦のみ。グループリーグ敗退が決まった時点で、日本代表の目標は「悲願の初勝利」に切り替わった。そのためには、まず1点をとらなければならない。なにしろ2試合を戦い終えても、日本は依然としてスコアレスのままなのだ。遠いゴールは、改めてストライカー不在を浮き彫りにした。余談だが、岡田ジャパンは結果(ゴール)よりも手続き(システムや戦術)を大切にする空気があり、さながらそれは、ひとつ決め事をするのにハンコが5つも6つも必要だったり、まっさらな稟議書が役員の机に届くまでには真っ黒になっていたりするこの国の社会システムにも似て、ストレスを内包するものだった。0対2で迎えた後半29分、日本の初ゴールは中山の右足によってもらたされた。呂比須ワグナーのヘディングを、それこそ全身の力を右足に凝縮してネットに突き刺した。彼らしい実に泥臭い、だからこそ胸が震えるようなゴールだった。ゴールを決めた中山は、すっくと立ち上がって、同点、そして逆転を信じてセンターサークルに走った。5年前のイラン戦のシーンが、私の脳裡のスクリーンに上映された。
 イラン戦しかり、ジャマイカ戦しかり。中山のゴールはチームに勝利をもたらせるものではなかった。しかし、と思う。あの2つのゴールは、この国の代表が未来を築く上で、なくてはならない“捨て石”ではなかったか。

 一矢を報い、万兵を挙す――。魂のストライカーに、敬意を込めてこの一語を捧ぐ。

 今、サッカーをしている子たちにどのくらいの子が中山選手のようなメンタリティ(情熱?魂?愛情?執念?哲学?こだわり?夢?目標?)を持って日々サッカーに打ち込んでいるのでしょうか。偉大な先人から見習うべきは、華やかなプレーや綺麗なプレーばかりではないと私は思います。きっと、中山選手は少しの間「お休み」されたら、またいつかきっと、どこかのチームでゴールを追い求め始めるのだと私は期待しています。

 

この度、アスルクラロ沼津の現役選手のトレーニングをひとまずやめて、ジュビロ磐田のコーチとして活動する事に決めました。

2015年から2020年の6シーズン、ほぼリハビリで過ごしましたが、U 18のコーチをこの2年間させていただき、

日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会にも出場し、子どもたちの成長を見ることができた事を幸せに思います。

またいつか沼津に戻る事があるかもしれません。

その時は、よろしくお願いします。

ありがとうございました!!               2021年1月13日 アスルクラロ沼津HPより

 

サッカー部 MUSANISTA #121 『 さりし日々とこれから』

 年も明け、「さあ、今年も頑張ろう」に続く言葉が、「新型コロナウイルスの終息に向け、今年も頑張ろう」になるとは、なんとも悲しいことです。政府は再度、「緊急事態宣言」を出し、学校にも、部活動の原則中止、時差登校などが指示され、様々な面で影響を受けています。昨日の更新でもお伝えしたように、'FC MUSASHINO'はこの部活中止期間を過ごすにあたって「自主練習」と位置付け、各自でコンディションの維持をするように伝えています。前回は、完全に休校だったので部員に任せっきりでしたが、今回は学校に登校しているので確認はできます。各自今やるべきことをしてくれるよう、指示を出しています。

 

 さて、今回も緊急事態宣言が出され部活動ができないということで、HPを更新しています。前にもこんな形でHPを更新したことを思い出し、久しぶりにHPを見返していたら、こんなことを更新があったことを発見しました。

『街中を見ると、色んなところで「8割削減」の努力を目にします。販売店では、列に並ぶ人の間隔を社会的間隔(2m)に近づけるために目印が付けられました。レジの前には、透明なカバーが設置され飛沫感染を防ぐ対策がなされました。店舗によっては、入場制限を敷いて店内の人数を制限する対策を取っている所も出始めました。学校から帰宅する時には、暗い中をジョギングする人たちをよく見かけるようになりました。私達は、それぞれが”本気で”感染拡大予防対策に講じなければ、5月の連休明けから学校再開というのは、正直とても厳しいのではないかと感じ始めています。

 専門家のある人は、「今はまだオーバーシュート(爆発的な感染拡大)には至っていない。でも、このまま行けばそれは間違いなく免れない。」と話しています。そんな事になれば、現在でも大変な医療現場は益々切迫した状況になるでしょう。そうなれば、コロナウイルス以外で医療を必要としている人達さえも十分な医療を受けられず、苦しみ困る人が増えるでしょう。医療に携わる人達は今、自分や家族を顧みることなく私達の安心安全を保障してくれています。そうした人達を守るためにも、私達は行動を慎むべきだと思います。』
( 2020/04/12更新 MUSANISTA #52 『 80%off 』から抜粋 )

 1度目の緊急事態宣言が出されて間もないころ、感染予防拡大防止のために多くの場所で対応に追われました。いまや、間隔をあけさせていない販売店はないし、レジ前の透明なカバーが無いような店も数えるほどしかなくなっています。しかし、感染拡大の第3波はとどまることをしりません。これはなぜでしょうか。私は、やはり今よく言われている「コロナ慣れ」が大きな原因ではないか、と思います。各個人の「この程度なら大丈夫なのではないか」「みんなやっているし大丈夫ではないか」「店が開いているし大丈夫ではないか」という判断が、社会を動かし、この状況を生んでいると考えます。
 今、まさに、医療現場がひっ迫し、『コロナウイルス以外で医療を必要としている人達さえも十分な医療を受けられず、苦しみ困る人が増えるでしょう。』という状況になっています。さらに言えば、コロナウイルスで苦しんでいる人も入院できなかったり、ホテルに入れず自宅療養を余儀なくされている状態も出てきているそうです。

 

 巷では、「緊急事態宣言を出すのが遅かった」などという意見も出ているようですが、変えられるのはこれから先のことしかありません。逆に言えば、『今からの行動で未来を変えることができる』ということもできます。これを読んでいる皆さんも、「コロナ慣れ」に注意して、できる限り感染拡大防止に努めましょう。月並みな言葉ですが、ひとり一人の行動が、未来を変えていくことは間違いありません。今やるべきこと、今は我慢すべきことをしっかりと判断し、行動していくよう、お互いに気を付けていきましょう。

サッカー部 MUSANISTA #120 『 30日間 』

 FC MUSASHINOは、この部活中止期間を過ごすにあたって「自主練習」と位置付けました。少しでも何か自分自身でできる事をやって30日を過ごした場合と、何もせずにただ30日間過ごした場合とでは2月7日以降がまったく違ったものになるだろうという話をしました。たかが1日60分だけでも週に6日として約4週間=1,440分。普段の練習が2時間(120分)だとしたら12日分。少し頑張って1日90分のトレーニングをし続けられたら=2,160分、つまりは18日分のトレーニング時間を過ごせたことになるわけです。これがもしも、毎日120分のトレーニングを週6日、30日間続けられたなら…24日分にもなります。逆に考えれば、それだけの時間を無駄に過ごしてしまうことにもなるわけです。そこで、私たちは昨日から毎日「Self Training Note」を書くことを始めました。目的は、①コンディショニングの維持②トレーニング状況の把握③生活習慣の見直しです。予めその日の自主練習内容を自分で考え、実際に実施したトレーニング内容を記録して週の最後に1週間を振り返るという日誌です。早速、今日の放課後からそれぞれのノートを見せてもらいましたが、ある部員の昨日のトレーニングは10kmのランニングと筋トレ(腕立て伏せ/腹筋/背筋/スクワット)、ストレッチというメニューでした。中にはスマホアプリを利用して実際の走行距離や走行ルートを地図上に記録させられるようなものをやっていた部員もいました。大切なことは、継続すること。運動負荷を適切にかけること。コロナウイルス感染対策を忘れないことです。およそ30日間の、もしかしたらもっと長い道のりかも知れませんが…部活が再開される”その時”を信じて頑張り続けて欲しいと思います。

これは絶対に俺がやらなきゃ駄目なんだ

最も重要なのは体の中心…足腰である 強靭な足腰で体を安定させることは正確な攻撃と崩れぬ防御へと繋がる

 

サッカー部 MUSANISTA #119 『 前へ 』

 昨日の決勝戦は、皆さん御覧になりましたか。今回は、私もテレビの前で観させてもらいましたが昨年までは部員と一緒にスタジアムのスタンドで観ていましたので、試合が終わってこの試合もやっぱり現地で一緒に観たかったなとすごく思った試合でした。

 細かいことは置いておきますが、私が印象強く残ったのは①山梨学院高校の執念②青森山田高校の強さ③戦略力でした。どれも言葉で表すのは簡単な事なのですが、それをプレーで表すのは容易な事ではありません。後半や延長戦に青森山田高校のシュートが何本もポストに当たったり決定的な場面もいくつもありましたが、私は単にアンラッキーの一言では済ませられないものがあったのだと思います。同点ゴールとなる2点目を決めた山梨学院高校の#10野田武瑠選手も試合開始から両足にテープをいっぱい貼った状態で挑んでいました。それでも試合終盤のあの時間帯にあそこへ走り込んで左足でのダイレクトシュート(その後攣ったのも左足でした)。彼だけでなくここまで勝ち上がってきたのですから恐らくどの選手も満身創痍だったと思います。それでも彼らのそれを凌駕させるものは一体なんだったのでしょうか。青森山田高校も惜しくも準優勝に終わってしまいましたが、3年連続で全国の決勝戦まで勝ち上がるなんてチームが現代の高校部活動において他にあるのでしょうか。青森山田高校の皆さんには失礼かもしれませんが、私はそれだけでも物凄い事だと思います。それは、まさしく「真に強い」チームだからではないかと思います。個々の上手さが取り沙汰される事が多いようですが、コンビネーションプレーやセットプレー等の多彩な得点パターン、そこにあれだけの攻撃をしながらも延長戦まで走り切れる体力、守る側としたらこれほど嫌なチームはないんじゃないでしょうか。個人的には、試合後の青森山田高校#10松木玖生選手の表情をテレビで見ていて、今から100回大会が楽しみになりました。最後に戦略力です。これはこの決勝戦に限った事ではありませんがどのチームも対戦相手を緻密に分析して、対策を練って試合に臨んでいました。この試合では、山梨学院高校が青森山田高校のCBだった藤原選手にマンツーマンDFの奇策をしたと報道されていますが、2018年W杯予選リーグのドイツ対メキシコでメキシコ代表が似たような戦術を取り、前回王者に1-0で勝利するという試合があったのを思い出します。また、これは私の勝手な憶測ですが山梨学院高校は準決勝の帝京長岡高校との試合では、試合立ち上がりをポイントのひとつとしていたのではないでしょうか。特に前半は、帝京長岡高校が太陽を正面にしての12時キックオフでしたのでGKとしては陽が目に入ることも計算に入れての開始早々のミドルシュートだったのではないかと思います。個々の能力、洗練されたチームとしての組織力、目には見えづらい勝者としてのメンタリティ。前回大会の青森山田高校と静岡学園高校の決勝戦も見応えのあるとても良い試合でしたが、今回の決勝戦もすごく面白い試合でした。私には、勝者も敗者もない、サッカーを心から愛する人たちの試合でした。

 さて、私たちは2月初旬まで皆で一緒に練習をすることはありません。暫くの間、「自主練習」という形になりますが、この期間を有効に活かして、来る春に向けて力を蓄えていきたいと思います。

 

サッカー部 MUSANISTA #117 『 新たな一年 』

 新年明けましておめでとうございます。お陰様で昨年はこの"MUSANISTA"も10,000人以上の多くの方に閲覧してもらうことができました。本当にありがとうございました。正直HPをこんなにも多くの方が利用しているなんて思いもせず、とても驚いています。今年も皆さんに注目してもらえるよう顧問部員共々頑張っていきたいと思います。

 令和3年が始まり一週間が経ちましたが、皆さんの歳はじめはどのような毎日だったでしょうか。私たちは、この冬休み、満足に活動が行えたわけではありませんでした。昨年末12月25日から1月2日までの間は、部活が中止を余儀なくされ、例年なら近隣フェスティバルに参加したり試合練習を重ねながら新人戦に向けてトレーニングを積んでいましたが、まったく行えませんでした。それでも、昨日までは1月16日から開催予定だった新人戦に向けて4日から練習を再開していました。まずはこの中止期間に低下したコンディションを1日でも早く元に戻すために足を動かすメニューを多めにトレーニングを続けていましたので、部員の中には疲労や筋肉痛が酷かった者もいたようです。ですが、皆さんもご存知の通り1月7日に緊急事態宣言が1都3県に発令され、それを受けて部活動の活動にも制限が加えられました。そして昨夕、埼玉県も新人戦支部予選を2月8日以降に延期することが決まり、再び部活動は中止という事になりました。

 今のこの国内状況を見れば「少しでも感染リスクを避ける行動をとること」は当然のことだと思います。先月末には、日本医師会会長が「どんなことでも出来得る感染予防対策のすべてを行って欲しい」と国民に向けて訴えかけていました。ただその一方で、「サッカーができない」辛さ、寂しさ、つまらなさ、苦しさ、苛立ちも抱きます。今はサッカーを教える立場の身ですが、私自身も小学生の時からサッカーをやってきていましたので当時の自分が今の高校生と同じ境遇に立たされたらと考えると…想像もつきません。当時は私にとってサッカーがすべてでサッカーを中心に毎日を過ごしていました。食事も睡眠も授業も余暇もすべてはサッカーのためにありました。生活の一部であり本当にすべてでした。当たり前に行えていたことが、突然奪われてしまう。こんなに苦しいことはないんじゃないでしょうか。「奪われる」という表現を使いましたが、恐らく当時の私ならそんな感情が正直なところだったはずです。

 新型コロナウイルスがこれだけ長期に渡りなかなか終息しないのは、感染してすぐに症状が現われない、つまり毎日のように報道されている新規感染者数は2週間前の状態であり現在の状態は2週間後にならないと分からないこと。また、感染しても無症状の場合も多く本人が気づかぬうちに感染を広げている可能性があること。そして、欧州で拡大している変異型のコロナウィルスも新たに出現してきたことだと認識しています。

 教える立場になった今でも「サッカー」が私の核であることに変わりはありません。ひと月でも1週間でも1日でも早く、彼らと一緒に再び思いっきりサッカーが出来る日が戻ることを願い、この1カ月間を過ごしていきたいと思っています。

 

 最後になりますが、このような状況の中でも高校生たちの中には頂点を競い合う白熱した戦いを繰り広げている子たちがいます。現地での観戦は出来ませんが、是非皆さんもテレビの前で応援してください。競技、性別に関わらず彼らも高校3年間を自分が大事にしているものにすべてを賭けた子たちです。その結晶をこうした状況だからこそ、みんなで盛り上げ応援しましょう。

 本日は、男子サッカーでは全国高校サッカー選手権大会準決勝が行われ、第1試合が山梨学院高校vs帝京長岡高校、第2試合が矢板中央高校vs青森山田高校の試合が行われます。決勝戦は、明後日11日に行われます。高校ラグビーでは第100回全国高校ラグビー大会決勝戦、桐蔭学園高校vs京都成章高校の試合が行われます。明日10日は、全日本女子高校サッカー選手権大会決勝戦、作陽高校vs藤枝順心高校の試合が行われます。

 それでは、みなさん、本年もFC MUSASHINOをどうぞ宜しくお願い致します。

サッカー部 MUSANISTA #116 『練習試合vs大宮北』

 昨日11/28(土)、大宮武蔵野高校グラウンドにて大宮北高校と練習試合を戦いました。結果は以下の通りです。

<練習試合> vs 大宮北
       40分ハーフ 1(0-1)(1-0)1 引き分け
       35分一本  1-0
        【得点者】小原(1年MF) 有山(2年FW)

 マラソン大会を前日11/27(金)に終え、10kmを精一杯走り切った部員たち。そんな中、2週間ぶりとなる試合を行いました。少し肌寒く、風も強く吹く中で13:00K.Oで始まったこの試合。期末考査を約2週間後に控え、考査前の最後の試合となりました。年明けの新人戦のことを考えると、試合を重ねられるのも何度もありません。そういう意味でも大切な試合となりました。
 試合が動いたのは、立ち上がりの前半2分。サイドをドリブルで突破され、ワンチャンスをものにされ0-1に。課題であった立ち上がりに失点を許してしまい、不利な状況に。しかし'FC MUSASHINO'は、与野高校の時のような試合展開にはしなかった。1点を失ったとしてもやるべきことは変わらない。最近の課題であった、「球際」「奪った後にロストしない」「クリアははっきり」をしっかりと実践し、戦った。加えて、今日の試合では、守備の面で「1対1」に集中し、粘り強く守備をしようと確認していました。32分には、MFで出場していた細田が負傷で交代し、小原が出場。相手の寄せが速いこと、また一人に何人もプレスが来ることに苦戦しながらも、ダイレクトプレーを駆使しながら何度かチャンスを作る。しかし、前半のシュートは2本、得点は決められず0-1で折り返す。前半も終わってみれば、相手のシュートは点を取られた一本のみ。相手にほとんどチャンスを作らせなかった集中した守備を見せました。逆に言えば、立ち上がりの弱さが露呈した前半でした。
 後半には、パントキックの精度が上がってきた1年GK加藤が出場。前半に引き続き、集中した守備で戦い続ける'FC MUSASHINO'。一方で、攻撃面ではなかなかうまくいかない。相手の速いプレスになかなか落ち着いてボールを保持できない。要所要所でためを作って展開しようとするも、精度の高いプレーを要求され、なかなか思った通りに攻撃できない。そんな中、2年MF金子の奥歯が接触プレーの中で欠けてしまい、試合出場不可能に。そんな中、後半36分。1年小原が裏に抜け出しチャンスが訪れる。相手キーパーが飛び出してきたところを、冷静に頭を越す技ありシュート。1-1で試合を振り出しに戻す。後半はこのまま終わり、40分ハーフは1-1となった。
 35分ハーフは、こちらはフォーメーションを変え、延長戦という位置付けで戦いました。一方で相手は選手を変え、フレッシュなメンバーで臨んできました。3分には、2年MF小久保からのパスを2年FW有山が決めきり、1-0。この得点を守り切り、35分一本は1-0で勝利した。ここでも、集中力を保ち切り、守備に攻撃にいいパフォーマンスを見せられた試合になりました。
 今回の練習試合、大宮北高校は昨年のU-18リーグ戦で唯一2敗している相手でした。速い寄せ、球際、フィジカルともにとても優れており、やはり苦戦を強いられる相手でした。そんな中で、最後まで戦いきれたこと、先制点を許しても諦めず、声をかけ続けたこと。チームとしてのここまでの成長を感じ、また試合を通してチームが成長していく様子を感じました。
 来週は、月、火曜日に練習をして、水曜日からは考査期間に入ります。中間考査終了からここまでノンストップで成長し続けてきた部員たち。水曜日からはスイッチを切り替え、考査に臨むことになります。期末考査明けから、また部活に専念できるよう、考査の勉強に集中していくことになります。試合で培った集中力をここでも発揮し、ベストを尽くしてもらいたいと思います。こちらも応援よろしくお願いします。
 今回も、マネージャーが撮ってくれた写真を載せておきます。お楽しみください。

           

サッカー部 MUSANISTA #115 『秋季大会vsいずみ』

 昨日11/14(土)、大宮武蔵野高校グラウンドにていずみ高校と秋季大会を戦いました。結果は以下の通りです。

<秋季大会> vs いずみ
       4(2-0)(2-0)0 勝 利 
        【得点者】細田②(1年MF) 小久保(2年MF) 金子(2年MF)

 11/7(土)のTM vs 岩槻商業戦を挟んだこの試合。秋季大会2回戦、相手はいずみ高校。与野、いずみと3校で新人戦のシードをかけて戦ってきた、この3校リーグは既に与野高校が1位を決めており、秋季大会としては消化試合となる試合でした。しかし、今の'FC MUSASHINO'にとっては時期的にとても大切な1戦となる試合でした。
 秋季大会の1回戦では、与野高校相手に立ち上がりで失点。一方で、岩槻商業との練習試合では立ち上がりで連続得点から流れに乗って勝ち切る試合ができました。試合前には、攻撃、守備共に今まで練習、試合で意識してきたことやってきたことを再確認し、「立ち上がりから集中」を意識しながら試合に臨みました。
 9:30K.O、涼しい中で始まった試合は、まずこちらが主導権を握りました。ボールを横につないで縦に当てる、タイミングを見て裏に抜ける動き、積極的にサイドで仕掛ける等、最近練習の中で意識している動きが連動している場面が良く見られました。攻めながらもなかなか先制点をとれない中で、相手にもカウンター等でチャンスを作られ、どちらが先制点を取るか分からないまま進んだ前半33分。右サイドから駆け上がった2年MF金子のセンタリングを1年MF、左サイドで出場していた細田がニアに詰めており、練習通りの形で待望の先制点。ここで、集中していた相手も勢いを失ったか、4分後の前半37分には、練習を重ねてきたCKから2年DF加添がヘディングで折り返したところを2年MF小久保が押し込んで追加点。2-0で前半を折り返した。
 後半は、再度相手も集中力を取り戻し、攻めながらもなかなか追加点が奪えない。特に、中盤でのセカンドボールの回収、つなぎの部分でのロストボールが目につきました。それでも、何とか攻め続け後半31分。1年MF細田が決めて決定打。試合終了間際には、2年MF金子がダメ押しの4点目をもぎ取り、試合を決定づけた。終わってみれば4-0。試合を通して走り続け、声をかけ続け、集中力高く戦い切れた試合となりました。
 今回の試合は、立ち上がりから集中しており、攻撃の面では練習してきたものを形として表現できた試合になりました。また、「コーチング」や「前向きな声」の増加など、いい雰囲気の中で試合ができました。一方で、できるようになったことが増えてきたと同時に、「球際の弱さ」「クリアの不十分さ」など課題が浮き彫りとなった試合となりました。'FC MUSASHINO'にとって、一つとても自信になる、いい経験のできた今回の試合。次回は2週間後、大宮北高校との練習試合を予定しています。2週間の間にまた一回り成長して、いい試合ができるよう精進してまいります。1年生も徐々に力をつけてきた'FC MUSASHINO'。2年生もメキメキと成長しています。チームとして成長していきながら、年明けの新人戦に向け、加速してまいります。応援よろしくお願いします。
 今回も、マネージャーが撮ってくれた写真を載せておきます。お楽しみください。

           

サッカー部 MUSANISTA #114 『練習試合vs岩槻商業』

 昨日11/7(土)、大宮武蔵野高校グラウンドにて岩槻商業高校と練習試合を戦いました。今回は30分×3本の練習試合をしていただきました。結果は以下の通りです。

<練習試合> vs 岩槻商業
       1本目
        4-0
        【得点者】金子(2年MF) 細田②(1年MF) 有山(2年FW)
       2本目
        2-0
        【得点者】小原(1年FW) 細田(1年MF)
       3本目
        6-0
        【得点者】加添(2年FW) 小原③(1年FW) 洞口(2年DF) 有山(2年FW)

 学校説明会終了後、14:00K.Oで始まった今回の試合。11/3と11/14の秋季大会に挟まれたこの試合は、前回の反省を生かして相手ゴールに迫ること、また次回の試合に向けて様々なフォーメーションを試した試合になりました。2年CB秋庭を欠きバランスはいつもと違う中で、各個人がそのポジションで求められることをこなし、チームのためにできることを実行した試合となりました。
 試合は、終始こちらのペースで進みました。1本目1分に2年MF金子が先制すると、4分には今度は金子から1年MF細田が合わせ追加点。15分にはまたしても細田がCKから直接相手ゴールネットを揺らす。21分には、2年小久保が絶妙なロングパスを前線に送り、これに反応していた2年FW有山が追いつき蹴りこんで4点目。1本目は4-0で快勝した。最近の練習でテーマとしていた、連携して裏に飛び出す動きがピタッとはまり、良い動きが多く見られたいい試合となりました。最近課題となっていた、決定機で決めきる力や、声掛けも多く見られ、収穫の多い試合となりました。
 2本目は、5分に1年FW小原がカウンターからドリブルでボールをゴール前まで運び、自分で決めきり先制点。16分には、1年MF細田がドリブルで相手ペナルティーエリア内まで持ち込み、倒されてPKを獲得。これを自身で決めきり、2-0。そのまま試合は終了し、1、2本目ともに相手にシュートを1本も許さない守備でも結果を残した試合となりました。
 3本目は、相手の集中力、体力も切れてきたのか、立ち上がりから1、2、3分に、加添、小原、洞口が連続得点。9分、12分、14分にも、小原、有山、小原と追加点を奪い、6-0で勝ち切りました。左サイドハーフで出場した1年小原は、ハットトリックの大活躍。自信をつけた試合となりました。
 試合終了後には、相手の先生に「よく走るチームですね。パスをもらうのにも顔をよく出すし、パスを出した後にもすぐに次のプレーを意識した動きができている」とお褒めの言葉をいただきました。来週には、秋季大会の二回戦、いずみ高校との試合が控えています。また、チーム一丸となって戦っていけるよう精進してまいります。応援よろしくお願いします。
 今回も、マネージャーが撮ってくれた写真を載せておきます。お楽しみください。

         

 

 個人持ちユニフォームが届いたので、今回から着てみました。生徒たちも喜んで着ており、また一つ、「ONE TEAM」に近づけたのではないかと思います。ソックスのボーダーラインデザインには、顧問の「サッカーを愛する者として横縞(邪)な気持ちを持たない」という想いが込められているそうです。背番号の下には「You'll never walk alone(お前はひとりじゃない、共に戦おう)」の文字が刻まれています。

サッカー部 MUSANISTA #113 『秋季大会vs与野』

 昨日11/3(火)、大宮光陵高校グラウンドにて与野高校と秋季大会を戦いました。結果は以下の通りです。

<秋季大会> vs 与野
       4(1-4)(3-2)6 敗 北 
        【得点者】有山(2年FW) 小久保(2年MF) 加添②(2年DF)

 10月4日(日)に埼玉栄高校と練習試合をして以来、中間考査を挟んで実に1か月ぶりの試合となった今回の試合。夜中には雨が降っていましたが、当日は雨が降らず、涼しい中での12:00K.Oとなりました。3年岡部が引退してからの初めての公式戦。'FC MUSASHINO'は今後のチームのため、今までとは違ったポジションで試合に臨みました。今までやってこなかった左サイドバックで出場する選手もいれば、久しぶりにサイドハーフで戦う選手もいる不慣れなポジションの中で、求められる役割をできるか、挑戦の試合となりました。どのポジションにいても、そのポジションでチームのためにできること、やるべきことをきちんとやる、ということを確認して試合に送り出しました。
 試合が動いたのは前半4分。相手のコーナーキックから、2年GK菅原が飛び出すとキャッチミスをしてしまう。これを‭相手に押し込まれ、0-1。試合の流れはそのまま相手に。ボールは奪えても、ボールが落ち着かず、すぐに相手に奪われてしまう。前半11分にはペナルティーエリア内にドリブル侵入を許し、そのまま決められ0-2。前半13分には後ろ向きでの処理ミスから相手に3点目を献上。前半18分にはGKの判断ミスから追加点を奪われ0-4。前半始まってわずか20分の間に、4得点を許してしまう。浮足立っていた'FC MUSASHINO'も、下を向かず相手ゴールに迫る。前半19分には、初めてFWで出場した2年FW有山がスピードを生かしたドリブルから相手GKと1対1に。これをしっかりとゴール左下隅に蹴り込み、相手ゴールネットを揺らす。前半はこのまま折り返す。ハーフタイムでは、相手よりも内容はいいこと、もう一度立ち上がりから集中して試合に取り組むことを確認して後半に臨みました。後半は立ち上がりから集中しており、守り抜いていた後半61分。左サイドからのセンタリングをヘディングで決められ、1-5に。3分後、後半64分にも追加点を許し、1-6になり試合は絶望的な状況に。それでも'FC MUSASHINO'は諦めない。終了間際、後半77分には2年MF小久保が追加点を決め2-6。さらに3分後、センターライン付近でのFKを得ると蹴るは1年MF細田。ゴールに向かっていったボールは、GKが飛び出しづらい位置に飛び、絶妙なバウンド。これを2年DF加添が押し込み3-6。直後、アディショナルタイムには、またしても細田のCKから加添がボレーで相手ゴールネットを揺らす。試合が終わってみれば、4-6。前半での連続失点が悔やまれるような試合結果となりました。
 今回の試合は、「相手の攻撃への対応」というよりも、自分たちの「集中力のムラ」それに付随する「判断、瞬間的なミス」が目立った試合となりました。一方で、最近練習していたオフザボールでの動きが増えたり、選手間での声掛けが見られたりと、成長が見られた試合にもなりました。試合翌日の本日は、試合の振り返りミーティングを行い、良かった点、反省・修正点を確認して、次の試合に臨む気持ちを高めました。ミーティングの中では、センターバックでキャプテンの加添が、「前から守備をしてくれて助かった」や「カウンターでの動き出しが早くなった」など、選手ならではの試合分析を行いました。
 また一つ、悔しい試合を経験した'FC MUSASHINO'。次の試合は11月7日(土)大宮武蔵野高校グラウンドで14:00K.Oの練習試合、相手は岩槻商業高校です。午前には学校説明会があるので、中学生の皆さん、ぜひ見学をしていってください。
 今回も、マネージャーが撮ってくれた写真を載せておきます。お楽しみください。

                 

 

サッカー部 MUSANISTA #112 『 南部支部秋季大会 』

 全国高校サッカー選手権大会埼玉県予選もいよいよベスト4が決まりました。各都道府県でも今月14日を目途に代表校が続々と決定します。このコロナ禍において、ここまで高校サッカーを続けてきた高校生たちの活躍と、99回大会という節目において埼玉県代表を勝ち取るのはどこの学校なのかまったく目が離せません。

 本日より埼玉県南部支部秋季大会が始まります。埼玉県の各支部ごとに1月から行われる支部新人大会予選においての組合せ抽選シード権を争っての大会で上位大会へつながるものではありません。南部支部では参加校を8つのブロックに分けて競い合います。私たちは、3校ブロックのため2試合のみとなりますが、各ブロックで1位だった学校が新人大会予選において抽選シード権を得られます。

 私たちはこの大会、「チームの結束」を一番に掲げて挑みます。9月半ばに選手権予選で敗退してからこのひと月あまり、チームの状態は良くありません。ですが、サッカーはチームスポーツです。お互いが同じ方向に向かって気持ちをひとつにまとめ上げられなければ、試合に勝利することも叶いません。それ以上に、私たちが目指すチーム「 ONE TEAM 」にはなれません。大会期間中に試合練習を間に挟みますが、この3連戦で「チームの結束」を取り戻したいと考えています。

 FC MUSASHINOの試合予定は、以下の通りですが、ご存知の通り新型コロナウイルス感染対策で全公式戦は無観客試合となっています。選手・スタッフ以外は試合会場の中には入れませんので、観戦をご希望されている方はご理解とご協力を宜しくお願い致します。

【南部支部秋季大会 Hブロック】

 第1戦 11月 3日(火) 
                                     vs 与 野高校

 第2戦 11月14日(土) 
                                     vs いずみ高校

 TM  11月 7日(土) 
                                     vs 岩槻商業高校

 

サッカー部 MUSANISTA #111 『練習試合vs埼玉栄』

 昨日10/4(日)、埼玉栄総合グラウンドにて埼玉栄高校と練習試合を戦いました。結果は以下の通りです。

 <練習試合> vs 埼玉栄B
         ①0-0 ②0-3 ③0-3 ④1-3
         【得点者】武井(1年DF)

 天気は曇り、涼しい中でのK.O。今回は、格上である相手と30分×4本という形で練習試合をしていただきました。3年岡部が引退し、ディフェンス陣のバランスが少し変わった中での初めての試合となりました。
 4本の戦い方として、1、4本目は今までと同じフォーメーション、2、3本目は新しいフォーメーションで戦うことを試してみました。1本目は、相手の速い攻撃を何とかしのぎつつ、何本かチャンスを作って相手のゴールに攻め込んだ。ゴールは奪えなかったが、今までやってきた形で「何とか戦える」「チャンスはある」と思えた1本目となりました。
 2本目は、新たなフォーメーション、前からプレスをし高い位置でボールを奪って攻撃につなげる戦術をとりました。しかし、立ち上がり1分に相手に点を奪われ、波に乗られる。5分後には、コーナーキックから失点し0-2に。後半では、徐々に相手の集中力も低下し、何本か高い位置でボールを奪い得点のチャンスを作った。しかし、なかなか得点を奪うまでは至らず、21分には逆に相手に得点を許し、結局2本目は0-3。チャンスは幾度も作りながらも、1点も奪えなかったこと。課題だった立ち上がりで失点を許してしまったこと。苦手としているセットプレーから失点をしてしまったこと。など、多くの課題を突き付けられた試合となりました。
 3本目も、新しいフォーメーションで相手に挑む。相手は選手をほとんど変え、フレッシュなメンバーに。一方で'FC MUSASHINO'は、ほとんど1、2本目と同じメンバーで挑んだ。体力や集中力が低下しながらも、相手に食らいつく'FC MUSASHINO'。自分たちのミスによって失点を許したり、相手に寄せきれずにシュートを打たれてしまったり。攻撃面でもカウンターに出られなかったりと、厳しい試合となりました。しかし、厳しい中でも、やるべきことは実行し、あきらめず最後まで戦い続けました。
 4本目は、元のフォーメーションに戻して試合に臨む。連戦の疲れで厳しい中でも、相手に向かっていく気持ちは変わらない。14分、19分には失点をしてしまったものの、25分には2年小久保が相手コートで技ありドリブル。相手はこれをやむなくファールで止める。相手陣地で奪ったフリーキックに、蹴るのは1年MF細田。中で待つのは、ヘディングの得意な加添、小久保。果たして、蹴りこんだボールはニアサイドに飛んでいき、流れてフォアサイドへ。走りこんでいた1年DF武井がこれをボレーし、試合での初得点を挙げた。試合はその後、27分に失点。1-3で4本目は終了した。
 普段感じられないプレッシャー、速い攻撃を体験できたこと。逆に、今まで自分たちがやってきたことを確認できたこと。今できること、得意なこと、今できないこと、苦手なことを再確認できた、とてもいい練習試合となりました。実は、埼玉栄総合グラウンドは、大宮武蔵野高校からは土手を挟んだすぐ向こう側にあります。また、試合ができる日を楽しみに、練習に励んでいこうと思います。
 最後になりますが、本日も、応援に来て下さった保護者の皆さん、その他応援してくださったみなさん、ありがとうございました。夏を超え、選手権を終えて、新たな道を走り始めた'FC MUSASHINO'。今後とも成長を楽しみに、応援よろしくお願いします。

 今回も、マネージャーが撮ってくれた写真を載せておきます。お楽しみください。

         

サッカー部 MUSANISTA #110 『選手権予選ブロック代表決定戦vs川口青陵』

 本日9/20(日)、川口青陵高校グラウンドにて川口青陵高校と選手権予選を戦いました。結果は以下の通りです。

 <選手権予選ブロック代表決定戦> vs 川口青陵
         0(0-3)(0-2)5 敗 北 

 本日9:30K.O。昨年と同様、川口青陵高校で戦うこととなった今回の試合。予想していたのとはうって変わって、とても涼しい中でのキックオフとなりました。相手は格上。守備の要である2年加添を欠く中での対戦。かなり厳しい状況の中でも、選手たちは萎縮せず、堂々と試合に臨みました。
 今回は、通常の守備では守り切れないと考え、「相手のフォーメーションの要である10番を1年MF武井がマンマークする」という戦術をとりました。立ち上がりは新人戦でやった作戦を決行。相手の陣地にボールを運び、チャンスをうかがう。その後は、相手に攻められ続け、自陣で戦うことを余儀なくされながらも、球際、コーチング、1対1の対応、冷静に高い質で戦うことができました。始まってから攻められ続け、何とか守り続けていた前半9分。相手のアーリークロスにドンピシャにヘディングで合わされ、先制点を許す。しかし、'FC MUSASHINO'は崩れない。再度キックオフから攻めあがる。その後も攻められ続けるが、シュートぎりぎりのところで相手にプレッシャーをかけたり、キーパー2年菅原のファインセーブで相手に得点を許さない。しかし、前半33分。相手に追加点を許すと、その直後35分にも失点。相手の10番を1年武井が効果的に抑えるも、0-3で前半を折り返す。
 後半も前半の守備を続けると決めた'FC MUSASHINO'。しかし、後半4分に相手に追加点を奪われると、フォーメーションを変え、いつもの陣形に戻して相手に挑む。相手が蹴りこんできたボールをはじき、FWの2年金子にボールを預けると、次々と攻撃に乗り出す'FC MUSASHINO'。1点取りに行くことをあきらめない。後半17分には、相手のセンタリングから1点失うが、1年MF三浦を投入し1点取り返すことに賭ける。その後は、前からプレッシャーをかけ、相手のバックラインでのパスミスを奪って得点チャンスを生んだり、コーナーキックを奪って相手ゴールに迫ったりしました。しかしこのまま得点は奪えず、0-5で試合は終了した。
 結果的には0-5という大敗となりましたが、試合が終わった後、選手たちには「やりきった」という雰囲気が漂っていました。3年岡部は試合後すがすがしい表情で、「今までついてきてくれてありがとう。新体制でも頑張ってください」と、下級生に感謝と激励の言葉をかけました。これで3年岡部は引退。7月に1年生が入部してから、怒涛の2ヶ月半、走り抜けた'FC MUSASHINO'はこれでチームとして一区切りがつきました。
 今回は、新型コロナウイルス感染予防のため、会場内での観戦・応援は禁止されていました。それでも、会場外から応援してくれた方もいました。'FC MUSASHINO'を応援してくれた皆さん、今日もありがとうございました。連休明け水曜日からは、'FC MUSASHINO'は新体制となります。また、次の試合まで、鍛えてまいります。引き続き応援していただけると幸いです。

 今回も、マネージャーが撮ってくれた写真を載せておきます。お楽しみください。

                 

サッカー部 MUSANISTA #109 『選手権ブロック代表決定戦前日』

 選手権予選ブロック代表決定戦を明日に控えた本日、最後となる練習を行いました。アップをし、パス&ゴー、ヘディング、コーナーキックの確認、スローインの練習などを行い、最後にはゲームをして練習を終えました。卒業生が何名か練習の手伝いをしてくれ、最後には紅白戦を行って最後の調整を行いました。選手たちは、終始、和やかなムードでリラックスして練習をしていました。練習後、明日の最終確認を行い、解散となりました。
 明日は、川口青陵高校との選手権予選ブロック代表決定戦となります。勝てば県大会、負ければ3年生の岡部が引退となるこの試合。精一杯戦ってきます。明日の対戦相手である川口青陵高校は、今年度のチームで戦ってきた相手と比べると、間違いなく最も格上となる相手です。今週は、明日の川口青陵戦のため、特別な守備や攻撃の練習を行ってきました。明日は、今までやってきた成果、今週練習してきた形で、守ること、攻めることができるといいなと思います。
 明日の試合は、間違いなく厳しい試合になると思われます。今大会が最後となる3年岡部のためにも、今までこの日のために準備してきたこの日々のためにも、後悔の無いように戦って来れればと思います。選手・スタッフ一同、明日の試合に全力を尽くして取り組んでまいります。
 今回は、マネージャーが撮ってくれた練習の様子の写真があります。お楽しみください。

       

 

【連絡】
 明日9/20(日)に川口青陵高校グラウンドで川口青陵高校と戦う選手権予選ですが、新型コロナウイルス感染予防のため、観戦・応援が認められていません。結果はHPでお知らせいたしますので、結果を楽しみにしていてください。いい結果をお伝えできるよう、選手・スタッフ一同全力を尽くしてまいります。よろしくお願いします。

サッカー部 MUSANISTA #108 『選手権予選vs日高高校』

 昨日9/13(日)、大宮光陵高校グラウンドにて日高高校と選手権予選を戦いました。結果は以下の通りです。

 <選手権予選> vs日高
         2(0-1)(2-0)1 勝 利
         【得点者】三浦(1年MF) 金子(2年FW) 

 今回は、今まであまり経験のない12:00K.Oの試合。最近の天候からしてとても暑くなると予想されましたが、空は曇っており、戦いやすい天候でした。また、前日には雨で濡れていて使えなかったグラウンドも、当日は乾いておりいい状態で試合ができました。
 1年生にとっては初めての、2・3年生にとっては久しぶりの公式戦。チームとしては1月の新人戦以来、人数が11人そろっての公式戦は昨年以来でした。立ち上がりから攻め込み、コーナーキックからチャンスを何度も生み出す。球際での競り合い、コーチング、声掛け、どれも質の高いレベルで攻め続けました。いつも以上に声が多く、雰囲気のいい状態で攻め続けましたがなかなか点が奪えなかった前半終了間際。相手に少ないチャンスをきちんと決められ、0-1で前半を折り返す。
 しかし、'FC MUSASHINO'は諦めない。前半攻め続けられたこと、今まで自分たちがやってきたことに自信を持ち、後半の逆転に望みをかける。ハーフタイムでは、選手同士での声掛けが目立ち、それぞれの選手が勝利に対してできることを自分たちで実践している姿が印象的でした。そして、後半立ち上がり33秒。選手交代で投入した1年MF三浦が、相手キーパーのこぼれボールを狙っていてつついたボールを押し込み、相手ゴールのネットを揺らす。これで調子を取り戻した'FC MUSASHINO'。相手の足が止まってきたのも相まって、何度も相手ゴールに襲い掛かる。後半は、1年細田のコーナーキックも調子を取り戻し、何度もチャンスメイク。後半14分には、勝ち越しとなるゴールを2年FW金子が決め、さらに有利な展開に。その後も攻め続けるものの、追加点は奪えず、そのまま2-1で試合が終了した。
 'FC MUSASHINO'は、この勝利で、来週のブロック代表決定戦にコマを進めた。普段の練習試合とは比べ物にならないほどの準備。のしかかる緊張感。チームとしての一体感。新たな感覚をいくつも経験しての『勝利』は、選手にとってとても嬉しい経験になったことでしょう。さらに、'FC MUSASHINO'はこの勝利で、また一歩、成長できたように感じます。チームは、今週末9/20(日)にあるブロック代表決定戦に向け、また進んでいきます。

 今回も、マネージャーが撮ってくれた写真を載せておきます。お楽しみください。

         

   
 

サッカー部 MUSANISTA #107 『選手権前日』

 ついに選手権予選を明日に控えた本日、選手権前最後となる練習を行いました。本日の練習は雨でグラウンドが使えなかったため体育館で行いましたが、男子バスケットボール部の練習試合があったため、朝6時集合で練習を行いました。早い選手は5時過ぎには到着し、明日の本番に向け気合十分で練習に取り組みました。内容は、アップをし、パス&ゴー、リフティング、スローインの練習、とりかご、ステップワークなどを行い、最後にはミニゲームをして練習を終えました。選手たちは、和やかなムードでリラックスして練習をしていました。練習後、明日の最終確認を行い、解散となりました。
 明日はいよいよ、日高高校との選手権予選となります。今年は、新型コロナウイルスの影響でなかなか練習時間が取れず、1年は入部してから3ヶ月弱での初めての公式戦。2・3年生はブランクのある中でスタートしての久々の公式戦。怪我をして体調が万全でない選手や、怪我明けで体力が戻り切っていない選手等もおりますが、明日、チームとしてできる限りのことの行い、勝利に向けて戦ってきたいと思います。 
 チームとしては、昨年度8人で新人戦を戦ってから、新型コロナウイルスの影響で部活ができない期間が続きました。1年生は夏休み前まで入部できず、ろくに練習もできない状況。今年度は夏季合宿を行えず、チームとしてのまとまりもあまり醸成できない状況で練習・練習試合に取り組んできました。そんな中で、様々な経験をし、うまくいって喜び合ったり、うまくいかずに悔しかったり、心ひとつに戦えて満足したことや、逆にかみ合わずにアドバイスしあったこともありました。今年度は、U-18のリーグ戦も中止となってしまったため、唯一の3年生岡部にとっては、明日から始まる選手権が初めての公式戦で、負けると引退となる大会です。岡部は昨年度初めに、2学年1人となりましたが、それでも上の代の先輩の背中を見ながらひたむきに努力を続け、昨年度後半からは部長に。1年生を引き連れ、8人でも新人戦初戦を延長戦までもつれこませました。今年度に入ってからは、さらに先輩らしく声掛け、アドバイス、注意等、自分がひた向きに努力しながらも、周りに声をかけ、気を配れる部長でした。2年生は岡部の背中を見て成長し、さらに後輩も声をかけながら成長させてきました。1年生は先輩方に遅れを取らないよう、練習に早めに来て準備を終えて自主練したり、放課後には練習後に残って練習に励んでいます。U-18がなかった今年、初めての公式戦。今年度は選手権のために練習してきたといっても過言ではありません。
 副顧問鈴木は、「試合の結果=試合開始までに身につけた実力・準備×当日のパフォーマンス」であると考えています。チームとして、正直な話、完全な状態、仕上がった状態とは言えないかもしれませんが、ここまで時間がない中で、できる限りの練習・試合を重ね、実力は積み重ねてきたと思います。あとは明日、「冷静に丁寧に熱く戦えるか」だと考えます。明日は、グラウンドの状況がどのようになるか分からず、もしかしたら経験したことないような状況の中で試合をしなければならないかもしれません。うまくいくこともあれば、きっとうまくいかないこともあるでしょう。それでも、今までやってきたことに対し、胸を張って自信を持ち、悔いのないように戦ってこれればと思います。応援よろしくお願いします。

【連絡】
 明日9/13(日)に大宮光陵グラウンドで日高高校と戦う選手権予選ですが、新型コロナウイルス感染予防のため、観戦・応援が認められていません。結果はHPでお知らせいたしますので、結果を楽しみにしていてください。いい結果をお伝えできるよう、選手・スタッフ一同全力を尽くしてまいります。よろしくお願いします。

サッカー部 MUSANISTA #106 『練習試合vs八潮高校』


 昨日9/5(土)、大宮武蔵野高校グラウンドにて八潮高校と練習試合をしました。結果は以下の通りです。

 <練習試合> vs八潮
         0(0-3)(0-5)8 敗 北

 来週に控える選手権予選の前、最後となる練習試合となった今回の試合。ラストテストマッチとして、今までやってきたことを確認、出しきることを狙いとして取り組みました。今回の試合では、さらに「相手のバイタルエリアより前方での意識的なダイレクトプレー」も意識して取り組みました。
 今回も、立ち上がり、クーリングブレイク後、最後の10分に特に注意し、試合に臨みました。試合が始まると、相手の前からの速いプレスに苦しめられました。チームとして、今まで味わったことのない前からのプレッシング、速く質の高い攻撃に苦しみながら、何とか戦っていた前半7分。クリアミスから守備の陣形を崩され、フリーになった相手右サイドに冷静にサイドネットに蹴り込まれ、先制を許す。そのまま試合は進み、クーリングブレイク後のファーストプレー、右サイドからのクロスボールをクリアしきれず、中央につめていた相手左サイドがボレーで追加点。前半29分には、相手のコーナーキックから直接決められ、0-3。こちらは、2年MF有山を投入し点を取りにいく。しかし、なかなか自分たちのペースにできず、前半はシュート0本で折り返す。
 後半には、立ち上がりすぐに1点を決められ、厳しい展開に。その後も、集中して守り、 1点でも取り返そうと攻め続けたが試合は動かない。後半は、徐々に体力の差が表れ、クーリングブレイク後の後半27、30、32、33分に立て続けに相手に得点を許し、結果的に0-8で大敗を喫しました。
 終わってみると、今回の対戦相手は、かなり格上の相手でした。今まで試合をやってきた相手は、負けてしまった試合もパフォーマンス次第では勝てると思える相手が多かったですが、今回の試合は惨敗でした。来週に選手権予選を控え、今までない惨敗という経験が出来たことは良かったと思います。特に、点差が開き、戦況が厳しい中でも、声を掛け合い、最後まで攻め、精一杯守っている姿は、チームとして成長してきたことを感じました。今回の試合、格上の相手と戦うことで、個人としても、チームとしても、多くの課題を見つけることが出来ました。来週から始まる選手権予選に向け、できる限りのことをして、準備していこうと思います。応援よろしくお願いします。

 今回も、マネージャーが撮ってくれた写真を載せておきます。お楽しみください。

        

 

【連絡】
 来週9/13(日)に大宮光陵グラウンドで日高高校と戦う選手権予選ですが、新型コロナウイルス感染予防のため、観戦・応援が認められていません。結果はHPでお知らせいたしますので、結果を楽しみにしていてください。いい結果をお伝えできるよう、選手・スタッフ一同全力を尽くしてまいります。よろしくお願いします。

サッカー部 MUSANISTA #105 『練習試合vs浦和麗明高校』

 昨日8/30(日)、大宮武蔵野高校グラウンドにて浦和麗明高校と練習試合をしました。今回も、40分ハーフの試合を行いました。結果は以下の通りです。

 <練習試合> vs浦和麗明
         2(1-1)(1-0)1 勝 利
         【得点者】細田②(1年MF)  

 夏休みが明け、授業が始まった先週。選手権予選を2週間後に控えて、行った今回の試合。試合の狙いは今まで通り、「攻撃」「守備」「切り替え」のポイントを抑えて試合に臨みました。また今回は、1試合通しての戦い方、特に「集中・注意する時間帯」を共有認識として持って戦いました。特に、試合開始の立ち上がり10分。終わりの10分。それに、クーリングブレイク後の5分。チーム一丸となって、集中して取り組みました。
 今回は、最初プレッシングを行う守備から始め、相手の様子を見て戦術を変える作戦でいきました。チームとしては、試合の入りから集中が続き、球際の競り合いをし、コーチング・声掛けが積極的になされていました。相手のプレッシングの速さに苦戦しながらも、何とか集中して攻め続けた前半11分。左サイドの1年MF三浦から、1年MF細田へのパス。これを細田が決め、1年コンビで先制点をもぎ取る。その後は、守備ではロングボールへの対応で四苦八苦しながらも何とかしのぎ、攻撃ではチャンスを作りながらも自分たちのゴール前のミスで得点を決めきれませんでした。そんなことをしている間に、前半32分。注意するべき時間帯に、相手に得点を決められ、試合は振り出しに。
 後半に入っても、'FC MUSASHINO'は攻撃の手を緩めない。久しぶりに戦線に復帰した2年MF金子が左SHで出場し、存在感を発揮。相手の体力が落ちてくる中で、集中力、プレーの質をキープし、何度もチャンスを生み出す。後半も終わろうとしていた37分、1年MF細田が待望の追加点。細田はこの日、2本シュートを打って2本とも決めるという大活躍。この試合を決定づけた。
 2年MF金子が戻ってきて、2・3年生が久しぶりにフィールドの大部分で出場した今回の試合。今までとは比べ物にならないほど、声も出ており、『チームとしての一体感』を感じました。チーム一丸となって試合に向かっていく姿勢、最後の最後まで諦めず戦い抜く体力・精神力。顧問の阿部は試合後、「この夏やってきたことが、成果として表れてきている」と評しました。この夏休みが始まる前、1年生はほとんど高校での練習ができず、中学校から上がってきたままの状態。2・3年も人それぞれではありますが、新型コロナウイルスの影響でブランクがある中でのチームスタートでした。1年生は、夏休みの練習・試合ともにほとんど休まず、ハードな練習に耐え抜いてきました。2・3年生は、自分の感覚を取り戻し、スキルアップをしつつ、1年生を育ててここまでやってきました。夏の暑い練習の前後に、「走り」のトレーニングをしたり、連日試合・練習・試合などハードな中で精神力も鍛えてきました。その成果が、少しずつ、少しずつ、表れてきました。
 選手権予選一回戦まであと2週間。サッカー部唯一の3年岡部にとっては、高校生最後の公式戦になります。選手、スタッフ一同、気を引き締めて、最終戦までの準備、試合当時に臨む所存です。今後とも応援よろしくお願いします。 
 最後になりますが、本日も、応援に来て下さった保護者の皆さん、その他応援してくださったみなさん、ありがとうございました。夏を超え、一皮も二皮もむけて成長を遂げた'FC MUSASHINO'。今後とも成長を楽しみに、応援よろしくお願いします。

 今回も、マネージャーが撮ってくれた写真を載せておきます。お楽しみください。

             

サッカー部 MUSANISTA #104 『練習試合vs新座柳瀬高校』

 昨日8/22(土)、大宮武蔵野高校グラウンドにて新座柳瀬高校と練習試合をしました。今回も、40分ハーフの試合を行いました。結果は以下の通りです。

 <練習試合> vs新座柳瀬
         2(1-0)(1-1)1 勝 利
         【得点者】細田(1年MF) 児島(1年FW) 

 夏休み最後になったこの試合。この夏休みのポイントとしてやってきた、「攻撃」「守備」「切り替え」の総仕上げとして試合に取り組みました。『顔をあげてアイコンタクトを取ること』『ボールと近い距離で関わりを持つこと』『1対1の対応』『ワンタッチでのクリア』など、試合をしていく中で意識してきたことを、相手が変わっても徹底していくことを確認し、試合に臨みました。また、前回の鳩ケ谷戦では、攻めてチャンスを作っていながらも前半で1本しかシュートがなかったことにも触れ、積極的に点を取るイメージを持つように伝えました。
 今回も試合の入りから集中が続き、球際の競り合い、コーチング・声掛け、切り替えの速さ、どれも高い水準で取り組めていました。前半の8分には、1年MFの細田がドリブルで仕掛けたところを相手にペナルティーエリア内で倒され、PKを獲得。これを、細田が冷静に決めて先制点を奪う。前半は終始集中しており、特に相手のロングキックへの対応、相手の足元に入った時のディフェンスなど、守備の面で1人1人が集中して狙いを持っていたと感じました。攻撃面では、引いて守る相手に四苦八苦しながらも工夫し続け、何とか突破口を見出そうといしていたのが印象的でした。
 後半に入ると、相手がフォーメーションを変えてきたのに対応するため、少し手間取りました。前からのプレスも多くなり、後半11分にはバックラインでのパスミスから1点を献上し同点に。試合が振出しに戻り、体力は残っているはずの中、集中力が徐々に低下してしまいました。後半の20分、クーリングブレイクで選手交代し、1年FW児島が久しぶりの試合復帰。攻撃の流れを変え、後半の24分にはその児島が勝ち越しとなる得点を挙げる。その後は、何とか守り切り、2-1で勝利を収めることができた。
 今回も40分ハーフの後、30分1本の試合をさせていただきました。結果は以下の通りです。

  <練習試合> vs新座柳瀬
         1-0 勝 利
         【得点者】細田(1年MF)

 40分ハーフを戦った後でも、足がつったり、足が止まったりすることなく、この夏成長してきたことを実感するような試合になりました。
 今回の試合、集中してできていた時間帯には、いままでやってきたことをしっかりとできていた試合でした。さらにそれだけでなく、試合の中で工夫し、新たなことに挑戦しようという姿勢が見え、以前できなかったことができるようになっていることに驚いたり、各選手の新たな長所を発見することができました。一方で、やはり一度集中力が切れると立て直すのが難しいところに、改善点が見られました。8/30、9/5に予定している練習試合でしっかりと修正、改善し、選手権予選に臨みたいと思います。
 
 今回も、マネージャーが撮ってくれた写真を載せておきます。お楽しみください。

     

  

 

サッカー部 MUSANISTA #103 『練習試合vs鳩ケ谷高校、大宮開成高校』

 本日8/19(水)、鳩ケ谷高校グラウンドにて鳩ケ谷高校、大宮開成高校と練習試合をしてきました。今回も9/13の選手権を見据えて、40分ハーフの試合を行いました。結果は以下の通りです。

 <練習試合> vs鳩ケ谷
          2(0-1)(2-0)1 勝 利
         【得点者】小原(1年FW) 三浦(1年MF)

 連休明けの練習を1日挟んで臨んだ今回の練習試合。コロナ明けの練習で「攻撃」「守備」と取り組んできた'FC MUSASHINO'。今週は「切り替え」強化週間として、「ボールを失ったらすぐに相手にプレスをかける」という共通認識で試合に臨みました。試合前には、「攻撃」のポイントとしては『顔をあげてアイコンタクトを取ること』『ボールと近い距離で関わりを持つこと』、「守備」のポイントとしては『1対1の対応』『ワンタッチでのクリア』を確認し、狙いを持って試合に入りました。
 前半は試合の入りから集中が続き、球際の競り合い、コーチング・声掛け、切り替えの速さ、どれも高い水準で取り組めていました。前半は、右サイド、左サイドから幾度となくチャンスを作るものの、決めきれなかった前半終了間際。守備のほころびを突かれ、相手に先制点を許してしまう。ボールを長い時間支配しチャンスは何度も作っていたものの、シュートは1回のみ。いくら押していても、点を決めなければ勝てないのがサッカーというスポーツ。少ないチャンスをものにされ、0-1の負けた状態で半分を折り返す。ハーフタイムには、「後半もこの集中力を続けること」「積極的に点を取りにいくこと」を確認し、後半に臨みました。
 後半は入りにはミスが何度かあり浮足立っていましたが、徐々に相手の体力が削られ、次第に優位に試合を進められるようになりました。後半11分には、1年FW小原が絶妙な飛び出しから同点弾。直後後半13分には、サイドチェンジから1年MF三浦がピタッと足元にトラップし、相手をかわして冷静にシュートを決め勝ち越し点。その後はチャンスを作りながらも点を決めきれず、相手にも何度かチャンスを作られながらも両チーム点を取れずにそのまま試合終了。久しぶりの勝利とともに、新チームが始まって初めての「逆転勝利」となった。

 その後、大宮開成高校と30分1本の練習試合を行いました。結果は以下の通りです。
 
 <練習試合> vs大宮開成
         1-2 敗 北
          【得点者】小原(1年FW)

 3本目だったこともあり選手には疲労が見られましたが、選手権の「延長戦の練習」という位置付けで取り組みました。3本目は、守備の面でも、攻撃の面でも、ポイントを外してしまう場面も多くありましたが、最後の最後まで切れることなく精一杯戦いました。結果は負けてしまいましたが、いい練習となりました。

 本日の練習試合、1試合通して高い集中力で高い質を保ったプレーをすることができました。チームとして戦い抜くために不可欠な、コーチング・声掛けも良く聞こえてきました。1試合通して集中できたこと、逆転勝利を収めたことは、選手の自信につながりました。一方で、顧問の阿部は、「後半、相手の足が止まってきていたのに2点しか取れなかったと考えよう」「これで満足していてはダメだという視点も持ってほしい」と選手に伝えました。副顧問の鈴木は、試合の内容は「実力×パフォーマンス」で決まると考えています。今日の試合は、実力は拮抗していましたが「パフォーマンス」の面で勝って勝ち切れた試合であると考えています。最後のミーティングでは、パフォーマンスを磨きながらも実力もつけていって、9/13の選手権予選日高戦に臨もうということを確認して、解散しました。
 練習の中でも、試合の中でも、挑戦し、工夫し、成功し、失敗し、日々着実に成長を続ける'FC MUSASHINO'。まだ応援に来たことがない人は、ぜひ1度見に来てください。1度見に来てくれたことがある方は、また一段とし成長した姿を見に来てくださると幸いです。

 今回も、マネージャーが撮ってくれた写真を載せておきます。お楽しみください。

        

 

【連絡】
 8月29日(土)には学校説明会が予定されています。説明会自体は予約が必要で、既に上限に達したために申込は終了していますが、部活動見学は自由にできます。当日は、翌日の浦和麗明戦に向けて9:00から練習をしています。試合を自由に応援・見学をしていただいても構いませんが、練習時であれば練習の雰囲気を感じたり、顧問に学校や部活の状況を直接聞くこともできます。ぜひ、この機会をご活用ください!

サッカー部 MUSANISTA #102 『北部サッカーフェスティバルvs大宮東高校、大宮光陵高校』


 昨日8/14(金)、堀崎公園グラウンドにて北部サッカーフェスティバルに参加し、大宮東高校、大宮光陵高校と戦ってきました。結果は以下の通りです。

 <北部サッカーフェスティバル第1戦> vs大宮東
         0(0-1)(0-0)1 敗 北

 毎年、堀崎公園グラウンドにて行われている北部サッカーフェスティバル。堀崎公園のグラウンドは人工芝で、めったにできない人工芝のグラウンドで試合できることに選手たちも気合が入った様子で試合に臨んでいました。第1戦は大宮東高校相手に9:30K.O.で始まりました。今週は守備強化週間、組織的な守備を心掛けるよう確認し、試合が始まりました。暑い中でのこの夏初めての40分前後半の試合、クーリングブレイクを入れて20分×4のイメージで、1本1本集中して取り組みました。前半の前半20分、声を掛け合い、組織的な守備で0点に抑えます。一方で、チャンスも何度か作り出していましたが、決めきれずそのままクーリングブレイクへ。前半の後半20分、始まってすぐに守備のスキを突かれ、チャンスをものにされて0-1へ。残り時間でも、しっかりと守りを固め、カウンターで何度かチャンスを作るものの、やはり決めきれずに前半はそのまま0-1で折り返す。ハーフタイムには、守備をこのまま続けること、最後には点を取らないと「勝利」はないことを確認し、後半に臨みました。後半には、相手はほとんどの選手を交代し、フレッシュなメンバーにしてきました。それでも、'FC MUSASHINO'はやることは同じ。守備を固め、カウンターで得点機会をうかがいます。それでも、得点が奪えなかった後半も残り15分。ギアチェンジを敢行。先日練習しておいた「前からのプレス」の守備に変更した。前からのプレスで、高い位置でボールを奪い、後半にも何度かチャンスを作ったが、点を奪いきれずそのまま試合終了。0-1で敗北することとなった。結果は負けてしまったものの、40分の前後半、1試合を通して高い集中力を維持できたことは、彼らのいい経験となったし、今後の自信となることだろう。

 この日は、第1戦終了から50分後、次の大宮光陵高校との第2戦が控えていた。試合終了直後から日陰に移動して休憩を取り、ミーティングをしました。このミーティングでは、第1戦よく戦ったこと、反省点の確認、第2戦も集中して戦いきることを確認して試合に臨みました。結果は以下の通りです。

 <北部サッカーフェスティバル第2戦> vs大宮光陵
         1(0-4)(1-1)5 敗 北
         【得点者】細田(1年MF)

 第2戦は、連戦である上に出場選手はほとんど同じ。第1戦の疲労が残った上での試合となりました。対して相手の大宮光陵高校は1試合目。始めから差のある状態で始まった。前半8分、注意していたセットプレーから失点。その後の時間帯は集中して守っていたが、前半に1点を追いつこうと攻撃的な布陣にした途端、35分、38分、40分に3点を献上。何度もチャンスは作っていたものの、点は取り切れず前半は0-4で折り返した。ハーフタイムには、「前半は集中して守っていたものの、個々のミスで失点に繋がっていた」ことを確認し、「後半も組織的な守備を続けること」「得点を3点取ってくること」を目標に臨みました。後半は、再度守備の意識も高くなり、得点チャンスを生かすことで1点をあげることができました。結果は後半だけを見れば1-1。試合全体を通しては1-5で敗北する結果となったが、40分の4本目という意味では、最後の最後まで集中して戦いきることのできた試合となった。

 今回の北部サッカーフェスティバルは、この夏初めての40分ハーフでの試合を経験し、さらにそれだけでなく2試合連戦という厳しい戦いを経験しました。その中で、
①40分ハーフの試合感
②暑さの中での連戦をこなす精神的強さ
③組織的な守備の共通意識
④1年生におけるパスの選択肢
⑤競り合いや球際の課題
⑥攻守の切り替えの甘さ
⑦個々の弱点・課題
⑧チームのメンタリティ(2年は1mm逞しく、1年は一生懸命に)
⑨体力作りの大切さ
など、多くの収穫を得ることができた試合となりました。試合の中、ハーフタイムには、選手間で戦術に関するアドバイスや相談の声も積極的に聞こえ、いい雰囲気で試合に取り組むことができていたことも、成長だと感じました。試合が終わった後には、負けてしまったことに対して「悔しい」と口々に漏らしており、次の試合に向けた練習に前向きに向かえるような雰囲気を感じました。解散前のミーティングでは、今回の悔しさを忘れず、選手権予選に向け後悔の無いように練習に取り組むよう伝えました。

 最後になりますが、本日も、応援に来て下さった保護者の皆さん、その他応援してくださったみなさん、ありがとうございました。夏休み、練習・練習試合をするたびに経験を積み、感覚を取り戻し、新しいことを吸収して急成長を続ける'FC MUSASHINO'。今後とも成長を楽しみに、応援よろしくお願いします。

 今回も、マネージャーが撮ってくれた写真を載せておきます。お楽しみください。
P.S. 最近はマネージャーも練習・練習試合を通して手際よく、周到に仕事をしてくれています。練習では、氷・飲み物の準備、ビブスの洗濯、球拾い、練習用具の片づけ、怪我人のケアなど。試合では、持って行くものの準備確認、試合時間の管理・試合内容の記録、選手が飲むドリンクの管理、などなど。ここに挙げきれない、たくさんの仕事をしてくれています。マネージャーの成長にも喜びを感じつつ、日々の仕事ぶりに感謝を述べ、今回のボヤキを締めさせていただきます。

 

        

サッカー部 MUSANISTA #101 『練習試合vs蕨高校』

 昨日8/12(水)、大宮武蔵野グラウンドにて蕨高校と練習試合をしました。結果は以下の通りです。

 <練習試合> vs蕨
         0(0-2)(0-1)(0-1)4 敗 北

 相手の蕨高校は、3年生は10人程度残っているチーム、1・2年生も合わせてチームで70人程度いるというチームでした。今年度は、新型コロナウイルスの影響でU-18のリーグ戦は行われていませんが、行われていたならば県の2部リーグという同じ土俵で戦うべき相手と練習試合を行いました。暑い中で30分3本の試合、今回は守備を重点的に強化するという目標を持って取り組みました。
 1本目は、「前線からのプレスを強くし、高い位置でボールを奪い、攻撃につなげていく」という戦術をとってみました。試合の中では、前線からボールを奪いシュートまで持ち込めた場面が何度かあり、先週の練習の成果が少しずつ現れているのが見て取れました。また、バックラインでのボール回しも効果的にできていた場面も多くありました。一方で、守備の面ではスキを突かれてしまい、2点を失点してしまう結果となりました。コンビネーションでのわずかなミス、ゴール前でのわずかな気の緩みが失点を生むというのが、サッカーというスポーツです。守備での連携はもちろんのこと、精神的な成長も必要であると感じた試合となりました。
 2本目は、「前線からはプレスを強くかけず、引いて守ってカウンターを狙う」という戦術をとってみました。新人戦でもとったこの戦術は、2・3年生は熟知していて対応していました。しかし、4・5・6月に活動できなかった1年生は体力的にも、技術的にも、高校生のレベルで戦うのにはまだ難しいように感じました。1年生には、どんどん試合に出場し、経験を積んでいってもらいたいところです。また、2・3年生も自分のプレーだけでなく、1年生の成長にも寄与してもらう必要があります。どんどん声をかけて、チームを前向きに成長させていってほしいです。
 3本目は、体力がなくなってきたところで走り切れなくなったり、集中力が低下してきたところでミスが多くなったりでボールをすぐに失ってしまい、リズムがうまく作り出せませんでした。そういう状況になると、リズムを取り直せないのが今のチームであることが浮き彫りになった試合となりました。昨年度のチームも同じようなところがあり、試合を通じ耐えて耐えて精神的に成長したところで、徐々に試合に勝てるようになってきたということを思い起こしました。今年度のチームも、声を掛け合って自分たちから質の高いプレーが長く続くように成長していくことを期待します。
 全体を通しては、良く守り切った試合という印象でした。自分たちのミスからの失点はありましたが、1・2本目は集中してチームの戦術に取り組めていました。1年生にとっては、初めての戦術で、戸惑う場面もあったとは思いますが、この早い時期に様々な戦術の経験をできたことは、必ずや今後の彼らのためになったのではないかと感じます。まだまだまだまだ急成長中の'FC MUSASHINO'。明日8/14(金)は、堀崎公園にて、北部サッカーフェスティバルに参加してきます。1日で40分の前後半を2本戦わなくてはいけない大変な1日になるとは思いますが、精一杯戦ってまいりますので、応援よろしくお願いします!
 今回も、マネージャーが撮ってくれた写真を載せておきます。お楽しみください。

        

サッカー部 MUSANISTA #100 『テリヤカップ』

 8/7(金)、8/8(土)と、2日連続でテリヤカップに参加してきました。テリヤカップは、今年は熱中症予防や、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、25分ハーフで開催されました。1日目(8/7(金))は、獨協埼玉高校と松伏高校で10:30K.O.で試合が始まりました。結果は以下の通りです。

 <テリヤカップ> vs獨協埼玉
         0(0-1)(0-2)3 敗 北

 昨年から3年生に混じって試合に出ていた、加添、金子を欠く中で、3年生は岡部の一人、1年生が約半数のチームで挑んだテリヤカップ。1戦目は、声を掛け合うこと、攻守の切り替えを早くすること、球際で厳しくいくこと、などを確認し、試合に臨みました。試合開始から、キーパーの菅原、3年の岡部を中心に声が出ていて、いい雰囲気で試合に入ることができました。しかし、相手は3年生も多くいるチーム。徐々に経験の差、細かい技術の差が大きく見られるようになりました。相手は、ボールを奪うと、ディフェンスラインで右に左にボールを回し、効果的な縦パス、素早いフォローで次々とチャンスメイクをしてくる。逆に、'FC MUSASHINO'はボールを奪っても、縦に急いだプレーが多くなってしまい、相手にすぐにボールを奪われたり、FWとDFの間が間延びした状態での守備になってしまい、自ら首を絞める展開になってしまいました。獨協埼玉戦では、自分たちがやりたいサッカーを相手にやられ、苦しい試合になってしまいました。しかし、今の自分たちの課題が浮き彫りになった、いい試合になりました。
 その後、越谷南高校とも、25分1本で練習試合をやらせていただきました。結果は以下の通りです。

 <練習試合> vs越谷南
           2-0 勝 利
         【得点者】児島(1年FW) 細田(1年MF)
    

 この試合では、獨協埼玉戦とはうって変わって、一方的に攻める展開になりました。1年生の児島、細田からも得点が生まれ、1年生の自信につながる、いい試合となりました。試合の中でも、余裕を持ってプレーできることにより、先輩からのアドバイスなども試合中、後にも聞こえる展開となりました。

 

 2日目(8/8(土))は、越谷東と吉川美南高校で10:30K.O.で試合が始まりました。結果は以下の通りです。

 <テリヤカップ> vs越谷東
         0(0-0)(0-1)1 敗 北

 試合前には、前日の反省として、1年生に以下のような話をしました。
①試合内での具体的プレーについて
 (1)どういう意図を持ってDFラインで横にパスを繋いでいるか
 (2)球離れを早くする意味
②勝つ選手(チーム)にあるもの
 チームの目標としては、前日を受けて、以下のような確認をして、試合に臨みました。
①声を掛け合う
②攻守の切り替えを早く
③運動量を多くする
④スローイン、CKの攻守を大事に
⑤ゴールキックを繋いで始める

 前半は、昨日よりもボールを落ち着かせながらパスを繋ぐ場面もありました。サイドから突破や中央の縦関係から良い形も何度か演出。相手の様子をうかがいながら、こちらのタイミングで勝負を仕掛けるという、良いペースで試合を進めることができました。ミスはまだ多いものの昨日よりは減っており、前半は現チームでは最高に近い、質の高いプレーができていました。しかし、後半には、中力の低下が見られ、全体的な質が落ちました。体力的にはまだ残っていたはずですが、動き出し・準備・判断・精度・ポジショニングなど様々な部分で質が低下しました。ただチームの半数以上がひとつ下以上の学年と考えると、失点場面以外は頑張れたのではないかと思います。
 
 2日目も、練習試合を頼み、吉川美南高校と20分2本で練習試合を行いました。結果は以下の通りです。

 <練習試合> vs吉川美南
          0(0-2)(0-5)7 勝 利
        【得点者】細田③(1年MF) 有山②(2年MF) 三浦(1年MF) 児島(1年FW)

 2試合目の試合直前には、1試合目を受け、以下の確認をして、試合に臨みました。
①試合の間隔が空いたがもう一度集中し直して
②ボールを持ったときに少しスピードを落としてやってみるといい
③ゴールキックは繋いで
 試合内容としては、相手のプレッシャーが緩んだところをうまくついて、ボールを自由に回せる場面が多く、やりたいプレーができる展開となりました。試合後には、顧問の阿部が、
「相手が変わって、スピードやプレッシャーが変わっても同じようにプレーが出来るようになろう。1年は今日の話をすごく意識してやれていた。昨日よりも良かった。一方で、2年は上級生として声でもプレーでも引っ張って行かないといけない。お前たちが1年の良いところを引き出してあげるプレーをしないといけない。お前たちが自分のプレーのことしか考えられなくなったらこのチームは絶対に勝てない。先輩らしいプレーを。」という言葉で部員を鼓舞しました。
 この2日間テリヤカップに参加して、チームとして個人として、「何が今できるか(何が得意か)」また、「何が今できないか(何が課題か)」ということが明らかになりました。部員一人一人も、次の目標を感じ、進めべき方向を定めることができた試合になったと思いました。

 この2日間、暑い中で協力・応援してくださった皆様ありがとうございました。新生'FC MUSASHINO'はまだまだ始まったばかり。夏休みを越えて、急成長していく'FC MUSASHINO'の変化を、是非お楽しみに。そして、また応援をよろしくお願いします!

 今回も、マネージャーが撮ってくれた写真を載せておきます。お楽しみください。

 

           

 

 P.S.昨年4月に始まりましたMUSANISTAも、今回めでたく#100を迎えることとなりました。部員はもちろんのこと、練習試合をしに行ったときに相手先の顧問の先生が見てくださっていたり、中学3年生が見て興味を持って見学に来てくれたり、卒業生が見て今の状況を確認してくれ、アドバイスに来てくれたり。MUSANISTAを続けていて良かったと思う場面が何度もありました。今後も続けて参りますので、こちらも応援をよろしくお願いします。

サッカー部 MUSANISTA #99 『OB戦』『練習試合vs浦和商業高校』

 先日8/2(日)には、この3月に卒業したOBを招いて、OB戦を行いました。U-18リーグ3部優勝、2部昇格を果たした先輩方の胸を借りて、試合を行いました。結果は以下の通りです。

 <OB戦> vs3月卒業OB
         3(0-2)(1-3)(2-3)8 敗 北
        【得点者】金子(2年FW) 児島(1年FW) 細田(1年MF)

 3月卒業のOBは、部活引退後運動量も減り、体力は減っていたので後半に向かうにつれ辛そうでした。それでも、3年の積み重ねはすごかった。体格の違いからくる球際でのチャージ、スピード、一つ一つのテクニック、どれをとっても今のチームを圧倒する力を見せてくれました。今の'FC MUSASHINO'は、一人一人が目指すべき目標の高さを改めて肌で実感することができた試合となりました。応援・見学に来てくれた方々も多く、改めて昨年度のチームが愛されていたことを感じました。応援・見学に来てくださった方々、ありがとうございました。


 8/3(月)には、練習をはさみ、昨日8/4(火)には、大宮武蔵野グラウンドにて浦和商業高校と練習試合をしました。結果は以下の通りです。

 <練習試合> vs浦和商業
         1(0-0)(0-0)(1-0)0 勝 利
        【得点者】児島(1年FW)

 昨日の試合は、かなり日差しの強い、暑い中での12:00K.O.の試合となりました。9/6(日)から始まる予定の選手権予選は、1日に組まれた時間設定のうち、2戦目に当たると12:00K.O.になります。それを見据えた今回の時間設定でした。コロナ明けからの練習試合は、今のところすべて30分×3本で行っており、選手の体調、コンディションに十分注意して行っています。しかし、時間が短い中でも、やはり集中して最後まで戦い切る力は、まだ無いように感じました。さらに、実際に公式戦となれば、40分の前後半を戦わなくてはなりません。暑い中でも、十分に対策し最後まで戦い抜く力をつけていけるよう、練習の中でも運動量を増やしていくつもりです。
 試合の中身としては、終始攻めてはいましたがボールが落ち着かず、蹴り合いのような内容になってしまいました。また、ゴール前までボールは運べるものの、シュートが枠に飛ばず、決定力不足であることも感じました。何より感じたのは、個々人のレベルでは狙いを持ってプレーできていたものの、'チームとして'狙いを持って「守備」「攻撃」の連携を取れた部分が少なかったことです。前からプレスをするものの、後ろからのコーチングがなく、どこでボールを奪うかの共通認識がないこと。攻撃面でも、練習で行っていたダイレクトプレーがあまり見られなかったこと。相手のサイドが開いているにもかかわらず、有効に使いきれなかったこと。今後、さらに成長して無意識にもチームの連携が見られるチームになっていくことを期待します。
 まだまだ成長中の新生'FC MUSASHINO'。この夏は短いですが、1日1日の練習、練習試合を無駄にせず、着実に前に進んでいこうと思います。今後も応援よろしくお願いします。今回も、マネージャーが撮ってくれた写真を載せておきます。お楽しみください。

        

サッカー部 MUSANISTA #98 『練習試合vs大宮光陵高校』

 昨日、7/31(金)終業式後に、大宮武蔵野グラウンドにて大宮光陵高校と練習試合をしました。結果は以下の通りです。

 

 <練習試合> vs大宮光陵
         7(1-1)(2-0)(4-0)1 勝 利
        【得点者】小久保(2年MF) 加添③(2年MF) 金子②(2年FW) 児島(1年FW)

 

 新型コロナウイルス感染防止のため、新学期からここまで、試合はおろか練習も満足にできませんでした。久しぶりの試合は、1月18日の新人戦を最後にして、実に半年以上ぶりの試合となりました。
 7月に新入生を迎え、初めての試合になったこの試合。2・3年で11人いない'FC MUSASHINO'は、新入生もしっかりと戦力に取り入れた形で、練習試合に臨みました。1本目は、コーナーキックから失点したものの、2年MF小久保の見事なミドルシュートにより、試合を振り出しに戻す。2本目以降はフォーメーションを変え、より攻撃的な布陣で試合に臨みました。2本目では、1年生MFの細田からのセンタリングを2年MF加添が冷静に決めたり、2年生FWの金子が相手のミスを逃さず冷静に決めきったり、新入生に先輩の存在感を存分に示しました。3本目では、2年生DFの洞口がオーバーラップをしてあげたボールを、1年生児島が決めるなど、1年生からも得点が生まれました。
 今日の試合は、久しぶりであることもあり、選手全員が生き生きと戦っていたことが印象的でした。2・3年は久しぶりにチームメイトと声をかけながらの試合。ボール際の粘りもあり、一体感が感じられました。1年生は高校に入ってからの初めての試合。初めてでありながら、怖気づかず、果敢に攻めていたのが印象的でした。どの選手も輝くものがあり、今後の練習の中で磨き甲斐のある選手ばかりであると感じました。また、今後、練習を通していく中で、先輩後輩の垣根を超え、一つのチームとして成長していく姿を想像すると、とても楽しみです。今回も、マネージャーが撮ってくれた写真を載せておきます。お楽しみください。

 

 明日8/2(日)には、年度末から延びに延びたOB戦を予定しています。大宮武蔵野高校グラウンドにて、10:00K.O.で行いますので、新旧サッカー部の勇姿をぜひ応援・見学に来てみてください。

サッカー部 MUSANISTA #97 『草むしり』

 期末考査が昨日終了し、昨日から部活動が再開できるようになりました。

 サッカー部、女子サッカー部、陸上競技部では、声を掛け合い、校庭の草むしりから活動を再開することにしました。昨日、今日と、部員、マネージャー、顧問を中心に草むしりを行い、校庭の草は始めたころとは比べ物にならないほど、きれいにむしることができました。今日の活動は草むしりのみで終わり、明日から練習を再開できる状態を整えることができました。部員も、顧問も、土曜日の練習試合に向け、明日からボールを使ったトレーニングができることを心待ちにしています(週末の天気予報は不安ですが...)!

 最後に、グラウンド整備をした今日の状態の校庭の状況を載せておきます。

 (右奥に見える車が、グラウンド整備車です。草むしり前も撮っておけば、変化が見られて良かったなあ)

 

サッカー部 MUSANISTA #96 『 狼煙 』

 

【世界の論点】コロナ対策 日本再評価 米紙「奇妙な成功」 香港紙「称賛すべき規範意識の高さ」

 新型コロナウイルスの感染対策で日本は、2月のクルーズ船の隔離停泊以来、海外からの批判にさらされてきたが、最近、認識が改められつつある。数字は雄弁で、日本の感染死亡率が突出して低いからだ。日本の対応に懐疑的だった米外交誌はこれを「奇妙な成功」と評した。香港メディアは、日本人の規範意識の高さが導いた結果と分析した。だが、まだ気を緩める時ではないのは明白。ウイルスとの闘いでの勝利は、なお先だ。

<ポイント>

   ◆日本の感染死亡率の低さは奇跡的である

   ◆単なる幸運か、政策が良いからかは不明

   ◆東アジア人は欧米人よりもルールに敏感

   ◆超高齢社会の日本は肺炎の治療法を開拓

[米国 説明がつかない奇妙な成功]

 「日本の奇妙な成功 生半可なコロナウイルス対策が何であれ功を奏している」。米外交誌フォーリン・ポリシー(FP)電子版は14日、この見出しの論評を掲載した。論評は書き出しから刺激的だ。「コロナウイルスとの闘いで、日本はすべて間違ったことをしてきたように思えた。ウイルス検査を受けたのは人口の0.185%にすぎず、ソーシャルディスタンス(社会的距離)の取り方も中途半端だ。国民の大多数も政府の対応に批判的である。しかし、死亡率は世界最低(水準)で、医療崩壊も起こさずに感染者数は減少している。不可解だが、すべてが正しい方向に進んでいるように見えてしまう」

 FPが日本の「成功」の論拠としているのは死者の少なさだ。感染者数は、検査数が少ないのであてにならないが、死者数は確かな「指標」になるというわけである。14日時点での人口100万人当たりの死者数は、日本が5人、米国が258人、スペインが584人、欧州での防疫の成功例として挙げられているドイツですら94人に上ると指摘。日本の少なさは「ほとんど奇跡的」と評した。無論、少ない検査数では感染が原因の死亡例も過少に算出される可能性があるが、FPは「(感染死者数が誤って算出され)肺炎など他の類似疾病の死者数が急増しているわけでもない」として、死者数の信憑性を強調した。

 日本の死者が少ない理由としてFPは、『他人を思いやる気持ちが強い文化』『握手をしない風土』『衛生意識の高さ』などを挙げたが、これだけでは「数的に説明がつかない」と分析。「単なる幸運なのか、政策が良いからなのか、見極めるのは難しい」とやや皮肉交じりに結論付けた。感染者を出したクルーズ船が横浜港に停泊し、乗客乗員の2週間船内隔離が行われた際には「隔離は疫学的悪夢であり、過去に例を見ない失敗」(2月17日付米紙ニューヨーク・タイムズ)と酷評され、ウイルス検査の少なさについても「日本は本来あるべき数から、0が1つ足りない(桁違いに少ない)」(4月30日の英BBC放送)と指弾されるなど、海外からの日本批判が続出していたが、今や潮目が変わったようだ。

 医療従事者の献身的奉仕が「奇跡」の一端を支えているのは明白であるが、一方で、日本人も気付いていない隠れた理由があるかもしれない。最近、日本、韓国、インドなど結核予防ワクチン、BCGの接種義務がある国の死亡率が、接種習慣のない欧米諸国と比べて際立って低いことが注目されているが、因果関係は不明だ。

[香港 称賛すべき規範意識の高さ]

 新型コロナウイルスの感染で目立つのは、アジア以外での急拡大だ。米ジョンズ・ホプキンズ大学の集計によると、世界の感染者数は最多の米国をはじめ欧米や南米の国が上位を占め、当初爆発的に感染が拡大した中国は10位にも入っていない。香港のオンラインメディア、アジアタイムズは15~16日、「なぜ東アジアはコロナ対策で欧米に打ち勝ったのか」という記事を掲載した。記事では「新型コロナウイルスの流行で最も驚くべき特徴は、東アジアと欧米の間には大きな差があることだろう」とし、感染者数や死者数を比べれば「東アジアはウイルス管理において欧米より優れた結果を収めていることは明らかだ」と分析した。

 東アジア地域の特性について記事は「簡単に言えば、東アジア人は個人主義的な欧米人よりもルールに敏感であるという傾向がある。抗議文化で知られる韓国でも暴力は稀だ」と指摘した。香港でも昨年の「逃亡犯条例」改正案に端を発した抗議活動で、整然としたデモの様子が度々報じられた。日本については「世界屈指の高齢者人口を抱えながら死亡率が低いことは特筆に値する」と評した。イタリアの死亡率は日本の「約45倍」と指摘し、高齢者が介護施設ではなく在宅で生活している割合は両国ともほぼ同じという調査結果も紹介した。「日本は検査数が少ないことで広く批判されてきた。だが、世界で最もリスクの高い(高齢者)人口を抱え、高度な医療システムを持つ日本は、新型コロナの最も致命的な症状のひとつである肺炎の治療法を開拓してきた」と分析した。さらに「日本のロックダウン(都市封鎖)は軽度」だが、「大規模な集会の禁止、マスク着用、手の消毒などの指示が広く守られている」とし、韓国とともに社会的な規範意識の高さを称賛した

 こうした日本人の規範意識を称える声は別のメディアでもある。シンガポールのオンラインメディア、マザーシップは9日の記事で、日本在住のシンガポール人男性の意見を取り上げ、「日本の対応はシンガポールほど効率的ではないと思うが、新型コロナの拡散を遅らせている」との声を紹介した。シンガポールは4月7日から職場・学校の閉鎖措置「サーキットブレーカー」を導入し、厳格な外出制限を実施している。男性は「(日本も)家にいることを義務化できればいいと思う」としつつ、「シンガポール人と比べ、日本人は自身を律し、ルールを守る人が多い。政府が法律で強制的に家に押し込める必要はないのかも」と解説した。

5月25日 産經新聞 社説 より

 

 

 緊急事態宣言が発令されて4月14日から1日1回、更新してきました。学校生活を送れない、部活を行えない、生徒に伝えられない、話が出来ない、顔を見られない、そんな気持ちから始めました。内容は、主に新型コロナウイルス関連でしたが、こう見えて一応サッカー部顧問ですので時々サッカーの話題にも触れてきました。一昨日、安倍晋三首相より緊急事態宣言が解除され、学校も再開できそうになりました。そこで、更新頻度の緩和措置に入ります。社会活動や経済活動、学校関係は段階的にということですが、ブログの更新は一気に緩めます。ですので、従来の更新頻度に戻ります。今後の部活の活動状況によっては、もしかしたら暫くの間”発信自粛”措置を取るようなことに…なるかもしれませんが。最後に、私の職場同僚のこのひと月の運動状況を載せて締めくくりたいと思います。何処かの高校の先生も、来る学校再開に向けて学校近隣の土手を走って準備をしているようなことをHPに書かれていましたが…どこの学校の先生方もみなさん同じみたいです。

 

     4月14日 (昼)8.0km          5月5日 (朝)8.0km (夕方)10.0km

     4月15日 (昼)8.0km          5月6日 (朝)8.0km (夕方)10.0km

     4月16日 (昼)8.0km          5月7日 (朝)8.0km (夕方)8.0km

     4月17日 (昼)8.0km          5月8日  筋トレ実施

     4月21日 (昼)8.0km          5月9日 (朝)8.0km

     4月23日 (昼)8.0km          5月10日 (朝)8.0km (夕方)8.0km

     4月25日 (朝)8.0km          5月12日  筋トレ実施

     4月26日 (朝)7.0km          5月13日 (夕方)10.0km

     4月28日 (昼)5.0km          5月14日 (夕方)7.0km

     4月29日 (朝)8.0km (夕方)8.0km   5月15日 (夕方)10.0km

     4月30日 (朝)8.0km (夕方)9.0km   5月22日 (夕方)8.0km

     5月1日 (昼)9.0km          5月23日 (夕方)11.0km

     5月2日 (朝)8.0km (夕方)9.0km   5月24日 (夕方)7.0km

     5月3日 (朝)8.0km (夕方)3.0km   5月25日 (夕方)10.0km

     5月4日 (朝)8.0km (夕方)9.0km       43日間で合計294㎞

 

 

 

サッカー部 MUSANISTA #95 『次なるステージ』

 

<緊急事態宣言を全面解除>

 政府は25日夜、新型インフルエンザ等特別措置法に基づく緊急事態宣言を全面解除した。継続中だった北海道と首都圏の東京、埼玉、千葉、神奈川の計5都道県を対象から外した。安倍晋三首相は記者意見で、外出やイベントを含めたあらゆる社会活動を段階的に緩和する方針を示した。「わずか1か月半で流行をほぼ収束させることができた」と強調。再流行に備え、医療体制の充実に2兆円の予算を積み増すと説明した。日本の感染症対策は新たな局面に入った。

5月25日 共同通信 より

 

<1か月半でほぼ収束>

 安倍晋三首相は25日、記者会見し、新型コロナウイルスが3月以降、欧米で爆発的に感染が拡大しており、「世界では今なお日々10万人を超える新規の感染者が確認され、2ヵ月以上にわたりロックダウンなど強制措置が行われる国もある」と指摘した。そのうえで「わが国では緊急事態を宣言しても罰則を伴う強制的な外出規制などを実施することはできない。それでも、そうした日本ならではのやり方で、わずか1か月半で今回の流行をほぼ収束させることができた」と感染の封じ込めに一定程度以上成功したことを強調した。「まさに日本モデルの力を示したと思う。すべての国民のご協力、ここまで根気強く辛抱してくださったみなさまに心より感謝申し上げる」とも語った。

5月25日 共同通信 より

 

<全国移動は6月19日からOK>

 政府は25日、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言の全面解除を受けて、社会経済活動を段階的に拡大する指針をまとめた。外出や店舗営業、観光、イベント開催などについて、都道府県知事が域内の感染状況を見ながら約3週間ごとに基準を見直し、6月19日から全国での都道府県をまたぐ移動やプロスポーツの無観客試合などを容認する。指針では、都道府県をまたぐ移動は6月1日から容認するが、5月25日に解除された東京、神奈川、埼玉、千葉の4都県や北海道との往来は6月18日まで控えるよう求めた。観光は都道府県内なら5月25日、都道府県外へは6月19日から徐々に再開し、8月1日からの全面再開を目指す。

5月25日 毎日新聞 より

 

 昨夕の首相記者会見後、20時から西村経済再生担当大臣が会見を行いましたが御覧になりましたか。テレビ中継はやっていなかったと思いますが、各社インターネット配信をライブでやっていました。諮問委員会の尾身茂会長と緊急事態宣言の解除を決定した理由についてグラフや表を用いて詳しく解説と今後の社会活動の段階的緩和の指針について述べられていました。詳しい会見内容については、まだ新聞やネットに出ていないので、すべてを正しく書くことはできませんが、私が覚えている限りでは、

  ◆感染状況の推移

  ◆医療提供体制(病床数)

  ◆検査体制の構築

  ◆地域別の新型コロナウイルス感染症対策

  ◆新しい生活様式

  ◆特定都道府県への再指定に関する指標

  ◆外出自粛(県外をまたぐ/観光)の段階的緩和の目安

    ①5/25~△②6/1~〇(一部首都圏は除く)③6/19~◎

  ◆GoToキャンペーンの支援

    ①観光宿泊:旅行代金の50%クーポン(最大1人当たり2万円/泊)

    ②飲食:飲食店で使えるポイント等を付与(最大1人当たり1000円)、プレミアム付食事券(2割相当分割引)

    ③イベント:チケット代の割引(2割相当分)

    ※これら①②③は、何度でも繰り返し使用可能なもの

  ◆イベント開催制限の段階的緩和の目安(その1)(屋内/屋外)

  ◆イベント開催制限の段階的緩和の目安(その2)(コンサート、展示会等、プロスポーツ等、お祭り・野外フェス等)

  ◆クラスター発生施設等に係る外出自粛や休業要請等の段階的緩和の目安

  (接待を伴う飲食業、ライブハウス等、カラオケ、スポーツジム等)

 

 最後に西村大臣の昨日の会見の中で印象に残った言葉を載せておきます。

  

  『新しい生活様式を定着していくことが大事。マスクの着用、消毒、換気、人との距離を離すことは基本的なことです。

  

  『戦後最大の危機という表現も使いました。日本は戦後、焼け野原でゼロからのスタートだった。何もなくなったところから立ち上がった。それ以降では日本が初めて経験する最も厳しい状況にあるんだと。しかしながら、戦後の復興時には何もなかったわけです。インフラがすべて壊され、ゼロからの復興であったわけですけれども、今回、建物や工場、何かインフラが壊されているわけではありません。見えないウイルスが原因であります。原因がはっきりしていますので、これから経済活動、社会活動を段階的に引き上げていく中で、適切なタイミングで適切な政策を討てば、必ず日本経済は復活できるという確信を持っています。(中略)しかし、ここまでこれたのは、私は様々な医療体制とか、CTの普及の多さとか様々あります。でも、私自身はやはり、日本人の意識の高さ(良識)自制心連帯意識、こういったものの成果だと考えています。

 

 会見の内容を詳しくご覧になりたい方は、動画を載せておきますのでご覧ください。大臣からのまとめのメッセージは、20分あたりから約10分程度です。昨日まですべてを報道はされていませんが西村大臣は、緊急事態宣言が出されてから毎日記者会見を開かれていたのを知っていましたか。会見が出来なかったのは議会が延びてしまったことによる1日だけだったそうです。私には、政治のことはよく分かりませんが、この会見の西村大臣の様子を見ると、私も出来ることから協力をしたいと思えました。言葉も非常に大切ですが、どんな時でも顔を見るというのは、大きな力になるのだと思います。

【西村経済再生担当大臣 5月25日 記者会見】

   https://www.youtube.com/watch?v=lk1Yux_NaF4

 

サッカー部 MUSANISTA #94 『緊急事態宣言 全面解除へ』

 

 

『夜20時の拍手』にみんなで力を合わせませんか?

~ 新型コロナウイルス感染拡大防止の為に私たちを支えてくれている人たちへの感謝と励ましの気持ちを込めて~

 

 

 本日25日、北海道、東京、埼玉、神奈川、千葉の5都道県の緊急事態宣言が全面解除される予定です。今更ですが、「緊急事態宣言」とはどういう事だったでしょうか?宣言が「解除」されたら、すべてが通常に戻るのでしょうか?

 緊急事態宣言とは、新型インフルエンザ等特別措置法によって国家の存続を揺るがしかねない有事の際に内閣総理大臣が発令します。宣言が発令されると、対象の都道府県知事は、法的な効力をもって以下の3点を行うことが出来るようになります。

  ①感染拡大の防止措置

   (例)外出自粛の要請 学校や集会所などの使用制限 イベント中止の要請、指示

  ②医療体制確保のための措置

   (例)診療提供や医薬品の販売 医療施設を開設するための土地、建物の公的借上げと使用 

  ③国民の生活を安定させるための措置

   (例)ワクチンなど緊急物資の輸送指示 特定の物資の売渡指示

 

 宣言が「解除」されるということは、対象の都道府県知事が法的効力を失うということです。つまり、「強制力」がなくなるということです。これまで感染拡大防止対策の取組みとして行われてきた”外出の自粛”、”勤務形態”、”夜間の営業”など様々な事柄が『協力・依頼』の程度に下がるということです。職種や店舗によっては、非常に大きな意味を持つことです。学校にとっても宣言が解かれるというのは、再開や登校の目途が立ちますので大きなことなのです。

 ですが、日常生活はどうでしょうか。緊急事態宣言が解除されると、人との接触ももう大丈夫なのでしょうか。大勢の人が一堂に集まって活動してももう大丈夫なのでしょうか。暑いからと窓を閉め切って冷房を効かせた部屋に複数人で何時間も居座っててももう大丈夫なのでしょうか。これまで、このブログを読み続けてくれた人なら分かりますよね。今日、初めてブログを読まれた人は、もしも時間が許すのであれば、#62 『人との接触を8割減らす「10のポイント」』、#79 『家庭での対策 今こそ再点検』、#82 『宣言解除後の防止策』を是非読んでみてください。

 22日、小池都知事は会見で現在の状況を「ステップ0」として、外出自粛や休業要請等の緩和措置の内容を「ステップ1~3」に分けて提示したうえで『もし25日に緊急事態宣言が解除という決定になれば、ステップ1に進むのは26日午前0時ということになろうかと思う。25日の判断次第になるが、そういうタイムスケジュールで考えている』と述べられていました。東京都では、今後以下のように段階的に緩和が進んでいきそうです。

 

STEP1:都民の文化的・健康的な生活を維持する上で必要性が高い施設を緩和(入場制限等を設けることを前提に博物館、美術館、図書館の再開)、飲食店等の営業時間の一部緩和(夜10時まで)、50人までのイベント開催を可能
STEP2:クラスター発生歴がなく3密が重なりにくい施設の緩和(入場制限や座席間隔の留意を前提に劇場等の施設の再開)、100人までのイベント開催を可能
STEP3:クラスター発生歴があるかまたはリスクの高い施設を除き入場制限などを前提として全ての施設を再開、飲食店等の営業時間の一部緩和(夜12時まで)、1000人までのイベント開催を可能
※STEP3でも、接待を伴う飲食店、個室付浴場、カラオケ、ライブハウス、スポーツジムについては休業要請を継続

 

サッカー部 MUSANISTA #93 『いざ武蔵野へ』

 

 

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~ 新型コロナウイルス感染拡大防止の為に私たちを支えてくれている人たちへの感謝と励ましの気持ちを込めて~

 

 

 <埼玉県立中高、6月1日から段階的再開>

 埼玉県は22日の新型コロナウイルス対策本部会議で、感染者が減少している傾向を踏まえ、休校中の県立の中学校や高校などを6月1日から段階的に再開すると決定した

 分散登校や時差通学を活用しながら徐々に実施し、6月22日(1か月後)から通常の学校運営に移行する計画だ。市町村立の小中学校や高校に関しても、同様の対応をとるよう各教育委員会に要請する。

 県が示したスケジュールによると、6月1日~7日を「登校馴らし期間」に位置づけ、期間中に1回の登校日を設ける。8~21日は「通常登校移行期間」として登校日を1週間当たり2~5回に増し、22日には通常の登校を再開する。部活動は通常登校再開までは休止する。

 休校で生じた学習の遅れは夏休みを短縮することなどで補う。特別支援学校については、それぞれの学校の実情を踏まえて実施するとした。

 再開後も、感染対策は継続し、マスクの着用や換気を徹底するほか、各家庭で児童生徒の体温などを「健康観察カード」に記入してもらい、学校側と健康情報を共有する仕組みを作る。感染リスクの高い音楽の歌唱や近距離での運動は当面禁止する。

5月22日 産經新聞 記事より

 

 

<埼玉県、6月1日にも学校再開 感染減続けば、夏休み8月1~24日>

 埼玉県の大野元裕知事は22日記者会見し、休業が続いてる学校の再開について「(新型コロナウイルス)新規感染者数が5月10日以降1桁台で推移し、19日には0人になるなど減少してきている。この傾向が継続することを前提に6月1日から分散登校や時差通学を活用しながら段階的に学校を再開する」と述べた。

 再開からしばらくは分散登校を行う予定。初め週はならし期間として週1日の登校とし、馴らし期間とする。その後、週2~5日へと徐々に増やしながら通常登校へと移行し、「再開から3週間で通常登校にしたい」と語った。部活動の再開は通常登校が始まってから。夏休みは原則として8月1日から8月24日までとする。

 県南部と北部では感染状況や通学状況(近所から通う生徒が多いか、遠方から通う生徒が多いか)が異なり、「今後の感染動向を踏まえて柔軟に対応する」とした。特別支援学校も各学校の実情に合わせて再開していくという。いずれの学校も、徹底した感染防止対策を講じていく、と説明した。

5月22日 THE PAGE より

 

【外出自粛等の解除の検討の目安について(記者会見資料より)】

外出自粛等の解除の検討の目安について

 

【通常登校までの考え方(埼玉県会議資料より)】

通常登校までの考え方のイメージ図

  政府は、北海道、東京都、千葉県、埼玉県、神奈川県の5都道県の緊急事態宣言を25日に全面解除する方針を固めたそうです。臨時休校中に与えられた課題は、もうすべて終わっていますか?新入生は、体育着等の準備も整えてありますか?classroomにはログインしましたか?(classroomに入らないと動画課題は見られません)3か月間伸びきった頭髪もサッパリしてありますか?6月から更衣になりますが夏服の準備もできていますか?学校生活の開始に向けて規則正しい生活を送れていますか?スタートから躓いて出遅れないように。順当に行けば、あと8日後に「始動」です。

 

サッカー部 MUSANISTA #92 『 ご縁 』

 

 

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【現在の明治神宮の大鳥居(第二鳥居)】木造の明神鳥居では国内最大

 

 

 今日はコロナウイルス関連のことではありません。台湾の記事を載せさせてもらったところ、偶然にも掲載されていましたので…

 

<100年の森> ~明治神宮物語~ 日本と台湾を結ぶ大鳥居

 明治神宮から約30キロ離れた、さいたま市大宮区の武蔵一宮氷川神社参道入り口に、朱色の大鳥居が建っている。この鳥居は、元は明治神宮の大鳥居(第二鳥居)だった。大正9年の創建時に完成し、多くの参拝者を迎えてきたが、昭和41年に落雷により北側の柱が破損。新しい鳥居が奉納された翌年の51年、氷川神社に寄贈された。明治神宮では白木だったが、氷川神社では他の鳥居に合わせて朱色に塗られている。

 この氷川神社は、明治天皇が東京に入って2週間後に行幸されるなど、皇室と縁が深いことで知られている。また、引っ越してきた鳥居とともに生まれた縁もある。「台湾の方が見えて『これが台湾のヒノキでできた鳥居ですか』と喜んで行かれるんです。寄贈して頂いてよかったと思っています。」そう話すのは権禰宜(ごんねぎ:神職の職階のひとつ)の遠藤胤也(59)さんだ。

 明治神宮の8つの鳥居は、創建時はすべて台湾ヒノキを用いていた。

[用材は総数38本、材積尺締1384本、総て台湾総督府の進献にして、其最も長大なるものは長さ55尺

(約17m)、樹齢1284年に達し(中略)、新高山の西腹より伐採せしと云ふ](明治神宮造営誌)

 本殿に近い第三鳥居の建て替えなどを手掛けた清水建設の寺社・文化財担当の小橋孝吉さん(70)は「当時の日本にも直径1mを超えるヒノキがあったかもしれないが、台湾ヒノキは地上1500mの高山にあるため寒さで年輪の成長が遅く、強度が高い。雨や霧が多く菌類が木を攻めるため、木は自分を守るために油分を蓄えて成長し、そのため耐久性も高い」と説明する。

 南参道と北参道が出会う場所にある第2鳥居は、高さ12m、幅17.1m、柱の太さは直径1.2mで、『木造の明神鳥居としては日本一の大きさ』とされる。建て替え後の昭和50年12月23日に行われた「くぐり初め」で、奉納した東京都世田谷区の木材商、川島康資さん(当時72)は「感無量の面持ち」で鳥居を見上げたと本紙は伝えている。実は代わりのヒノキは国内では見つからず、川島さんは台湾に足を運び、丹大山(3300m)で巨大なヒノキを発見。地元の木材商などが運搬用のトレーラーと道路を新たに作るなど全面的に協力してくれたという。

 平成26年9月放送のインターネット番組「日本文化チャンネル桜 台湾チャンネル~日台交流頻道」は、この経緯を当時存命だった関係者らに取材して報じ、視聴した台湾の人々が明治神宮や冒頭の氷川神社を訪れるなどの反響を呼んだ。番組で取材した台湾研究フォーラム会長、永山英樹さん(58)は「伐採に協力した孫海さんという木材商は、丹大山に寺を建て、伐採した樹木を供養していると聞いた」と話し、こう続ける。「木の命を大切にして森を守るという同じ感性を、日本と台湾の人は持っているのではないでしょうか」

 明治神宮の8つの鳥居は順次、建て替えや修復が行われている。台湾材の輸出が禁止されたこともあり、第三鳥居は国産材が使われ、今後建て替えられる第一鳥居も奈良・吉野スギなどで一新される予定だ。

 前出の小橋さんによると、氷川神社の鳥居のように、東玉垣鳥居と西玉垣鳥居は福島市の福島稲荷神社で使われている。第三鳥居の建て替えで生じた部材は、近年の社殿修理の際、ご神体が遷る仮殿の造営に生かされたという。鳥居の木々は、姿や場所を変えながら、創建時からの100年の歴史と記憶とともに生き続けている。

5月22日 産經新聞 コラムより

 

【明治神宮から移設された武蔵一宮氷川神社の大鳥居】

 

 

 台湾とこんな歴史的繋がりがあったことをご存知でしたか?大宮氷川神社の大鳥居が、明治神宮から移設されたものだったことは、埼玉県民なら当然知っていましたよね。

 

 みなさんも、別の用事で時々近くまで行きますよね。そのすぐそばに台湾から遥々やって来た”日本一”がそびえ立っています。この機会に8つの鳥居すべてを見学してみるのもいいかもしれません。私たち日本人の心の中には、『木の命を大切にして、杜を愛する感性』が脈々と受け継がれているはずですから。

明治神宮境内図

【日本一の大鳥居までの地図】

 

サッカー部 MUSANISTA #91 『 It's a small world 』

 

 

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WHOと中国 異様な影響力を排除せよ

 新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)のさなか、世界保健機関(WHO)の総会がテレビ会議方式で開かれた。浮かび上がったのは、新型コロナウイルスの発生国である中国がなんら反省点も表明せずに、我が物顔で振舞うことを許すWHOのおかしさである。これでは国際社会は結束してパンデミックに対応できない。中国の異様な影響力を取り除き、国連の専門機関として公正な姿を取り戻す改革が必要だ。

 日米など多くの国が台湾のオブザーバー参加を求めたが、WHOは中国の圧力に屈し認めなかった。中国の隣に位置しながら世界で最もうまく新型コロナウイルスを封じ込めてきた台湾の参加は今こそ必要だ。認めなかったのは、人類の命と健康よりも「台湾封じ込め」を優先する中国の政治的立場にWHOがくみしたことを意味する。

 中国の習近平国家主席は演説で新型ウイルスでWHOが「重大な貢献」をしたと称えた。自国については「終始一貫してオープンで透明性があった」と述べ、今後2年間でウイルス対策へ20億ドルを拠出すると表明した。米国のアザー厚生長官は「世界が必要としていた情報の(中国からの)入手にWHOが失敗したことが、感染が抑制不能になった主要原因だ」と述べ、中国とWHOの初期対応を批判した。説得力ある指摘である。中国は今も武漢への独立した国際調査団を認めていない。初動の実態を詳らか(つまびらか)にしなければ、今と将来のパンデミックに対処できない。

 欧州連合(EU)や日本、オーストラリアなどが総会へ提出した決議は、WHOなどの初期対応に問題がなかったか、「独立した検証」を早期に行うよう求めた。テドロス事務局長は総会でこれに応じる態度を示した。だが、習氏は演説で「(新型ウイルスの)抑制後」にWHOが主導して検証するよう唱えた。先送り論であり、中国が決議に賛成したと言っても意味ある検証は難しい。

 トランプ大統領はテドロス氏への公開書簡で中国寄りの姿勢を批判し、30日以内に改善できなければ資金拠出を恒久的に停止し、脱退も検討すると通告した。日本など先進7か国(G7)、オーストラリアなど各国も、台湾加盟やテドロス氏辞任を含む抜本改革を強く迫っていくべきだ。

5月20日 産經新聞 主張 より

 

 

「武漢ウイルス」から露見した「中国の真相」 日本の皆様へ 台湾から伝えたいこと

 昨年12月、中国より拡大した「武漢ウイルス」は約187国・地域に広がり、感染者は480万人を超えて、31万人以上の命が奪われました(数字は5月19日時点)。これほどの人的被害の発生は、第2次世界大戦以降で初めてです。最大規模の「人為的ミス」による災難と言えます。中国と最短で幅約130キロの海峡を隔てたところに位置する台湾も大きな被害は免れ得ないところでした。ただ、蔡英文政権が迅速な対応策を取ったことで、感染拡大の抑え込みに全体としては成功しています。

◆SARSの教訓

 成功の背景として次の3つを挙げます。

 ①2003年に中国を発生源とし、台湾でも多数が死亡した重症急性呼吸器症候群(SARS)を教訓に、台湾の疾病管制署が昨年12月31日から武漢発直行便の検疫を強化するなど、蔡政権は早い段階から防疫対策に取り組みました。

 ②蔡政権と多くの台湾人はSARSの際の情報隠しなど、中国の「虚偽体質」を繰り返し見聞きしてきた経験から、中国を全面的に信用していません。

 ③世界保健機関(WHO)が「武漢ウイルス」への対応で、当初からあからさまな「中国寄り」の対応を取ったことで、台湾はWHO発の情報を信用することなく、独自の判断で防疫対策に当たりました。

 蔡政権の初期段階の施策としては、1月22日に中国疫区との往来を禁止し、台湾入境者全員に14日間の強制隔離を厳格実行することを決めました。マスク対策では、行政院(内閣)が24日に輸出停止を表明する一方、国内生産を企業に促して増産し、政府が全面的に管理下に置くことで国内6千か所の健康保険特約薬局で平等に購入できるシステムを構築しました。

◆中国観光客は事前に激減

 実は「武漢ウイルス」が発生した時点で、台湾を訪れる中国人観光客は少なくなっていました。背景には複雑な経緯がありました。

 親中路線の国民党の馬英九前政権は2014年に中台が一段と市場開放を進める「サービス貿易協定」締結を中国と進めてきました。対中急接近に危機感を強めた学生らは、同協定締結について審議中の立法院(国会)を占拠する「ヒマワリ運動」を起こし、締結阻止につなげました。仮に締結されていれば、中国全土からさまざまな業種の中国人が大量に台湾に押しかけていた恐れがありました。ただ、中国は同協定締結が阻止されたことに不満を強めました。さらに、台湾独立志向の民主進歩党(民進党)が16年の総統選と立法委員(国会議員)選で勝利して再び与党になりました。これに対しても中国は強く反発しました。中国は圧力強化の一環として、台湾を訪れる観光客を制限し、昨年8月から中国から台湾への個人観光旅行を全面的に停止しました。

 これらが台湾を訪れる中国人が激減した理由です。思い起こせば、サービス貿易協定を阻止しようと懸命に抵抗した若者たちの勇気ある行動こそが、「武漢ウイルス」による台湾での被害を最小限に抑えられたきっかけだったと言えます。

◆国際社会の対中批判

 中国とWHOは、今回のウイルスが「中国・武漢に由来する」という事実を隠すために「武漢ウイルス」という呼び方を別名に変えようとしています。さらに、世界中がウイルス対策で躍起になっている最中に、台湾周辺に頻繁に軍用機と軍艦を派遣し、台湾の領空と領海を侵犯してきました。これらの動きは、台湾国民の対中嫌悪感を高める一方です。中国は3月末から「国際親善援助」として欧米や南米諸国などにマスクや医療資材を送りました。各国から賞賛を期待しつつ、災害便乗商法も同時に推進しています。

 しかし、スペインでは中国企業から購入した検査キットが不良品だと判明して5万8千個が返品となったり、オランダでも中国製マスクを回収、トルコでも検査キットの欠陥が見つかったりするなど中国製から多くの不良品が見つかりました。このような非道徳的行為に対し、責任感と正確な判断力を有する各国政担当者が中国に好印象を抱くはずがありません。「武漢ウイルス」の感染拡大に対し、米政府の関係筋は「第1級殺人に相当する」と指摘した上で、中国に対して欧州人権裁判所に提訴するなどの法的措置を取ることを検討していると発表しました。ブラジルも「(中国が)ウイルスの中心地」と非難しています。国際司法裁判所、全インド弁護士会も賠償請求に向け、国連に調査提案を提出しました。さらにイギリス外交シンクタンク「ヘンリー・ジャンクソン協会」も損害賠償請求報告書を作成しています。感染拡大が一定程度落ち着いた後、次々と中国を相手取った損害賠償の請求が始まるとみられます。

◆中国によるサイバー攻撃

 中国は「5千年の歴史を有する」などと大国ぶりをアピールし続けています。しかし、台湾に対する姑息な振る舞いからは大国としての器量は全く感じられません。中国は世界各国の大総領事館に駐在している外交官を総動員するとともに、共産党が指導する「サイバー軍」を活用して、台湾への友好的な言論に対して激しい中傷誹謗、さらには恐喝などの攻撃を続けています。サイバー軍は、国内外の世論を中国の主張に沿うように誘導することを狙っています。台湾の陳時中衛生福利部長(衛生相)は今年1月20日に発足した中央感染症指揮センター対策本部のトップを兼任して以降、毎日欠かさず記者会見を開いて、感染を巡る最新情報や対策について丁寧に説明しています。陳部長の真摯な姿勢に対して、国民は熱い信頼を寄せ、人気は極めて高くなっています。しかし、中国は台湾に留学に来ている中国学生らを使ってネット上に「ナイフを磨きながら(いずれ)殺す」と書き込み、陳部長を脅迫しました。台湾の警政署(警察庁)の調査によると、複数の中国人留学生が関与していたとされます。中国による台湾世論の攪乱を狙った浸透工作を裏付けました。

◆台湾のマスク支援

 蔡英文政権は台湾の感染症対策に力を入れるとともに、国際社会への配慮も忘れてはいません。1月時点でマスク生産能力は日産188万枚でしたが、現在は日産1500万枚に達しています。そのため、欧州連合(EU)に700万枚、米国に200万枚、日本に200万枚、台湾と外交官関係を結ぶ友好国に100万枚を贈呈しました。また、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ氏や著名歌手のバーブラ・ストライサンド氏らからも台湾に対する熱い賛辞が寄せられています。

◆グローバリゼーション再評価を

 「武漢ウイルス」の世界的感染拡大を受け、過去20年間に政治家や産業界、学術界、メディアが讃えてきた「グローバリゼーション」を評価し直す必要に迫られています。「グローバル化」は過度に美化され、支持する人たちは資本、金融、投資のグローバル化の長所しか見てこなかったと思います。一方、「反グローバリゼーション」を主張する人たちは、批判の対象を階級社会の二極化や地球環破壊といった分野に集中していました。「グローバル化に伴う感染症の拡大」という副作用は、全く研究されていません。今回の世界規模の感染拡大は、まさに今、世界に警鐘を鳴らしています。今後の社会科学の視点や世界の人々の見方を変えるきっかけとなるのは間違いありません。さらに、世界金融株式市場の脆弱さ、人類の命の安全にかかわるグローバル化がもたらしたリスクについても、改めて考え直さなければならないと思います。

◆民主の台湾、洗脳の中国

 今回の感染拡大により、浮き彫りになった事実は他にもあります。

 まず、台湾です。蔡英文政権が的確に対応できた根本的な理由は、民主主義の価値を堅持しつつ専門知識を最大限活用し、政権が強いリーダーシップを発揮したためです。そして、台湾国民の根気強さと、他者を思いやる優しい心が台湾を支える最強の力となっています。そうした中、台湾で民主主義のメリットを受けながら、中国共産党の顔色をうかがいつつ片棒を担ごうとする親中政党は極めて残念な存在です。

 次に、中国です。感染拡大に対する責任を反省することなく、ウイルスが人工的につくられたとの指摘に対しても説明をしていません。このような中国政府に洗脳された中国人は、グローバル化に伴い、民主主義などの価値観を掲げる西側社会に接する機会を得られているにもかかわらず、簡単には一党独裁の中国共産党への盲信から抜け出せないことが明らかになりました。

◆日本と国際事業で協力を

 台湾は中国の執拗な妨害によって、WHOから排除されています。WHOに加盟できていないため、世界各国に通報されている情報を受け取ることができません。台湾は厳しい現実をかみしめつつ、懸命に自力で国民の健康を守ってきました。

 中国による絶え間ない嫌がらせにより、さまざまな局面で国際社会から排除されるという理不尽な目に遭ってきました。しかし、今回の世界的危機に当たり、台湾は世界に対する人道的支援活動を展開しています。台湾国民の大多数は微力ながら、国際貢献に尽くしていきたいと願っています。日本とも今後さらなる信頼関係を築き、多くの国際事業で手を携えていくことができればと願っています

5月19日 47NEWS 簫新煌(しょうしんこう)氏 より

 

 #89に掲載した鈴木達治郎氏の言葉と簫氏の言葉は、重なる点が多いなと感じるのは、私だけでしょうか。

 

サッカー部 MUSANISTA #90 『 夢 』

 

「夏の甲子園」の中止決定 戦後初

 日本高校野球連盟は20日、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で8月10日に開幕予定だった第102回全国高校野球選手権大会について、地方大会も含めて中止することを決めた。大会の中止は戦後初。今春の第92回選抜高校野球大会も史上初めて中止となっている。また、今夏の全国高校軟式野球選手権大会も史上初の中止が決定した。

 日本高野連は、感染防止対策として、無観客開催や開会式を行わないことなども検討したとしたうえで「開催期間が2週間以上に及ぶこと、代表校が全都道府県から長時間かけて移動することなどを考慮すると、感染と拡散のリスクが避けられない」と理由を説明。地方大会についても、休校や部活動停止などが長時間に及んでいることを挙げ、十分な練習を積めていないことによるけがのリスクや学業の支障になりかねないことから実施は困難と判断した。

 大会は、全国中等学校優勝野球大会として1915年に始まった。夏の大会の中止は米騒動があった18年の第4回大会と、戦争の影響を受けた41年の第27回大会の2回あり、今回で3回目。42~45年は戦争の影響で中断された。全32校の出場が決まっていた今春の選抜大会は一時無観客開催も視野に入れたが、開幕8日前の3月11日に感染拡大の収束が見通せないとして中止を決定した。

5月20日 毎日新聞 ONLINEより

 

夏の甲子園の中止を決定 高野連、コロナ禍で開催断念

 日本高野連(八田英二会長)が新型コロナウイルスの感染拡大を受け、甲子園球場(兵庫県西宮市)で8月10日に開幕予定だった第102回全国選手権大会の中止を決めたことが20日、関係者への取材で分かった。この日正午からオンライン形式で大会の運営委員会を開いて決定した。続いて行われる理事会で正式決定する。今春の選抜大会も史上初めて中止されており、甲子園大会が春夏とも開かれないのは戦時中を除けば初めて。

 全国の新規感染者数は大幅な減少傾向にあるが、大会には全国からの生徒の移動や宿舎での長期間の集団生活が避けられず、感染リスクが高いことが開催断念の大きな要因になったとみられる。また、政府の緊急事態宣言を受けて部活動を再開できる時期が不透明な地域もあり、49代表校を決める地方大会を選手権大会開幕までに全て終えるのは難しい状況になっていた。

 今夏に開催予定だった東京五輪・パラリンピックが1年延期されるなど、コロナ禍の影響は多くのスポーツイベントに及んでいる。高校スポーツでは今春の選抜大会のほか、選手権大会と同時期に東北から九州の21府県で分散開催する予定だった全国高校総合体育大会(インターハイ)も4月26日に中止が決まっていた。

 大正4(1915)年から100年を超える歴史をもつ大会は、戦時中の昭和17~20年の中断のほか、米騒動が起きた大正7(1918)年の第4回大会と、先の大戦の戦局が悪化した昭和16年の第27回大会が中止されたことがある。

5月20日 産經新聞 THE SANKEI NEWSより

 

夏の甲子園大会は中止 代表49校を決める地方大会も

 全国高校野球選手権大会を主催する朝日新聞社と日本高校野球連盟は20日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、今夏の第102回全国選手権大会と、代表49校を決める地方大会の中止を発表した。この日オンラインで開かれた運営委員会で決定し、日本高野連の理事会で承認された。

 全国大会の中止は、米騒動があった1918(大正7)年の第4回大会、戦争の影響を受けた41(昭和16)年の第27回大会に続き、3度目。42~45年は戦争のため中断していた。記者会見で、大会会長の渡辺雅隆・朝日新聞社社長は「最後の夏を迎える3年生のためにも集大成の場になる試合を設けられないか、ぎりぎりまで検討したが感染拡大防止の取り組みが長期化し、第2波、第3波を指摘する専門家もいる。安全を最優先に考えた判断だった」と話した。日本高野連の八田英二会長は「高校野球を教育の一環とする限り、球児の心身の健全な発育と安全の確保は最優先課題。残念ながら、中止という選択をせざるを得なかった。本当に悔しい思いだ」と語った。運営委員では、感染症に詳しい専門家の助言をもとに、全国大会で感染リスクを高める「3密」(密閉・密集・密室)を避ける対策を検討。試合を無観客開催にし、組み合わせ抽選会や開会式の取りやめなどを想定してきた。しかし、代表校の長時間移動や集団での宿泊などを考慮すると、感染と拡散のリスクを避けられないと判断した。また、選手権大会は全国大会と地方大会で構成されるひとつの大会で、感染拡大の影響で49代表がそろわない可能性もあった。地方大会については、政府の緊急事態宣言は14日に39県で解除されたものの、全国的に休校や部活動の停止が長期化。練習が十分でない選手の安全と健康を守ることが難しい。また、夏休みの短縮で登校日を増やす動きがあるなか、大会の開催は学業の支障になりかねないと判断した。これらを踏まえ、全国大会および地方大会の中止を決めた。大会回数は第102回として数え、来年の大会は第103回となる。

 高校野球では感染拡大の影響で、3月の第92回選抜高校野球大会が中止に。春季大会は全国9つの地区大会すべてと46の都道府県大会が開幕前に取りやめとなり、全国で唯一実施された沖縄県大会は無観客で開催したものの、準決勝以降が打ち切りとなっていた。また、日本高野連は8月に兵庫県明石市などで開かれる予定だった第65回全国軟式野球選手権大会と代表16校を決める地方大会、府県大会の中止も発表した。全国軟式選手権の中止は初めて。

5月20日 朝日新聞DIGITAL より

 

夏の甲子園大会 記憶に残る名勝負5戦

1. 1998年 準々決勝 横浜高校(神奈川) vs PL学園(大阪)《延長17回の死闘

 1998年の高校野球界の話題をさらったのは、横浜高校の「松坂大輔」だった。圧倒的なピッチングで春の選抜大会で優勝した後の夏の全国選手権大会、準々決勝でPL学園と対戦する。当時の横浜高校は、松坂に支えられ、公式戦44戦無敗の金字塔を打ち立てたチーム。彼を最も苦しめたのがPL学園だった。序盤で3点を先制して試合を優位に進めていく。しかし、そこは最強ピッチャーとうたわれた松坂。失点を重ねるも要所は締めるピッチング。延長戦に突入してからも味方の援護もあり、15回裏を終えて6-6。16回表に執念で横浜が勝ち越すも、その裏にPL学園が再び追いついて7-7。17回表に2点を奪い横浜が突き放す。その裏、最後の打者を松坂が三振に仕留めてようやくゲームセットを迎えた。試合時間337分、松坂の投球数は250球を超えていた。この試合を機に、延長に関する規定が見直され、延長戦はそれまでの18回から15回までという変更がなされることになった。

2. 2007年 決 勝 佐賀北高校(佐賀) vs 広陵高校(広島)《がばい旋風

 2007年の決勝は、ドラマティックな幕切れが待っていた。広陵の久保投手の好投もあり、佐賀北は7回までに打ったヒットがわずか1安打のみと完璧に抑えられていた。一方で広陵に4点を奪われる苦しい展開。しかし、転機は8回に訪れた。久保投手が前触れもなく制球を乱し、1死満塁のチャンスを迎えたのだ。続くバッターが押し出し四球を選び1点を返す。追撃ムードの佐賀北は、この満塁のチャンスでなんと続くバッターが打ったボールは風に乗り見事にスタンドイン。逆転満塁ホームランとなり、あっという間にスコアをひっくり返し5-4。そのまま反撃を許さず、初の全国制覇を達成したのだ。開幕戦に登場し、初戦がなんと延長15回引き分け再試合。再試合でも延長戦を制して延長サヨナラ勝ち、2回戦に進出し、そして劇的な決勝。数々の熱戦を演じ、この大会を大きく盛り上げた。当時流行した「佐賀のがばいばあちゃん」になぞらえ「がばい旋風」と呼ばれる旋風を巻き起こした伝説のチームだ。

3. 2006年 決 勝 早稲田実業高校(東京) vs 駒大苫小牧高校(北海道)《ハンカチ王子

 2006年の甲子園をわかせたのは、早稲田実業の「斎藤佑樹」投手。ポケットに汗を拭うハンカチを仕込ませていたため「ハンカチ王子」というあだ名が付いていた。駒大苫小牧の田中将大(現ヤンキース)との壮絶な投げ合いを演じたのが今大会決勝だった。1-1のまま双方譲らず延長15回で引き分け再試合が決定。翌日の再試合。前日の疲労を考慮して駒大苫小牧は田中将大を温存するも、初回に1点を失ったところですぐにマウンドに上がる。一方の斎藤佑樹投手は先発としてマウンドに立ち、執念で投げ続けた。試合は早稲田実業が4-1でリードしたまま終盤に突入。駒大苫小牧にとって最後の攻撃となる9回表にドラマが待っていた。ホームランで2点を奪い1点差に迫ったのだ。2アウトとなり最後のバッターは田中将大。鬼気迫る表情でバッターボックスに立った田中だったが、最後は齋藤投手が三振に仕留めてゲームセットを迎えた。2日間に及ぶ見応えのある投手戦に、満員のスタンドからは万雷の拍手が響いていた。

4. 2009年 決 勝 中京大中京高校(愛知) vs 日本文理高校(新潟)《野球は9回2アウトから

 『野球は9回2アウトから』という言葉は、「諦めない精神の象徴」とも言える野球界の金言だ。2009年の決勝戦はこの言葉の大切さをかみしめた一戦となった。中京大中京高校打率5割超のエース・堂林を中心に得点を量産。対する日本文理も抵抗を見せるも追いつくには至らず、10-4と6点リードを許したままで最終回に突入する。すぐに2アウトを奪われ崖っぷちに立たされた日本文理。しかし、ここから奇跡が始まる。四球からの2連打で10-6。続く打者に死球を与えたところで中京大中京は投手交代を決断。しかし、重圧に耐えられず最初の打者に四球を与えると、続くエース・伊藤が2点タイムリーを放ち10-8。いよいよあと2点差にまで迫る。球場全体の異様な盛り上がりに完全に呑まれた中京大中京ナインは立て直しができず、代打の石塚選手にタイムリーヒットを打たれ、スコアは10-9に。スタンドもミラクルを期待するが、最後の打者の強烈なライナーは三塁手のグラブに収まりゲームセット。あと一歩及ばなかったが、奇跡を見た一戦となった。

5. 2006年 準々決勝 智辯和歌山高校(和歌山) vs 帝京高校(東京)《史上稀にみる乱打戦》

 夏の甲子園史上稀に見る乱打戦となったのがこの試合だ。両チーム合わせて7本のホームランが飛び出す、派手な試合展開になった。7回を終えた時点で4本のホームランで帝京を攻略していた智弁和歌山が8-2で6点リードを奪っていた。追いすがる帝京は、8回表に2ランホームランでスコアは8-4に。続く9回表、2アウト1&2塁から4連打で3点を奪い1点差に詰め寄ると続く打者がタイムリーを放ち、ついに同点。後続打者は3ランホームランで逆転に成功する。6連打で8点を奪い逆転した帝京は8-12で9回裏を迎える。しかし、代役の投手がおらず、外野手がマウンドに上がらざるを得なかった帝京。連続四球でいきなりのピンチを背負うと、続く打者が打ったボールはスタンドイン。3ランホームランでスコアを11-12にまで戻し1点差に迫る。ここからまた四球と死球で2人が出塁。続く打者がセンタ―前タイムリーヒットを放ち、智弁和歌山がなんと12-12の同点に追いつく。この後、さらに出塁を許し1アウト満塁。交代投手がいない帝京、イニングの途中では立て直しが効かず、最後は押し出し四球で13-12。意外な形で乱打戦に終止符が打たれた。

 

 

今年の夏は、高校生たちの夢を追うあの眩しい姿が見られないのか・・・。

 

「栄冠は君に輝く」 作曲:古関裕而 作詞:加賀大介

  雲は湧き 光あふれて

  天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ

  若人よ いざ まなじりは 歓呼に答え

  いさぎよし 微笑む希望

  ああ 栄冠は 君に輝く

 

  風を打ち 大地を蹴りて

  悔ゆるなき 白熱の力ぞ技ぞ

  若人よ いざ 一球に 一打に賭けて

  青春の 讃歌を綴れ

  ああ 栄冠は 君に輝く

 

  空を切る 球の命に

  通うもの 美しく匂える健康

  若人よ いざ 緑濃き 棕櫚(しゅろ)の葉かざす

  感激を 目蓋(まぶた)に描け

  ああ 栄冠は 君に輝く

 

 作曲した古関裕而は、他にも「ドラゴンズの歌(青雲たかく)」「阪神タイガースの歌(六甲おろし)」「巨人軍の歌(闘魂こめて)」「オリンピックマーチ」など数多くの応援歌、行進曲の作曲も手掛けている。偶然にも、今年1月に行われた全国高校サッカー選手権大会決勝戦のカードだった静岡学園高校と青森山田高校の校歌の作曲者でもある。

 作詞した加賀大介は、生前一度も甲子園球場を訪れなかったのは有名な話。以下「知られざる『全国高校野球大会歌』誕生秘話」より引用。

 

 1948年、甲子園は30回大会を迎えるにあたり、大会歌を新聞紙面で募集した。作曲は、阪神タイガースの「六甲おろし」早稲田大学の応援歌「紺碧の空」などを作曲した古関裕而。賞金は5万円、当時の甲子園の給与の10倍以上であった。5252編の応募の中から選ばれたのは加賀道子、女性であることが新しい時代を感じさせ、採択の理由のひとつであった。当時、金沢市の郵便局員だった彼女のもとには取材が殺到した。作詞者として甲子園への招待は事あるごとに届いたが、頑なに断り続けていた。50回の記念大会を控えた1968年2月、道子は取材を通じて真実を告白する。本当の作詞者は夫であると。「栄冠は君に輝く」の作詞者を妻の名で応募したのは、賞金稼ぎだと思われることを嫌ったためであった。加賀大介は、仕事仲間との野球を楽しんでいた最中の怪我が原因で、片足を切断する手術を受けた。まだ、麻酔の技術も発達していない当時、早慶戦をラジオで聞いて、痛みを忘れようとした。それほどの野球好きだった。野球ができない体になった後、文学賞をとって東京に行くという目標をもった。それが文学を志した加賀大介にとっての甲子園に値する、人生をかけて追い求めたことであった。しかし、当の本人には稼ぎはほとんどない、自宅にずっといるのだが、子育ても家事もまったくしない、不器用で頑固な性格で、文学のみにすべての情熱を注ぐ。ペンネームだった「加賀大介」を自身の本名に改名するほどだ。もちろん、その変更をいやいやながら、すべてを手伝ったのは道子。被害を受けたのは二人の子供たち、名字が一夜にして変わったのである。作詞者であることが公開された後、甲子園からは記念大会のたびに招待が届いたが、一度たりとも足を運ばなかった。それどころか、生前、娘には一度たりとも、自分が作詞したと語らなかった。死の直前に自身でプロデュースした葬式でも曲を流すことをよしとしない頑固さ(甲子園の閉会式では「栄冠は君に輝く」にあわせて優勝校・準優勝校が行進したあとに、「蛍の光」を歌う。その「蛍の光」を自身の葬儀での曲に選んだ)。徹頭徹尾、亭主関白を押し通しながら、最期まで文学賞をとることを夢見た大人げない永遠の文学青年であった。しかし、最後まで自分の欲した舞台で栄冠に輝くことはなく、その生涯を終えた。加賀大介死後の翌年、一昨年の100回記念大会で始球式をおこなった男が同じ町内に誕生した。甲子園での5連続敬遠で負けて名を上げた、松井秀喜である。その男は、加賀の魂を受け継いだかのような活躍をその後、世界の人々に見せることとなる。

 

サッカー部 MUSANISTA #89 『忘れるな』

 

 

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<原発事故の教訓生かせ>~人間性を忘れるな~

 「デジャヴ(既視感)」。新型コロナウイルス感染症の拡大と政府の対応や世論の動き、社会の反応を見ていると、どうしても東京電力福島第一原発事故の対応が重なって見える。

 私は感染症専門家ではないので感染症対策の是非を論じることはできない。ただ2011年当時、政府の一員として原発事故を経験した者として「あの時の教訓が生かされているのか」との視点から、現下の危機への示唆を考察してみたい。

教訓1「命を守る」を最優先に

 いま最も大事なことは何か。危機に際し、国民の命を守ることの重要性は何よりも優先されるべきだ。これは国民あるいは社会全体への「リスクを最小化する」と言い換えることもできる。問題は、あるリスクを最小化させる施策が、別のリスクを高めることにつながる可能性がある点だ。その結果「リスクのトレードオフ(相殺)」や「バランス」を考慮する傾向が伴う。「リスクのトレードオフ」は価値観の差異や、政治力学が作用するため、政策決定者の判断が揺らぎがちになる。国民よりも「経済を守る」、ましてや「政権を守る」といった間違った基準で危機管理対策を取られては、何をかいわんやだ。

 具体的には、命を守る対策の経済コストに配慮して対策の実施を引き延ばしたり、その実効性を担保するためのコスト負担をためらったりしてはならない。例えば、今回のように事業者や住民に自粛要請をするのであれば、その影響に対する「補償」はセットで考えなければならない。「経済対策」ではなく、命を守るためのコストとして考えるべきだ。原発事故対応の時も、汚染水処理に見るように、最もリスクを下げる案よりも当面のコストを最小化する案が採用されることがしばしばあった。そうした対策が結果的に、リスク最小化にならなかった反省が生かされていないのではないか。

教訓2「代替案」を検討せよ

 安倍晋三首相は新型コロナウイルスに対処する改正特別措置法に基づき、緊急事態宣言を出したが、これがあたかも「最後の切り札」かのような印象を与えた。しかし、緊急事態宣言はあくまでウイルス対策を有効に進める「手段」であって「解決策」そのものではない。果たして今回の緊急事態宣言で示されたさまざまな施策について、同じ目的を達成することのできる代替案は十分に検討されたのだろうか。2月末に首相が突然表明した一斉休校要請も代替案を検討した気配がない。危機管理に追われる中で代替案の検討は本当に難しい。時間的余裕がない状態で意思決定を迫られると「実現可能な策」から実行していくしかない面もある。だが、今回の緊急事態宣言まで時間的猶予は十分あった。原発事故の際もさまざまな制約条件の下、代替案の検討がおろそかになることがあったが、その反省が生きていないというのが実感だ。

教訓3「世界の英知」を活用せよ

 新型コロナ対策は一国だけで解決しようとしても無理だ。感染症対策には世界の英知と国際協力が必須だからだ。各国の事情が異なる点を考慮しても他国の対策が参考になることは多いだろう。原発事故の対応で私が最も重要と感じたのが、世界の英知を集めることだ。実際、世界の専門家や産業界から日本に対し多くの助言や援助の申し出があった。ところが「日本の問題は日本で解決すべきだ」といった心理が働いたのか、廃炉の措置も真に世界の英知を活用できる体制が構築できたとは思えない。

 新型コロナ対策も同様だ。PCR検査が日本では海外に比べ極端に少ない。本来なら検査数を増やすことが原則であり、世界保健機関もそう勧告していた。世界で検査をかなりのスピードで実施している国々の知見から学ぶこともできたはずだ。日本の特殊な事情があるからといって、PCR検査の数を抑制すれば、結果的に守るべき命が守れなくなる。リスク最小化や代替案の比較の教訓とともに、是非、世界の英知を活用してもらいたい。

教訓4「科学顧問組織」設置を

 危機に際してはなおのこと、政策には科学的根拠が不可欠だ。多様な選択肢の中でどれを選ぶべきか。その根拠となる科学的知見が欠けていると、政策の実効性は保証されない。そのためには、専門知を政策に有効に反映させる体制が鍵となる。新型コロナ対策で政府が設置した専門会議は、その独立性と権限が担保されていないように見える。

 原発事故の時、参考として紹介されたのが、英国の「緊急時科学顧問会議」だ。これは英国が牛海綿状脳症(BSE)事件の後、科学と政策の関係を改善するために設置した機関だ。首席科学顧問が危機に際して最も有効と思える専門家を集め、独立した立場から政府に助言を行う。日本も独立した権限を持つ同様の科学顧問組織を早急に設置すべきだ

教訓5「透明性と信頼性」の確保を

 最後に最も大切なのが、政策決定の透明性とその信頼性だ。原発事故時に私が痛感したのは、原子力政策に対する「信頼の喪失」だった。国民の信頼が得られなければ、どんなに良い政策でも実効性は乏しい。だからこそ、意思決定プロセスの透明化、そのための徹底した情報公開、市民やマスコミの質問に丁寧に答える双方向の「リスクコミュニケーション」が絶対的に重要なのだ。そして、代替案や科学的根拠を明示し、専門家の知見を反映させる意思決定プロセスが不可欠となる。

 

 以上、福島事故の教訓から、今回の新型コロナ対策を俯瞰してみた。失敗しないようにすることは大事だが、失敗から学ぶことがもっと大事だ。今こそ原発事故の教訓を生かしてもらいたい。そして、1954年のビキニ水爆実験後に核兵器と戦争の根絶を訴えた「ラッセル・アインシュタイン宣言」の有名な一節を想起してもらいたい。

「人間性を忘れるな、他のすべてを忘れても」

5月18日 埼玉新聞 元原子力委員会委員長代理 鈴木達治郎氏 より

 

 

<首都圏の「自粛解除は一体」で 4知事テレビ会議で確認>

 東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県の4知事は19日、新型コロナウイルスの対応を巡ってテレビ会議で意見交換し、緊急事態宣言に伴う外出自粛や休業要請の解除について、各都県の感染状況にかかわらず、一体となって実施する方針を確認した。

 政府の専門家会議が示した緊急事態宣言解除の判断基準のうち「直近1週間の新規感染者数の合計が人口10万人当たり0.5人未満程度」を18日までに埼玉、千葉両県が達成。東京都と神奈川県はクリアできておらず、対応が焦点となっていた。東京都の小池百合子知事は「解除に向け、足並みをそろえながら進めたい」と述べた。

5月19日 共同通信 記事より

 

 

<大阪、京都、兵庫、21日に緊急事態解除検討>

 政府は19日、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う「緊急事態宣言」を継続している8都道府県のうち、大阪、京都、兵庫の近畿3府県について、宣言を解除する調整に入った。いずれも直近1週間の新規感染者数が基本対処方針で示した人口10万人当たり「0.5人程度以下」の基準を満たしており、21日の政府対策本部で最終的な状況を見極めて正式決定する見通しだ。

 一方、基準を上回る北海道と東京、神奈川、埼玉、千葉の首都圏1都3県の解除は見送られる公算が大きい。見送りが決まった場合、政府は28日に改めて解除の可否を判断する。埼玉、千葉両県の10万人当たりの新規感染者数は0.3人程度にとどまっているが、東京、神奈川は0.8~1.1人程度と基準を上回っている。政府は首都圏4都県は社会・経済活動の関係が互いに深いことから、解除の可否は一括で判断する方針。北海道も10万人当たりの感染者数が0.9人程度と基準を超えており、5都道県の解除は以前難しい状況だ。

 宣言が解除されれば、都道府県知事による外出自粛の要請は解かれる。ただ、政府は「感染第2波」への警戒から、月内の県境を越えた移動や、これまでにクラスター(感染者集団)が発生している夜の繁華街の接待を伴う飲食店やカラオケ、ライブハウスなどへの出入りは引き続き控えるよう呼び掛ける方針だ。

5月19日 毎日新聞 記事より

 

サッカー部 MUSANISTA #88 『感謝・信頼・安全の表象』

 

 

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<お客が自分の席で食べたい料理を注文するレストランのような外食が始まったのは…>

 お客が自分の席で食べたい料理を注文するレストランのような外食が始まったのは、欧米では18世紀という。日本では17世紀の明暦の大火の後に繁盛した奈良茶飯(ならちゃめし)の店が江戸の外食文化を開花させたと言われる。「五歩に一楼、十歩に一閣、みな飲食の店ならずという事なし」(意味:江戸の町を五歩行けば小さな店が一軒あり、十歩行けば大きな店に出会う。これらはすべて飲食店である)。文人、太田南畝が飲食店のひしめく江戸の街をこう随筆に記したのは、19世紀初めの文化年間である。当時の江戸は8000軒近い飲食店があったという記録もある。単身赴任の地方武士や独身男性の比率が大きく、人口も多い江戸は当時の世界でも珍しい外食都市だったようだ。天ぷら、そば、すし、うなぎ料理から会席料理まで、今日の世界的な和食評価に繋がる豊かな食文化を育んだ外食だ。そんな外食文化の曲がり角になるのか。新型コロナ時代の飲食の「新しい日常」である。先日、外食業界団体が公表した指針では、客の間は最低1メートルの距離、座席の横並びや間仕切りの使用、定数以上の客の入店制限などが掲げられた。大皿料理のシェアや、卓上に調味料を置くのを避けるといった外食の風景を変える要請もある。客に会話を控えてもらうというのは感染防止にはもっともな話だが、昔の江戸っ子が聞いたら「てやんでぇ!」の啖呵のひとつも出そうだ。できることから始めようという指針だが、飲食業者がさしかかった難所の険しさ、厳しさを表す新しい日常の基準である。ここは、外食文化の富を分かち合ってきたお客の心意気も試される難所なのだろう。

5月16日 毎日新聞 余録 より

 

<地球上で最も多くの人の命を奪う、怖い生き物は?…>

 「地球上で最も多くの人命を奪う、怖い生き物は?」

 多くは、猛獣や人食いザメを思い浮かべるかもしれない。答えは、「」。

 この小さな昆虫が媒介する感染症で、年間80万人以上が死ぬと推定される。マイクロソフトの共同創業者、ビルゲイツ氏のブログから引いた。これによれば、ライオンによる死者は100人ほど。サメによる死亡も1ケタだ。蚊に次いで多くの人命を奪うのは、「ヒト」という結果になった。パソコンの基本ソフト開発で世界一の富豪となったビルゲイツ氏は2000年、妻と「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」を設立した。世界最大規模の慈善団体として、途上国の子どもたちを感染症から守るワクチン普及に力を注いできた。そのゲイツ氏が5年前の講演で、新型コロナウイルスの流行を『予言』したと話題になっている。エボラ出血熱の教訓を踏まえ「今後1000万人以上が命を落とすとすれば、戦争ではなく、ウイルスの可能性が高い」と指摘した。今回のコロナ禍を受け、ゲイツ氏は財団の資金を集中投資するという。つい先日もワクチン開発に、各国政府と並んで巨額の支援を約束した。今春の叙勲では旭日大綬章を受章した。経済ではなく人類の健康への貢献に対してだ。「時間は味方してくれない。一刻も早く準備しよう」。今聞けば耳が痛い、5年前の警告だ。救いは、この間に科学技術が多少とも進歩したことだろうか。1日も早いワクチンの開発を。そして、誰もが公平に恩恵を受けられることを願う。

5月17日 毎日新聞 余録 より

 

 

お知らせ

埼玉スタジアムをブルーにライトアップします

 日頃より埼玉スタジアム2〇〇2公園をご愛顧いただきありがとうございます。

 また新型コロナウイルス感染拡大予防にご協力いただきまして、ありがとうございます。

 この度、埼玉スタジアムでは、新型コロナウイルス感染が拡大する中、医療従事者など最前線で働く関係者への感謝の気持ちを込めて、下記の通り、埼玉スタジアムをブルーにライトアップします

 ※元々は、ロンドンやニューヨークで施設をライトアップするムーブメントが始まり、全世界に広がっているものです。

 <期 間>

   令和2年5月11日(月) から 令和2年5月31日(日)

 <ライトアップの時間>

   18時00分 から 21時00分

5月11日 埼玉スタジアム2〇〇2公園管理事務所 より

 

 

 こうした運動は、現在日本全国で起きているようです。

 

 「今できることから始めよう

 

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埼玉スタジアム2〇〇2

 日産スタジアム

 

デンカビッグスワンスタジアム

 

ZOZOマリンスタジアム

 

甲子園球場

 

花園ラグビー場

 

神戸

 

東京タワー

 

駒沢オリンピック公園

 

東京スカイツリー

 

通天閣

 

太陽の塔

 

京都タワー

 

横浜ベイブリッジ

 宮崎県庁

 

金沢駅鼓門

 

熊本城

 

シンデレラ城

 

東京都庁

 

 

サッカー部 MUSANISTA #87 『あと2週間‼』

 

 

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<新たな感染、国内全体では24人 2ヵ月ぶり30人下回る>

 国内では17日、新たに24人の新型コロナウイルス感染が確認された。累計は1万6303人となった。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客乗員を含めると1万7015人。1日当たりの感染確認が2桁となるのは8日間連続で、30人を下回るのは3月16日以来、約2ヵ月ぶり

 休日で検査数自体が少ない事情があり、これまで多くの感染確認がされていた都道府県の発表も少なかった。

5月17日 共同通信 より

 

<月内解除へ自粛継続を>

 西村康稔経済再生担当相は17日の記者会見で、新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるため引き続き緊急事態宣言の対象とした8都道府県について、「感染の第2波は来ると思わなければならない。気を緩めずさまざまな自粛をお願いしたい」と述べ、5月中の宣言解除の着実な実現に向け、改めて協力を呼び掛けた。

 安倍晋三首相は同日午後、西村氏らと首相官邸で会談し、新型コロナ対策の状況について協議。8都道府県の繁華街では緊急事態宣言が続いているにもかかわらず、人の流れが戻ってきていることが報告された。西村氏は記者会見で、21日にも宣言解除の可否を再判断するに当たり、感染者の推移と併せてPCR検査の整備状況を注視する考えを示し、「専門家の意見を聞き適切に判断したい」と語った。

 宣言を解除した39県についても「経済活動をいっぺんに元に戻すとことは避けてもらいたい」と要請。解除された県同士での移動や接客を伴う飲食店の営業再開なども、月内は「慎重に対応して欲しい」と求めた。

5月17日 時事通信社 より

 

<緊急事態解除されていない東京や大阪、夜の人出増加>

 新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が39県で解除された後、各地の繁華街で夜間の人出が増加したことがソフトバンク系列のIT企業「アグープ」のデータで分かった。宣言が解除されていない東京都や大阪府、北海道でも人出が増えており「自粛疲れ」が伺われる。

 アグープがスマートフォンのアプリから得た位置情報を基に半径500メートルの滞在人数を推計。15日午後7時台の人出を、宣言解除が発表された14日と比較した。

 宣言が解除された地域では、名古屋市の栄駅で10.6%、福岡市の中洲川端駅で14.3%、それぞれ増加した。宣言が解除されていない東京都でも新宿・歌舞伎町で12.5%増え、銀座駅は23.0%と大幅に増加。大阪市では心斎橋駅が20.0%、北新地駅が16.3%、札幌市のすすきの駅では13.7%とそれぞれ増加。

5月16日 讀賣新聞online より

 

サッカー部 MUSANISTA #86 『課題も、給付金申請も、郵送で』

 

 

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<給付金で大混乱 「市役所窓口」のヤバすぎる内情>

 5月1日に国が1人当たり一律10万円を支給する「特別定額給付金」のオンライン申請の受付が始まって2週間。全国の自治体が大混乱に陥っている

 

 起きている問題は主に3点。

 第1に、自治体の窓口に人が押し寄せて対応する職員が疲弊している

 第2に、オンライン申請を受付ける「情報提供等記録開示システム(通称マイナポータル)」でシステム障害が多発している

 第3に、申請内容に大量の不備が見つかっている。

◆役所に人が押し寄せたワケ

 特別定額給付金を受け取るには、市区町村に申請をする必要があり、申請方法は郵送とオンラインの2通り用意されている。

 郵送の場合は、自治体から郵送されてくる申請書類に必要事項を書き込んで返送する。オンライン申請の場合は、「地方公共団体情報システム機構(略称J₋LIS)」という国の機構が運営しているマイナポータルのフォーマットに必要事項を入力して送信する。どちらの方法も、基本的に役所に出向く必要はない

 

 それでは、役所に殺到している人々は何をしに来ているのか。「最も多いのは、マイナンバーカードのパスワードの再設定のため」だという。

 マイナンバーカードはマイナンバー(個人番号)などが記載されたプラスチック製のICチップ付きのカードで、身分証明書として利用できる。一方、個人番号を記載した緑色の紙のカード(通知カード)には電子証明機能はなく、オンライン申請には使えない。

 オンライン申請をするには、マイナンバーカードが必要なだけでなく、マイナンバーカードを取得した際に設定したパスワードも必要になる。せっかくマイナンバーカードを持っていても、パスワードを忘れていたらオンライン申請はできない。

 従来のパスワードを覚えていれば、マイナポータルにインターネットでアクセスしてパスワードを変更できるが、忘れてしまった場合は厄介だ。パスワードを再設定するには、忘れてしまったパスワードを一旦削除する必要があり、これが役所に設置されている、マイナポータルと専用回線で繋がっている専用端末でしかできないのだ。

 このほか、「オンライン申請にはマイナンバーカードを読み込むカードリーダーが必要で、これがどういうものかとか、どこで入手できるのかとかを聞きに来る人、マイナンバーカードは役所に来れば作れると勘違いして来る人もいる」(東京都職員)と言う。

◆カード作成に潜む落とし穴

 マイナンバーカードは、通知カードが送られてきた際に同封されていた「個人番号カード交付申請書兼電子証明書発行申請書」に必要事項を記載し、顔写真を貼り、同じく同封されていた封筒で返送して申し込む。

 交付申請書には「署名用電子証明書」「利用者証明用電子証明書」が不要な場合にチェックマークを入れる欄がある。ここにチェックマークを入れて作ったカードには証明機能がないので、今回の申請には使えない

 利用者証明用電子証明書は、マイナポータルなど行政のサイトやオンラインバンキングなどのサイトへのログイン時やコンビニで住民票の写しなどを受け取る際の本人確認に使う。

 署名用電子証明書は、税金の電子申告やインターネットバンキングの登録などの際、作成・送信した電子文書の作成者が誰であるのかを証明するもので、なりすましを防ぐ目的で使われる。

 マイナンバーカードが出来上がるまでには、平時でも1カ月かかり、これを受け取るには役所に出向かなければならない。対面で本人確認をしたうえで手渡しする。その際に、署名用、利用者証明用、それぞれに別のパスワードを役所の専用端末で設定する。今回の特別給付金の申請に必要なのは、署名用の機能とそのパスワードだ。「役所でマイナンバーカードは作れないことや、平時でも申請から1カ月かかることなどを正確に説明した結果、相手が逆上するケースもある」(自治体職員)

 

 マイナポータルのシステム障害は、申請の障害になっているだけでなく、役所の職員の業務遂行上も多大な障害になっている。

 自分のPCやスマートフォンから申請する利用者は、いわゆる利用者クライアントソフトを使い、インターネット回線でマイナポータルにアクセスする。申請が殺到した結果、このインターネット回線でのシステム障害が多発していることは言うまでもないのだが、役所とマイナポータルを結んでいる専用回線の方もシステム障害が多発しているのだ。

 その原因は想像にたがわず、パスワードを忘れた人による、パスワード再設定依頼の殺到である。専用回線が混雑すると、その専用回線で送られてくる申請情報の出力もスムーズに行かない。「1枚の申請書を出力するのに、2時間かかった例もある」

◆システム障害頻発の根本理由

 この話には少々解説が必要だ。マイナポータルは単純に申請を受け付けるだけで、申請者が入力した情報は何のチェックもかからず、そのまま自治体に転送される。

 このため、マイナポータルでの申請は、システム障害さえ起きなければ同一人物が何度やっても受け付けられる。世帯主以外は本来申請する資格がないのに、申請者が世帯主かどうかの判定すらしない。否、判定できないのだ。

 自治体ではマイナポータルから転送されてくる情報を紙に出力し、職員が住民基本台帳システムなどを使い、手作業で記載内容に間違いがないかや必要書類が整っているかなどをチェックする。修正や必要書類の提出依頼は、職員が申請者に電話をかけて行っている。その手間暇は、尋常ではない。

 実は、地方自治体職員が最も怒っているのも、この点なのだ。マイナポータルが申請を受け付けた情報を、住民基本台帳システムと連携させることが出来れば、確認作業の負担は大幅に軽減されるはずなのに、それができないのである。

 と言うのも、そのシステム開発は自治体がやらねばならず、国はやってくれない。と言うよりも、出来ないのだ。地方自治体がそれぞれ独自に住民票や印鑑証明のシステムを開発しているため、自治体ごとにフォーマットが異なるからである。したがって、国が特別給付金申請用のチェックシステムを開発し、全国の自治体に配るということができない。一方、自治体にシステム開発をしている余裕は、時間的にもマンパワー的にもない。

 つまり、間違った申請があっても、不正な申請があっても、チェックするのは自治体であり、チェック漏れが発生し、二重払いなどが発生しても、その責任を問われるのは自治体なのだ

◆こじれた糸はどうすればほどける?

 最善の解決策は、オンライン申請なら早くもらえるという誤解を解くこと。そして、オンライン申請の推奨をやめ、郵送されてくるのを待つよう、徹底的に啓蒙することだろう。

 自治体レベルでは、郵送の推奨を行っているが、そもそも給付金は国の事業なのだから、国自身がやるのが筋ではないか。せめて、テレビで盛んに流されている特別給付金の告知で、この2点を強調するくらいのことをしても罰は当たらないはずだ。

5月16日 東洋経済 伊藤歩氏 より

 

 

 世界の先陣を切ってドイツのブンデスリーガが16日に再開しました。欧州では新型コロナウイルス感染拡大によりフランス、オランダ、ベルギーが今シーズンのリーグ戦打ち切りを決めた状況の中、ドイツでは3月11日の試合以降のリーグ戦となり、無観客で試合が行われました。日本代表の長谷部誠選手や鎌田大地選手、大迫勇也選手も試合が行われます。欧州ではイングランド、スペイン、イアリアが6月中の再開を模索していますが、私たちのJリーグも来月には再開できるでしょうか。部活の方も「始動」できるでしょうか。

 

サッカー部 MUSANISTA #85 『宣言解除』

 

 

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<緊急事態宣言39県解除 感染対策と経済の両立を>

◆「3密」避ける行動を続けたい

 政府が14日、新型コロナウイルスの感染拡大を受けた全都道府県対象の緊急事態宣言について、「特定警戒都道府県」だった茨城、石川、岐阜、愛知、福岡を含む39県の解除を決めた東京や大阪など残る8都道府県は継続し、21日を目途に解除の是非を改めて判断する

 政府は、直近1週間の新規感染者数が「人口10万人当たり0.5人以下」になるなど感染状況の好転や、重症者増に対応できる医療提供体制、PCR検査など感染状況の監視体制を総合的に踏まえ解除を決めた。

◆気を緩めれば再拡大へ

 39県の解除を歓迎したい。

 命を守る上で必要な感染症対策だったとは言え、外出自粛や休校、店の休業などによる社会・経済への副作用は大きかった。

 ただし、気を緩めれば再び感染が拡大しかねないことを肝に銘じたい。人との距離をとるなど感染防止に効果的な行動をやめてウイルス禍以前の生活に戻ったり、自粛でたまったストレスを一気に発散しようとして密閉、密集、密接の「3密」状態を作り出したりすればこれまでの努力が水泡に帰すことになりかねない。

 外出制限が緩和されたドイツや韓国では感染再拡大の懸念が強まっている。北海道は独自の緊急事態宣言で感染を抑えたが解除後に拡大し特定警戒都道府県になった。オーバーシュート(患者の爆発的急増)の恐れが去ったわけではなく、政府はその兆しがあれば対象区域に再指定する方針だ。

 感染対策と社会経済活動の段階的再開の両立という難しい課題を解かなければならない。

 特定警戒都道府県に残った8都道府県でも人の動きが増え出しているが、これまで通りの外出自粛やテレワークを続けたい。それが解除への近道だ。大阪府は独自の基準を設けて休業要請の段階的な解除に進むが、府の想定以上に緩まぬよう注意は欠かせない。

 安倍晋三首相は記者会見で、外出自粛やテレワークなどに協力した国民に感謝を表明した。解除された県の人々に「あらゆる場面でウイルスへの警戒を怠らないで欲しい」と述べ、新たな日常を取り戻す「本格的なスタートの日だ」と語った。

 首相が解除の考え方を説明し、予防策の徹底継続を呼び掛けたのは妥当だ。ウイルス対策は手探りの状態であり流行の第2波がいつ襲ってくるか分からない。特に秋冬に感染が急拡大する場合に備えたい。解除した県を含め病床の確保など医療体制の整備を急がねばならない。首相が語ったように、各種の検査体制を拡充して市中感染を抑えることやワクチン、治療薬を準備することも極めて重要だ。知事の休業要請に応じない事業者への罰則を作るなど特措法改正へ具体的に動き出す必要もある。

◆学校の再開も工夫せよ

 未来の日本を担う子どもらの学業を再開することは極めて大切な課題である。オンライン授業の充実と並行して可能なところから学校再開を急ぐべきである。

 安倍首相は新型コロナウイルス対策のための第2次補正予算案の編成を命じた。39県で経済活動が動き始めるとしても、経済が極めて厳しい状況下にあることに変わりはない。東京や大阪などの大都市圏では緊急事態が続くのである。その中で、いかに経済の苦境を和らげられるかが問われる。雇用や暮らしを守るため、引き続き経済の「止血」に政府が全力を尽くすべきは当然である。そのためにも、2次補正予算を速やかに作り成立させることをまずは優先すべきだ。

 2次補正に盛り込む施策は多い。例えば、休業で収入を失った人たちを支える雇用調整助成金の拡充や休業者への直接給付金がある。固定費捻出がままならない事業者への家賃負担軽減策も必要だ。困窮学生に対する支援も喫緊の課題である。

 いずれも、従来の支援策では不十分であったり、手続きが煩雑で迅速に対応できなかったりしたことに起因する追加策だ。規模面でも手続きのスピードや使い勝手の面でも万全の策を講じたい。

5月15日 産經新聞 主張 より

 

<東京都の休業緩和 感染1日20人未満などを基準に>

 都が休業要請や外出自粛を緩和する指標として用いるのは、『新たな感染者数』『感染経路が不明な人の割合』『週単位の増加比率』『重症患者数』『入院患者数』『PCR検査の陽性率』『受診相談窓口での相談件数』の7項目。感染経路が不明な人の割合については、50%未満などの目安を掲げた。

 緩和に踏み切る場合、段階的な実施措置としてまずは博物館や美術館、図書館を対象にする。その後「クラスター(感染集団)歴がなく3密になりにくい施設」となる劇場の再開や、飲食店の営業時間短縮の一部を緩和するという。

 感染拡大の「第2波」への備えとしては、指標として使った数値が1項目でも緩和の目安を超えた場合に「東京アラート」を発動し、都民に対して警戒を呼び掛ける。その後、新たな感染者が1週間平均で1日50人以上、感染経路不明な割合が50%になるなどすれば、外出自粛や休業を再び要請する。

 都は「第2波」に対する体制整備にも言及。新型コロナ外来を拡充したり、PCRセンターの設置を支援したりするとした。

5月15日 朝日新聞DIGITAL より 

サッカー部 MUSANISTA #84 『5月15日』

 

 

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<あの日の沖縄>

 沖縄百万県民の長年にわたる祖国復帰の願望が遂に実現し、本日ここに内閣主催による沖縄復帰記念式典が挙行されるにあたり、沖縄県民を代表してごあいさつ申し上げることができますことを生涯の光栄に思います。

 私は、今、沖縄がこれまで歩んできた歴史の一齣一齣をひもとき、殊に終戦以来復帰をひたすらに願い、これが必ず実現することを信じ、そしてそのことを大前提としてその路線に沿う基礎布石、基盤づくりに専念してきた者として県民とともに言い知れぬ感激とひとしおの感慨を覚えるものであります。

 私は、復帰への鉄石の厚い壁を乗り越え、険しい山をよじ登り、茨の障害を踏み分けて、遂に復帰に辿り着いてここに至った県民の終始変わらぬ熱願、主張、運動、そこから引き出された全国民の世論の盛り上がり、これに答えた佐藤総理大臣をはじめ関係ご当局のご熱意とご努力、さらには米国政府のご理解などを顧みて深く敬意を表し、心から感謝を申し上げるものであります。それと同時に、今日の日を迎えるにあたり、たとえ国土防衛のためとは言え、さる大戦で尊い生命を散らした多くの戦没者の方々のことに思いを馳せるとき、ただただ心が痛むばかりであります。

 ここに、謹んで沖縄の祖国復帰が実現いたしましたことを御霊にご報告申し上げますとともに、私ども沖縄県民は、皆さまのご意志を決して無にすることなく、これを沖縄県の再建に生かし、そして、世界の恒久平和の達成に一段と努力することを誓うものであります。

 さて、沖縄の復帰の日は、疑いもなくここに到来しました。しかし、沖縄県民のこれまでの要望と心情に照らして復帰の内容をみますと、必ずしも私どもの切なる願望が入れられたとは言えないことも事実であります。そこには、米軍基地の態様の問題をはじめ、内蔵するいろいろな問題があり、これらを持ち込んで復帰したわけであります。したがって、私どもにとって、これからもなお厳しさは続き、新しい困難に直面するかもしれません。しかし、沖縄県民にとって、復帰は強い願望であり、正しい要求でありました。また、復帰とは、沖縄県民にとって自らの運命を開拓し、歴史を創造する世紀の大事業でもあります。その意味におきまして、私ども自体が先ず自主主体性を堅持して、これらの問題の解決に対処し、一方においては、沖縄がその歴史上、常に手段として利用されてきたことを排除して県民福祉の確立を至上の目的とし、平和で、今より豊かでより安定した、希望のもてる新しい県づくりに全力をあげる決意であります。しかしながら、沖縄に内包する問題はなお複雑なものがあります。幸い、私ども沖縄県民は名実とも日本国民としての地位を回復いたしましたし、政府並びに全国民の皆さまにおかれては、沖縄問題を新しい立場から共通の課題として止揚していただき、その完全・全面的解決のため、これまで以上のご関心とご協力を賜りますよう念願するものであります。

 沖縄は、長く、苦しかった試練を乗り越え、今ここにその夜明けを迎えました。復帰は、まさしく沖縄という新しい生命の誕生でありますし、私ども県民は、これまでの基地の島という暗いイメージを払拭し、新たな自覚に立って県民自治を基調とする「平和で、明るい、豊かな県づくり」に邁進するとともに、文化豊かな社会の建設に真剣に取り組み、国家繁栄のために貢献する決意であります。

 沖縄の戦後は、まさに茨の道でありましたが、県民の体験はまた貴重なものであります。私どもは、昨日の今日ではなく、歴史上銘記さるべきこの日を転機として取り残されてきた歴史に終止符を打ち、体験を生かし、国民の皆さまのご協力も得て復帰の意義と価値を高め、その正しい位置づけに十分努力するつもりであります。

 本日の式典に際し、私どものためにいろいろと、お励ましを賜りました皆さまのご好意に対し厚くお礼を申し上げ、皆さまと国のこの上ないご繁栄を祈念してご挨拶といたします。

昭和47年5月15日 沖縄復帰記念式典 沖縄県知事 屋良朝苗氏 より

 

<復帰の日>

 47年前の今日、戦後27年間、米軍に統治された沖縄は日本復帰を果たしました。日本国憲法が適用されなかった県民は基地のない平和で豊かな島、人権尊重、民主主義を求め、祖国復帰を勝ち取りました。

 復帰以降、振興計画と先人の努力で自立型経済の構築のためさまざまな成果が表れてきました。観光は2018年度の入域観光客数が999万9千人で6年連続で過去最高を更新しました。県内の経済、雇用情勢は良好に推移しています。一方で県民所得は全国の7割程度で、全国一高い非正規雇用率などを背景に、子どもの貧困など新たな社会問題も顕在化しています。また、米軍基地問題では日本全体の70.3%の米軍専用施設が集中し、騒音や環境問題、事件・事故など過重な負担を強いられ続けています。県民投票で示された辺野古埋め立てに反対する圧倒的民意を一顧だにせず政府は工事を強行し、憲法が定める国民主権、民主主義、地方自治が脅かされている状況にあります。

 令和という新しい時代、3年後に復帰50年を迎える新時代沖縄の到来を見据え「自立」「共生」「多様性」の理念で誰一人取り残さない社会を実現するため、全国との所得格差の解消や過重な基地負担の軽減など課題解決に取り組み、県民が笑顔で暮らせるよう全身全霊を注いで参ります。

令和元年5月15日 沖縄県知事 玉城デニー氏 より

 

「新沖縄県発足式典」で挨拶をする屋良朝苗新知事

 

 ちなみに、以前にも書きましたが本日5月15日は、日本プロサッカーリーグ「Jリーグ」が誕生して28年目を迎えました。沖縄県の本土復帰とJリーグの誕生は同じ日なのです。

 

サッカー部 MUSANISTA #83 『常識』

 

 

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<市民の「常識」前提だが>

 新型コロナウイルス禍は、緊急事態宣言の延長がなされて、自粛生活も依然として続く。ここでは、コロナ騒動から見えてきた日本社会の在り方を論じたい。

 今回の政府の基本方針はかなり明確で、一方で、医療崩壊を防止するために感染者の爆発的増加は避ける、他方で、できるだけ経済活動への打撃も小さくする、という妥協的なものだ。この方針は、欧米とも韓国とも違う。

 欧米は、国家が都市封鎖や外出禁止により私権を完全に制限し、韓国は、市民行動を情報的に把握することで、徹底した監視社会を作り出した。日本は、法的にも実際上も都市封鎖などできず、私権の徹底した制限もできない。とすれば自粛に頼るほかない。なかば強制的な自粛という奇妙なものが出現した。

 自粛要請は、きわめて日本的なやり方だろう。日本社会には「右に倣え」の同調傾向と「しゃくし定規な規則主義」がある。これはいわば国民性と言うべきものだ。自粛要請はまさにその日本社会の性格に訴えたい。いかなる業種が自粛対象なのか、不要不急の外出とは何か、などがいちいち論議され、一瞬のうちに街の中心部から人が消えた。見事と言ってよい。しかし、郊外の大型スーパーや公園や海岸など自粛対象とならない場所に人が繰り出した。これでは何のための自粛だったのだろうか。また、県境をまたいだ移動の自粛を政府が呼び掛けると、他府県ナンバーの車の駐車を禁止したり、車が傷つけられたりする事態も起きた。

 つまり、日本の「右に倣え」の背後に「しゃくし定規な規則主義」がある。「規則」という「権威」に従わざる者は排除するという同調圧力である。「自粛」が絶対化されてしまう。

 このような「右に倣え」は、ある程度、自立的な社会秩序を生み出す効果もあるが、基本的に、権威への依存を前提にしている。その権威は大抵の場合、政府である。市民は、一方では、政府に依存しつつ、他方では、政府に苦情を述べ立てる。「政府は『自粛』を求めて自らは責任を取ろうとしない」「自粛要請をするなら罰則を設けよ」「自粛要請と経済的補償は一体でなければならない」等の批判が出てくる。自粛要請と経済的補償は別の議論だと私は思う。

 今後を考えれば、ほぼ次の2つの可能性しかないと思う。ひとつは、あくまでも日本式で、政府の権限をさほど強化せず、ある程度の市民的な同調傾向に任せる。ただその場合、真に重要なことは、市民の側にある種の「常識」がなければならないということだ。市民社会が国家権力から自立的に自粛を展開するには、市民の「常識的な判断力」が要求される。日本に西洋型市民社会はないが、それとは別の公共精神他者への配慮あったはずだ

 それらがもはや欠如しているならば、欧米型で、緊急時における国家権力をもっと強化する必要度がある。緊急事態とは、戦争以外に、大規模災害、テロ、そして今回のような感染症があり、今後、これらは十分に生じうる。憲法に緊急事態での例外的な権力の行使を明記すべきだと思う

5月13日 毎日新聞 佐伯啓思 京都大学名誉教授 論点 より

 

<抗原検査 迅速さ武器> キット初の承認

 新型コロナウイルスに感染しているかを医療現場で迅速に調べられる抗原検査キットの実用化は、「PCR検査頼み」の状況を大きく変える可能性がある。一方で精度に課題があるため、厚生労働省は当面、感染者数が多い地域の専門外来にキットの供給先を限定。性能や生産体制が安定してきた段階で、救急医療の現場やクラスター対策など活用の場面を広げていく2段構えで臨む。

 厚労省幹部によると、同省は当初、抗原検査をPCR検査に代わる検査手法として位置づけることも検討。開発元の富士レビオは週20万件分の検査キットを供給できるとしており、検査の簡便さに加えて検査件数の大幅増大により「PCR検査問題」の突破口になり得ると考えた。

 ただ、採取した検体のウイルス量がごくわずかでも検査機器で遺伝子を増幅させて感染の有無を調べられるPCR検査に比べて、抗原検査キットの精度は劣る。

 こうした特徴を踏まえ、厚労省は当面、抗原検査の供給先をPCR検査を既に実施ている約1400の「帰国者・接触者外来」などのうち、感染者数が多い東京や大阪などの数百の医療機関に限定。対象者は発熱などの症状が出ている患者に限り、PCR検査の前にまず抗原検査を行い、陽性反応が出た人は「感染者」と診断することを認める。陰性だった人は、翌日などウイルス量が多くなるまで待ってから再度抗原検査をしたり、追加でPCR検査をしたりする流れで進める。

5月13日 毎日新聞 焦点 より

 

 

 いよいよ本日、4月7日に7都道府県に発令され16日に全都道府県対象に拡大された緊急事態宣言が47都道府県のうち39県で解除される。宣言を継続するのは、13の特定警戒都道府県の中で依然として状況が厳しい北海道、千葉、埼玉、東京、神奈川、京都、大阪、兵庫の8都道府県。21日を目途に2回目の中間評価を行い、先行解除の可否を再検討するそうだが、その時にあらわれてくる感染者数の数値は連休最終日前後のもの。東京都は、ここ数日感染者数が減少して8日連続で40人を下回っているとも発表。しかし、連休明けの国民の生活様子を見ると21日過ぎあたりから再び感染者の数が増え始めるのではないかと懸念する専門家もいる。宣言が解除されたからと言って途端に「いつも通り」に戻るわけでもない。まだまだどうなるか分からないものだ。

 

サッカー部 MUSANISTA #82.5 『新発見』

 

<秀吉 最後の城 石垣発見>

 豊臣秀吉が最晩年に築城したとされる「京都新城」の石垣と堀が、京都市上京区の京都御苑内にある「京都仙洞御所」で発見された。市埋蔵文化財研究所が12日、発表した。秀吉が築いた最後の城とされ、文献などから存在は明らかになっていたが、遺構が見つかったのは初めて。専門家は「石垣などの痕跡が実際に確認された意義は大きい」と評価する。

 今回の調査は、京都仙洞御所内に防火水槽を建設する工事に伴い実施され、新城の堀と石垣の跡が見つかった。堀の跡からは、豊臣家の家紋「五七桐(ごしちのきり)」の金箔瓦も出土した。立命館大の谷徹也准教授は、「屋敷と言うより、実態としては城だったのでは」と指摘し、「『関ヶ原の戦いの前に石垣を壊した』とする文献と一致する。当時の姿を残しており貴重だ」と評価する。

5月13日 毎日新聞 総合社会面より

 

「京都新城」の発掘調査地点

 

発見された「五七桐」の金箔瓦

 

豊臣家の家紋「五七桐」

サッカー部 MUSANISTA #82 『宣言解除後の防止策』

 

 

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 <全国知事会 緊急事態宣言解除後のコロナ拡大防止策徹底求める>

 緊急事態宣言について、政府が14日、特定警戒都道府県の一部とそれ以外の34県すべてで解除を検討することを受けて、全国知事会はオンラインでの会合を開き、解除後の感染拡大防止策を徹底するよう求める意見が出された。

 この中で、東京都の小池都知事は「大型連休が終わった根拠のない達成感に加え、『一部の地域で宣言解除』という報道が溢れているので、緩みが大変心配だ」と述べた。大阪府の吉村知事は「大阪では、新たに感染が確認された人が1人で、大きな穴は抑えつつあるが、今のうちに第2波、第3波への備えを行うべきだ」と述べた。

 また、特定警戒都道府県以外の34県からも、広島県の湯崎知事が「宣言が解除された後も、知事が段階的な自粛要請を行えるようにするなどの配慮を求めたい」と述べるなど、解除後の感染拡大防止策を徹底するよう求める意見が出された。

 一方、宣言が解除された地域での都道府県をまたいだ移動については、多くの知事から「引き続き、原則として自粛を求めるべきだ」とする意見が出たのに対して、奈良県の荒井知事は「奈良県からは大阪府に通勤する人が3割に上る」などとして、通勤のための移動は認めるべきだという考えを示し、知事会として「不要不急の移動」の自粛を求める方向で調整することになった。

 菅官房長官は、閣議の後の記者会見で「政府としては今週14日を目途に専門家の意見を踏まえて、地域ごとの状況を分析し、可能であれば緊急事態宣言を解除する考えだ。その際に、都道府県をまたぐ移動をどのように扱うかについても、専門家の意見を踏まえて判断することになる」と述べた。その上で菅官房長官は「新型コロナウイルスで観光業に深刻な影響が出ているが、観光関連産業は、我が国が観光立国として生きていくための必要なインフラであり、雇用の維持と事業の継続のために、あらゆる施策を講じて全力で支援していきたい」と述べた。

 

<ドイツ 経済活動制限緩和も流行の広がり示す数値再び上昇>

 ドイツは新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために行っていた経済活動の制限を先週、大幅に緩和すると発表した。その後、流行の広がりを示す数値が再び上昇したが、政府の研究機関は新たな感染者の数などと合わせ、総合的に評価する必要があるという姿勢を示している。

 ドイツ政府は5月6日、3月から行っていた経済活動の制限を大幅に緩和し、すべての店舗の営業を認めると発表。メルケル首相は、判断の理由の1つとして、1人の感染者が何人に感染を広げているかを示す『実効再生産数』が、流行収束の目安とされる「1」を継続的に下回っていることを挙げた。ドイツの『実効再生産数』は、先月15日以降「1」をほぼ連日下回り、緩和が発表された今月6日には0.65まで下がっていた。しかし、その後再び上昇に転じ、9日には1.10、10日には1.13、11日には1.07と推計され、連続して「1」を上回っている。

 一方で、新たな感染者数は多い時には6,000人を超えていたのが、今では1,000人を下回る日もあり、減少傾向が続いている。こうした状況について、感染症対策にあたる政府の研究機関は11日、感染者数が少なくなる中では実行再生産数の数値の振れ幅が大きくなると指摘した上で「実行再生産数が『1』を超えているが、それをもって再び感染が拡大するとは現時点では評価できない」としている。

 

<ロシア コロナ感染連日1万人超でも全国一斉の休業措置解除へ>

 ロシアでは新型コロナウイルスの新たな感染者が連日1万人を超える状況が続いているが、プーチン大統領は11日、全国一斉に行っている休業措置について12日で解除する方針を明らかにした。これ以上の経済の悪化を避けたいねらいと見られる。

 ロシア政府の11日の発表では、ロシアで新型コロナウイルスに感染した人はおよそ22万1千人に上った。新たな感染者が連日1万人を超える深刻な状況で、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学のまとめでは、イタリアを上回って世界で4番目に多くなっている。

 しかし、プーチン大統領は11日、政府内テレビ会議で、3月下旬から全国一斉に行っている休業措置については、当初の期限から延長せず12日で解除する方針を明らかにした。ただ、プーチン大統領は「地域によって状況は異なっている」と述べ、外出制限や予防策など具体的な措置については地方の知事などに委ねる考えを示した。

 プーチン大統領は、ロシア国内での失業者が140万人に上ると明らかにしていて、今回、全国一斉の措置を解除するなど、地域にあわせて段階的に制限を緩和することで、これ以上の経済の悪化を避けたいねらいと見られる。

5月11、12日 NHK NEWS WEB より

 

<韓国のクラブ集団感染、客ら86人感染 釜山などに拡大>

 感染拡大が沈静化したとして、行動制限を大幅に緩和した韓国で、クラブの客を中心とした集団感染が起き、感染者は11日時点で86人となった。多くはソウルやその近郊に住むが、釜山や済州島などにも広がっている。韓国の新型コロナウイルス対策は国内外で高い評価を受けてきたが、政府は規制の再強化を迫られている。

 今回の事態にソウル市は9日、クラブなどの遊興施設に事実上の営業禁止に当たる集合禁止令を出した。ソウル近郊の京畿道も10日、クラブの客に検査を義務付け、人と接触しないよう求める行政命令を出した。教育省は11日、段階的に13日から行おうとしていた学校の登校再開を1週間、延期すると発表した。

 韓国では流行が下火になったことを受け、4月20日から名簿の作成や発熱チェックを条件にクラブなど遊興施設の営業を再開。政府は6日から「社会的距離の確保」と呼んでいた行動制限を緩和させていた。国内の新規感染者は5月に入って9日まで1ケタ台がほとんどだった。ただ、今回の集団感染を受けて10、11日と連続で30人台となっている。

 文在寅大統領は10日の就任3年の演説で集団感染に触れ「防疫の手綱を緩めてはいけない」と強調しつつ「韓国の防疫体制は油断しなければウイルス拡散をコントロールできる」と語った。

5月11日 朝日新聞DIGITAL より

 

<武漢の全市民にPCR検査へ 1100万人、コロナ再流行懸念>

 中国メディアによると湖北省武漢市当局は12日までに、すべての市民に新型コロナウイルスの感染を調べるPCR検査を実施する方針を決めた。最近、市内で計6人の集団感染が起き、再流行への懸念を強めたとみられる。同市の人口は約1100万人。

 市当局は11日、区ごとに10日間で全員の検査を実施するよう指示。無症状感染者が多数いる恐れが指摘されており、4月8日に都市の封鎖を解いた際にも全員を検査するべきではないかとの声が上がっていた。

 新華社通信によると、武漢市東西湖区の同一の居住エリア内で6人の発症者が確認された。うち5人は当初、無症状感染者だった。

5月12日 共同通信 より 

 

 

サッカー部 MUSANISTA #81 『病床逼迫』

 

 

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<厚生労働省集計 感染者向け8割埋まる>

 厚生労働省は10日、新型コロナウイルス感染症の入院患者向けに、都道府県が1日時点で確保したベッド数を公表した。東京、石川は8割以上が患者で埋まり逼迫した状況となっている。

 全都道府県で確保できたのは計約14,000床。感染拡大のピークに備え、各自治体が確保を目指す計約31,000床の半分以下にとどまっていることも判明した。政府は、新規感染者数や重症者を受け入れる医療提供体制が整っているかどうかなどを踏まえ、14日を目途に緊急事態宣言を一部解除する方針だ。

 厚生省は、1日時点の病床確保数と4月28日時点の入院患者数をまとめた。東京は、2,000床を確保したのに対して入院患者は1,832人。石川は、170床に対して患者は150人だった。

 

<電話で選別「無責任」>入院できず死亡 遺族憤り

 遺族によると男性は80代の妻と2人暮らしで、4月上旬から発熱やせきなどの症状があり、近所の病院を受診。処方された解熱剤を飲むなどして自宅療養していた。同13日に症状が悪化して同県所沢市の病院に救急搬送された。しかし、入院の必要はないと判断されPCR検査を受けて帰宅した。男性は15日に狭山保健所から電話で陽性を告げられた。妻は「頼むから早く入院させてほしい」と依頼したが、保健所からは「重症者を優先して入院させている」などと返された。夜に再び保健所から「病院は見つからなかった」と連絡があったという。男性は16日に自宅で呼吸困難となり、再び所沢市の病院に救急搬送された。だが、重篤な状態だったためその日のうちに、より高度な治療ができる県内の別の病院に運ばれた。集中治療室で人工呼吸器を付けたが27日に死亡した。

 厚生労働省は、高齢の感染者は原則入院との指針を示している。埼玉県は4月15日時点では、「感染者は全員入院させる」と決めていた。

5月11日 毎日新聞 記事より

 

 5月4日、安倍首相が緊急事態宣言を5月末まで延長することを決定して1週間が経ちますが、これが現状です。明後日、政府の諮問委員会では緊急事態宣言の一部解除も含めて検討がされます。その条件の中には記事の中にもあった「新規感染者数や重症者を受け入れる医療提供体制が整っているかどうか」も含まれています。

 

サッカー部 MUSANISTA #80 『あと一息の辛抱』

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都の感染者 111人報告漏れ、35人重複

東京都が毎日発表している新型コロナウイルスの感染者数について、小池知事は、保健所からの報告に111人の漏れなどがあったと発表しました。

東京都は、区や保健所などから報告を受けて、新型コロナウイルスの感染者数を毎日、発表していますが、小池知事はインターネットのライブ配信で、複数の保健所からの報告に、現時点で111人の漏れと35人の重複があったと発表しました。

都では、保健所などが端末に入力した感染者の情報を、紙で報告を受けていますが、その紙が届かなかったり、二重で報告されていたということです。

都は現在、集計をやり直していて、感染者の総数は、これまでよりも増えるということです。担当者は、「入力システムが統一されていないことや、保健所の業務がひっ迫していることが原因」と説明しています。

 5月11日 日テレNEWS24 より

 

コロナ再陽性、17道府県で37人 原因不明 厚労省「陰性後も4週間観察を」

 新型コロナウイルスに感染後、いったん陰性が確認されながら再び陽性となった人が少なくとも17道府県で計37人(11日現在)いることが毎日新聞の調査で分かった。再陽性は世界各地で起きているが、ウイルスの特性について未知の部分が多く、原因は分かっていない。厚生労働省は、陰性が確認された後も4週間程度は健康観察を続けるよう求めている。

 複数の専門家によると、再陽性は①体内に残るウイルスが微少なため陰性結果が出たが、その後ウイルスが再び活性化した(再発)②ウイルスにまた新たに感染した(再感染)③誤判定(偽陰性や偽陽性)――などが考えられる。

 毎日新聞が全国の都道府県や政令市などに調査したところ、今月11日までに再陽性が確認できたのは17道府県の20~90代の男女37人(北海道は一部年齢非公表)。北海道9人、大阪府7人、愛知県5人、兵庫県と滋賀県各2人、長野県や福岡県など12府県は各1人だった。

 37人はいずれも退院時や療養施設を退所時などにPCR検査で2回連続で陰性判定を受けていた。また、37人中34人は再陽性と判定される直前に、発熱や味覚障害、倦怠(けんたい)感など典型的な新型コロナの症状が出ていたことも確認されている。ほかの3人は無症状だった。

 熊本市の20代の女子学生は4月3日に感染が判明し入院したが、検査で2回連続で陰性となり6日後に退院。しかし、同17日以降に倦怠感や味覚異常などを訴え、26日に再び陽性が判明した。同居する親族の50代女性の感染も同日、明らかになった。

 退院から不調を訴えた17日まで、女子学生は自宅から出ていないといい、市は「再発」を疑う。しかし、新たに感染した可能性も拭えないという。

 大西一史・熊本市長は「新型コロナは非常に長期間、感染者に潜む特性があるのではないか。もし抗体ができたのに再感染しているのであれば大問題だ」と強い危機感をにじませる。

 熊本市はデータを国立感染症研究所に提供し、解析を進める。再陽性者が出た北海道や秋田県も、同研究所から依頼があり、データを送っているという。

 菅義偉官房長官は7日の記者会見で再陽性について問われ「一般的に感染症にかかれば抗体を獲得し、短期的には再感染は考えにくいとされる。しかし、新型コロナでは、抗体の有無と再感染の関係性などは明らかになっていない点が多い。国で分析中だ」と説明した。

 再陽性者は中国や韓国など他国でも数多く発生しており、研究が進む。立命館大大学院の美馬達哉教授(先端総合学術研究科)は「海外の研究では、死んだウイルスの断片が検出された『偽陽性』を指摘する声もある。検査上のエラーや再発、再感染の可能性があるが、長期的にデータを追って研究を進めないと解明できない」と話した。【斎川瞳、三上健太郎、林田奈々】

 5月11日 毎日新聞 より

 

 最近、東京都の感染者数が連日100人を下回っていて、新型コロナウイルの蔓延も収束に向かっているような気がしてくる。また、長い期間、自分や周囲の人が新型コロナウイルスにかかっていないと、新型コロナウイルスによる脅威を感じづらい気がする。しかし、記事にあるように、「報告漏れ」や「再陽性」の話も浮上してきている。新型コロナウイルスに関しては、分からないことがまだまだ多い。なにしろ言えることは、新型コロナウイルスに関しては、心配してもしすぎることはないということだ。

 報道でも言われていることだが、今、自粛の成果が少しずつ出ているところだと思う。油断せず、しっかりと新型コロナウイルスの対応を続け、「何気ない日常」を取り戻しましょう。

サッカー部 MUSANISTA #79 『家庭での対策 今こそ再点検』

 

 

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正しい知識備え みんなの命守る> 新型コロナおさらい

 政府の緊急事態宣が全国に拡大され、迎えた大型連休。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐ最大の力は、正しい知識と、一人一人が行動を変えることだ。何度でも確認したい、ウイルス対策に役立つ知識をまとめた。

 「 買い物や通院 滞在時間短く 」 【外出時の注意点】

 「 流水で丁寧に20~30秒 」 【正しい手洗い】

 「 体操習慣で筋肉維持 」 【運動不足の解消法】

 「 原則2メートル 屋外も注意 」 【ソーシャルディスタンス】

 「 家族や友人との距離 オンラインで縮めて 」 【帰省や飲み会】

 「 顔と隙間なく 」 【マスクの着け方】

 「 息苦しさ顕著なら相談を 」 【受診の目安37.5度以上4日】

 「 症状長引き 強いだるさ 」 【初期は発熱、せき】

 「 個室で安静に こまめに換気 」 【軽症 自宅療養も】

 「 子どもも要注意 」 【親からの感染予防を】

 「 効果検証は不十分 」 【既存薬活用急ぐ】

4月28日 毎日新聞 特集面 より

 

 見開き1枚に渡って載せられていた特集欄の大中小見出しだけを書き出しました。紙面では、分かりやすいようにイラストや図、表なども工夫されて載っていましたが、文章全体が長くなりそうだったので割愛しました。

 この中で、「受診の目安37.5度以上4日」と小見出しがあります。厚生労働省は8日、相談・受診の目安からこの『37.5度以上の発熱が4日以上続く』との表記を削除しました。具体的には、『息苦しさや強いだるさ、高熱のいずれかの症状がある』『高齢者や基礎疾患がある人で、発熱やせきなどの比較的軽い症状がある』『比較的軽い風邪が続く』の3項目を設定し、ひとつでも該当すれば相談センターにすぐに相談するように呼び掛けました。

 また、同様に「既存薬活用急ぐ」の小見出しの記事の中では、アメリカの医薬品メーカーがエボラ出血熱の治療目的で開発したレムデシベルについても触れられ『投与された重症患者のうち4分の1に腎機能低下などの重い副作用が報告されたほか、今後、十分な量を確保できるかどうかも不透明』と書かれていましたが、厚生労働省は7日夜に国内初の新型コロナウイルス感染症の治療薬として「レムデシベル」を特例承認しました。日本で開発されている抗インフルエンザ薬ファビピラビル(商品名アビガン)も政府は5月中に治療薬として承認したい考えだそうです。ただ、アビガンは胎児への副作用が報告されていて妊婦には使えないのが問題点だそうです。

 

 4月28日の記事からまだ10日ほどしか経っていませんが、情報状況は刻一刻と変わっています。この日、この欄では”最も目にしやすい場所”にこう書かれていました。

 

「新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐ最大の力は、正しい知識と、一人一人が行動を変えることだ。何度でも確認したい、ウイルス対策に役立つ知識」

 

昨日までは、保健所に連絡しても「発熱されてからまだ2日ですとー、検査対象にはなりませんのでもうしばらく自宅で様子を見てもらえますか」・・・

 

昨日までは、自己判断で「ちょっとだるさと咳があるけど、軽症の場合は自宅で安静でいいってテレビで言ってるから電話とかしなくても大丈夫か」・・・

 

これまでは、陽性反応が出ても治療薬として承認された薬がないために医師が自信をもって投薬できなかった・・・

 

 あと45日早ければ、志村けんさんも、岡江久美子さんも、そして、新型コロナウイルス感染症が原因で亡くなられた多くの方々も、救われていたかもしれないのでしょうか。

 

 私たちは、「今できること・今するべきこと」に精一杯取り組み、1日も早くこのコロナ禍を終息させて、戻ってきた何気ない日常を懸命に生きるべきではないでしょうか。 

 

サッカー部 MUSANISTA #78.5 『ははのひ』

 

 

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 本日は、「母の日」ということでスピオンオフ版「日本医師の母」についてです。

 みなさんは、「荻野吟子」さんを知っていますか。簡単に説明しますと、1885年に日本で最初の医籍登録者になった女性、つまり『日本人女性で最初に医師の資格を有した人』です。熊谷市のホームページでは以下のように説明されています。

 

 嘉永4年(1851年)に現在の熊谷市俵瀬に生まれました。自分の体験から女性医師の必要性を痛感し、医師になることを決意します。

 当時、女性には医師の道は閉ざされていましたが、目の前に立ちはだかる壁を信念とたゆまぬ努力で克服し、明治18年(1885年)医術開業試験に合格して、日本の公許女性医師第1号となった埼玉県三偉人のひとりです。

 

 彼女は、様々な困難や苦労を乗り越えて念願の医師となり、その後は東京、北海道で開業します。時代は、今と異なり明治のことですが、私たちは偉大な先人から見習わなければなりません。彼女のことをさらに詳しく知りたい方は、以下の「熊谷市立荻野吟子記念館HP」に載っていましたのでご覧ください。また昨年の秋には、彼女の生涯を映画にした「一粒の麦」が上映されました。

 

 ちなみに「埼玉県三偉人」のあとのふたりは誰のことだか、知っていますよね。もしも知らない人は、二階堂ふみさんに『サイタマケン人には、草でも喰わせておけー‼』と言われてしまいます。なのでヒントを。ひとりは、あの世界的に有名な「三重苦の聖女が心から尊敬し学問を習得する際の手本とした人」です。もうひとりは、「新1万円札の肖像となり令和3年の大河ドラマ『晴天を衝け』の主人公」ですね。みなさんは、言うまでもありませんがもうお分かりですよね。

 

 

【熊谷市立荻野吟子記念館HP】 http://oginoginkokinenkan.com/

 

サッカー部 MUSANISTA #78 『行動自粛 継続がカギ』

 

 

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 新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言が解除され、外出自粛をやめて完全に元の生活に戻すと、約15日後には感染者数が増加に転じる可能性があるとの試算を、大橋順准教授(東京大学集団遺伝学)がまとめた。同氏は、「継続して人との接触を減らしていかないと努力が水の泡になる」と警告する。

 

 大橋准教授は、初期に感染者1人が平均2.5人にウイルスをうつし、感染拡大とともにうつす人数が徐々に減ると仮定。人口10万人あたりの治癒していない感染者数が50人になった日から30日間、行動を自粛すると仮定して、感染者数の推移を試算した。

 その結果、全員が他の人との接触を8割減らせば、自粛開始後5日目から感染者数は減少するが、元の生活に戻ると、自粛解除後15日間で再び増加に転じる結果になった。

 一方、自粛期間終了後も、自粛をやや緩める形で接触を7割抑制し続ければ感染者数は緩やかに減少し続ける。自粛開始から74日後7割抑制を始めてから44日後に、人口10万人あたりの感染者が10人を切り、ピーク時の5分の1以下となるという。試算は、東京や大阪などの大都市に当てはめても、同様の結果になるとしている。

 大阪大病院の朝野和典教授(感染制御学)は「どこまで感染者が減少したら安全かという指標がない。地域ごとの人の行動などさまざまな要因を加えて、2週間後の感染者数を予測できるようにならなければ緊急事態解除のタイミングを決めるのは難しいのではないか」と指摘する。

 一方、現状の自粛には地域差があり、全国一律ではないきめ細かな呼び掛けが必要とのデータもある。

 キャノングローバル戦略研究所などのチームは、携帯電話の位置情報データを使い、住宅地の昼間と夜間の人口を比較し、500メートル四方ごとにデータを集計して外出の自粛率を推計した。この手法だと、商業地ではなく、市区町村ごとでも自粛率が把握できるメリットがあるという。

 1月6~31日の平均値と比較し、都道府県別に自粛率を分析したところ、緊急事態宣言が全国に拡大されて初の日曜だった4月19日に高かったのは、東京58.1%、神奈川55.0%、大阪51.7%、兵庫50.9%、福岡50.5%など。最も低かったのは宮崎32.2%、鹿児島33.0%、沖縄35.3%、北海道35.6%、鳥取36.2%と続いた。

 チームの水野貴之・国立情報学研究所准教授(計算社会学)は「地域ごとに成果を示すことで、市民が取り組みを評価でき、一層の努力を促すなどの動機付けにつながる」と指摘する。

 

 

4月28日 毎日新聞 記事 より

 

 11日前の記事です。あと3、4日もすればこの記事が出された頃の国民の行動状況の反映結果が見えてくると思います。大阪は、宣言解除の独自の指標を示しました。国は、14日を目途に解除の目安を示したいと話しています。北海道では、一度はおさまった感染の拡大が再び増加し始めています。収束の日は、あとどのくらい離れているのでしょうか。

 

サッカー部 MUSANISTA #77 『ピンチをチャンスに』

 

 

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  先日、臨時休校が5月31日まで延長されました。学校では、5月12日(火)に新たな課題を郵送する予定になっています。なかなか外で存分に運動ができず、気分が晴れない人もいるかとは思いますが、しっかりと取り組みましょう。

 今日は、家の中でもできるリフレッシュ方法をご紹介します。実践してみて、ストレスをしっかりと解消し、ぜひこの期間を有効に活用してください。

 

① ゆったりと安静に過ごす静的なリフレッシュ

 (1) 眠る

    心身のリフレッシュにおいて、一番重要でもある睡眠。睡眠は不足していると、身体の修復が十分にできないので、病気のリスクも高まったり、精神的にも悪影響を及ぼします。眠いのに寝付けない場合でも、身体を横にしているだけでリフレッシュ効果が期待できます。

 (2) 湯船にゆっくりつかる

    慌ただしい毎日を送っていると、お風呂もシャワーだけで済ます人も多いと思います。しかし、心身ともにリフレッシュするなら、ゆったりと湯舟につかるのがおすすめです。湯舟にゆっくりとつかることによって、体が温まり全身の筋肉も緩んで、副交感神経が優位なリラックスした状態になり、寝付きもスムーズになります。

 (3) アロマキャンドルを焚く

    家にいる時に、アロマキャンドルを焚くだけでも心身ともにリフレッシュします。実は、アロマキャンドルは中の水分が熱によって変化するため、森林浴の4倍ものマイナスイオン効果があります。アロマキャンドルを焚いた部屋で過ごすだけで、自然の中にいる以上の癒し効果を得ることができるのです。

 

② 活発に頭と体を動かす動的なリフレッシュ

 (1) 体を動かす

         心と体は密接につながっています。心に悩み事やストレスを抱えて頑なになっている時は、大概身体も固くなっています。簡単なストレッチをして、全身に血を巡らせて筋肉をほぐしていくと、心も柔らかくなり気持ちを切り替えることができます。溜まったストレスを発散したい時は、少し激しい運動がおすすめです。好きなアーティストの動画を見ながら家で思いっきりダンスをすると、楽しみながらストレスも発散することができます。

 (2) 掃除をする

         疲れているのに掃除?と疑問に思う人も多いと思いますが、無理のない範囲で掃除をすることもリフレッシュにつながります。まず、掃除をするとなるとその事に集中するので、普段の悩みやストレスから頭が離れていきます。そして、掃除機をかけたり、片付けをするので適度に運動していることにもなります。最後に、片付いた部屋を見ると、達成感や充実感も味わうことができるのです。

 (3)  模様替えをする

     掃除が終わったら、部屋の模様替えをしてみるのもいいリフレッシュになります。ずっと同じ部屋の中にいると、代り映えしない部屋の中で思考が滞ってしまうこともあります。十分な睡眠をとって、心身の調子に合わせながら、少しずつ部屋の様子を変えていくのも良いかもしれません。

 

参考:ウェブサイト「URUOI FACTOR」;https://uruoi-factor.jp/home-refresh/

 

 3月に臨時休校が始まり、既に2か月が経過しています。さらに、臨時休校は1か月ほど延長することになりました。学校に通えないこの期間を、無駄にせず、有意義に過ごしてください。

サッカー部 MUSANISTA #76 『Overconfidence can be very dangerous』

 

 

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コロナ治療薬「レムデシビル」を特例承認 申請から3日  

 抗ウイルス薬レムデシビルについて、厚生労働省の部会は7日、新型コロナウイルスの治療薬としての製造販売を了承し、特例承認されることが決まった。新型コロナの治療薬が国内で承認されるのは初めて。対象は、人工呼吸器をつけるなどしている重症の新型コロナ患者。

 レムデシビルはエボラ出血熱の治療をめざして開発された注射薬。新型コロナの感染者の治療については、米食品医薬品局(FDA)が1日に重症の入院患者を対象に緊急時の使用を許可した。

 これを受け、日本政府は海外で販売されるなどした医薬品について、国内の薬事承認の審査を簡略化できる特例承認の対象とした。2009~10年に新型インフルエンザが流行した際は、英国とスイスの企業のワクチンがこの制度で承認されている。

 製造する米医薬大手ギリアド・サイエンシズの日本法人から厚労省に承認申請が出されたのは今月4日。申請から3日間という異例の早さで承認されることとなった。

5月7日 朝日新聞デジタル より

感染ゼロ続く17県で解除も 西村氏、非常事態宣言巡り  

 西村康稔経済再生担当相は7日の記者会見で、14日をめどに検討する緊急事態宣言の地域ごとの解除について、新型コロナウイルスの新規感染者ゼロが6日時点で1週間続いた17県などで「解除が視野に入ってくる」と述べた。重症者の受け入れ余力を含む医療提供体制の状況といったことも踏まえて判断する考えを示した。

 内閣官房によると、新規感染ゼロが1週間続いているのは、青森、岩手、宮城、秋田、栃木、福井、三重、鳥取、岡山、徳島、香川、高知、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島の17県。

5月7日 共同通信 より

 

 最近のニュースを見ると、「新型コロナウイルスに有効と言われている薬の使用が日本で承認された」という話があったり、「東京都の感染者が連日100人を下回った」という報道があったりします。4月中旬から末まで、在宅勤務をしていますが、GW明けの本日久しぶりに通勤したところ、電車の中は新型コロナウイルス感染拡大前までとはいきませんが、人が多かった気がします。また、いわゆる『ソーシャルディスタンス』と呼ばれるような「他の人と距離をとろう』という意識が、電車内では薄れてきているような気がしました。

 先日も、ここで書かせてもらったが、新型コロナウイルスが収束に向かっていったとしても、デマに流されて油断しないこと。とにかく、「自分の都合のいいように真実を捻じ曲げて理解・納得しないこと」「自分の都合のいいことにのみ耳を傾けて自分の行動を決めないこと」に注意し、日々心がけるようにしてほしい。

 北海道では、第二波、第三波があったと聞く。今、警戒を薄めれば、首都圏にも第二波、第三波がくることは自明であろう。感染0が17県で続いても関係ない。今首都圏では、緊急事態宣言は解除されていない。この文章を読んでいる君たちが、自分のこと、周りの人のことを考え、行動できる人であることを願う。

サッカー部 MUSANISTA #75 『日本の軌跡』

 

 

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<サッカー日本代表の歴史>

 2018年ロシアW杯に出場した日本代表。アジア有数のサッカー強豪国に成長した日本だが、1990年代前半まではプロチームもなく、W杯本大会出場にはなかなか手が届かない時期もあった。

 日本サッカーが世界レベルで初めて本格的に知られるようになったのは、1968年メキシコ五輪。大会得点王となった釜本邦茂や渡辺正、杉山隆一らの活躍で銅メダルに輝いた。

 1960年代までは日本サッカーの目標は五輪にあり、W杯は1970年のメキシコ大会から予選に継続的に出場するようになる。だが、当時はオーストラリアやイスラエル(当時はアジア連盟所属)、韓国といった国々の壁が高く、敗退を重ねる。1986年(メキシコ大会)アジア予選は、本大会出場を決めるゾーンB(東地区)の最終予選で韓国に敗退。1990年(イタリア大会)も北朝鮮に敗れ、一次予選を通過できなかった。

 日本サッカー協会は1991年、社団法人日本プロサッカーリーグを設立し、1993年に10チームで「Jリーグ」がスタート。1992年には日本代表初の外国人監督としてハンス・オフト(オランダ)が就任し、W杯本大会出場に向けた本格的な態勢が敷かれた。この時期の中心選手には三浦知良、ラモス瑠偉、井原正巳、柱谷哲二ら。強化は順調に進み、アメリカ大会アジア予選では、最終予選に進出したが、イラクと対戦した最終戦(第5戦)で後半ロスタイムに同点に追いつかれてあと一歩のところで出場権を逃した。同試合はカタールのドーハで行われ、第4戦終了時には1位にいた日本は、得失点差で韓国に抜かれて3位に転落。日本サッカーファンは、これを「ドーハの悲劇」と呼んで記憶にとどめることになる。

 4年後のフランスW杯予選では、最終予選グループで韓国に次ぐリーグ2位に。プレーオフのイラン戦は、マレーシアのジョホールバルで行われ、延長戦の末に勝利をものにして悲願のW杯出場権を初獲得した。この歴史的快挙を「ジョホールバルの歓喜」と呼び、今なお語り継がれている。

 1998年フランスW杯の監督は、岡田武史。中心的な選手には、中山雅史、井原正巳、中田英寿、名波浩、秋田豊、城彰二、川口能活がいた。グループリーグでアルゼンチン、クロアチアともに0-1で敗れ、早々とリーグ敗退が決定。最終戦もジャマイカに1-2で敗れ、初出場のW杯は3戦全敗で終わった。日本のW杯初得点は、中山雅史が記録した。

 W杯史上初となる日本と韓国の共同開催となった2002年日韓W杯。監督のフィリップ・トルシエ(フランス)は、中田英寿や宮本恒靖、松田直樹、森島寛晃などのほか、小野伸二や稲本潤一、中田浩二といった1999年ワールドユース選手権準優勝組をメンバーの中心に据えた。グループリーグ初戦のベルギーに2-2の引き分け、第2戦のロシアに1-0、第3戦のチュニジアに2-0で勝ち、グループリーグ1位で決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦ではトルコに0-1で敗れ、ベスト16で2回目となるW杯を終えた。

 トルシエの後任は、ブラジルの英雄ジーコが監督に就任。2006年ドイツW杯には3大会連続出場となる川口能活や中田英寿らのほか、中村俊輔や中澤佑二、高原直泰、三都主アレサンドロといった新戦力を率いて臨んだ。だが、3度目となるW杯はグループリーグ初戦でオーストラリアに1-3とまさかの逆転負け(悪夢の8分間)。第2戦のクロアチアには0-0で引き分けたものの、最終戦のブラジルには1-4と完敗してリーグ最下位に終わった。

 2006年代表監督に就任したイビチャ・オシム(ボスニアヘルツェゴビナ)は、急病に倒れ翌年退任。後を引き継いだ岡田武史がフランスW杯に続き2010年南アフリカW杯の指揮を執った。チームの中心選手は、長谷部誠や遠藤保仁、本田圭佑、長友佑都、大久保嘉人、田中マルクス闘莉王ら。グループリーグ初戦のカメルーンに1-0で勝利。第2戦のオランダには0-1で敗れたが、第3戦のデンマークに3-1で快勝して決勝トーナメントに進んだ。決勝トーナメント1回戦では、強豪パラグアイ相手に0-0の引き分け、PK戦の末3-5で惜しくも涙をのんだ。

 南アフリカW杯後、岡田武史の後任監督としてアルベルト・ザッケローニ(イタリア)が就任。攻撃的サッカーを掲げて2011年アジアカップを優勝に導き、2014年ブラジルW杯への出場も果たした。しかし、初戦のコートジボワール戦は1-2で敗れ、第2戦のギリシア戦は0-0の引き分けに踏みとどまったものの、最終戦のコロンビア戦では1-4と惨敗を喫しグループリーグで敗退した。

 2018年ロシアW杯は、開幕まで2カ月に迫った4月に3年間代表チームを率いたヴァヒド・ハリルホジッチ(ボスニアヘルツェゴビナ)が電撃解任され、後任に西野朗が就任。グループリーグ初戦のコロンビア戦は2-1で勝利、第2戦のセネガル戦はリードされた後に追いつき2-2の引き分けに持ち込んだ。最終戦のポーランドには0-1で敗れたものの、セネガルと勝ち点4、総得失点差0、総得点4で並び、今大会から導入された警告数の少ない方を優位とするフェアプレーポイントでセネガルを上回り、辛くも決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦で強豪ベルギーを相手に一時は2点リードしたものの、同点に追いつかれ、最後はアディショナルタイムで逆転された。

2018年7月3日 WEB より

 

 

<平成の時代に着実な前進を見せた日本サッカー>

 平成サッカー史を振り返っていくと、どの出来事も印象深い。ただ、最初の大きな成功体験となった「ジョホールバルの歓喜」から学んだことは非常に多かったように思う。成功を得るための大切なエッセンスが、ここには詰まっていた。

(1)準備の大切さ

1997年11月16日、舞台は中立地マレーシアの都市ジョホールバル。日本は高温多湿の環境に慣れるべく、試合の6日前に現地に到着していた。一方のイランは、第3代表決定戦に回ることが決定してから移動してきたために試合の2日前にマレーシア入り。飛行機のフライト遅れもあって、疲労を蓄積させた状態で決戦の地にやってきたのだった。岡田武史監督にこの時のことを振り返ってもらったことがある。「マレーシアでやれることも我々にとっては大きかった。我々はしっかり暑熱対策をやってからジョホールバルに入ったけど、逆にイランは直前になって入ってきたよね。だから後半、彼らの運動量は明らかに落ちた。試合前日には、我々の練習中にイランが周りをランニングしたり、アジジが車椅子に乗っていたり(怪我をして試合に出られないんじゃないかと日本を騙そうと)…サッカー以外のところで集中していた感があった。我々は逆にサッカーそのものに集中していた」移動距離や時差などで言えば、日本の方がイランよりも条件は良かった。だが、こういった『準備の差』が、最後の最後にあらわれるという教訓を得た。

(2)プレッシャーに打ち勝つ大切さ

勝ったら天国、負けたら地獄。言葉では言い表せないほどのプレッシャーがのしかかる状況下で、力を発揮しなくてはならない。ガチガチにならず、集中が途切れなかった。その意味で象徴的な場面があった。2-2で迎えた延長後半13分、イランは右サイドからディフェンスラインと川口能活の間に低く速いアーリークロスを送り、逆サイドからエースのアリダエイが飛び込んできたのだ。川口は懸命に前に出て阻もうとし、ダエイのシュートはクロスバーの上を飛び越えて行った。その時、川口は座り込むダエイの頭をポンポンと撫でたのだ。後に川口は語っている。「グラウンドがスリッピーでクロスのボールが伸びるなとは思っていましたし、ダエイが来たことも分かっていました。さすがのダエイも届かないだろうと思っていたら、届いた。ダエイが凄く悔しそうな顔を浮かべていたので、「大丈夫か」みたいな感じでした。あんなことやれるぐらい、精神的に落ち着いていたんだと思います」このシーンの直後に、岡野雅行の決勝ゴールが生まれた。『プレッシャーに負けず、集中を切らさず』。加茂周監督の解任や様々な出来事を乗り越えて、精神的にもタフになったことが「落ち着き」をもたらしたのだった。

(3)決断の大切さ

とにかく岡田采配が光った。前半に中田英寿のスルーパスから中山雅史が決めて先制しながらも、後半に入ってイランに2点を奪われて勝ち越される。すると指揮官は、大胆にも三浦知良、中山雅史の2トップを城彰二、呂比須ワグナーの2枚替えに踏み切って、城の同点ゴールが生まれている。そして、最終予選で一度も試合に出場していない岡野雅行を勝負どころで投入。足が止まったイランは、岡野のスピードについていくことができなかった。以前、聞いた指揮官の回想。「岡野の起用はよく聞かれるんだけど、俺からしたら『使ったことなかったっけ』くらいの感じ。というのも決断は直感でやる。どっちを選ぶかじゃない、自分がどういう状態で選べるか。これで負けたらヤバいとか思うときの決断は大概当たらない。でも、すっと雑念がなくなって無心で『ここは岡野だ』と。自分の経験上、そういうときは大体当たっている」雑念のない『無心の決断』が勝利の女神を振り向かせた。

(4)諦めない大切さ

ここまでの予選の状況と、イラン戦の状況があまりに似ていた。そう語ったのは、GKの川口能活である。「イラン戦の120分間は最終予選の2カ月の流れとまったく一緒でした。勝ってスタートして韓国戦の敗北、そして加茂さんの解任があって、岡田さんのもと最後は連勝。イラン戦も先制しながら逆転され、こちらが追いついて最後は岡野さんのゴール。あの2カ月でたくましくなったから勝てたのかなって思うんです。自分のサッカー人生において、あれほどの強烈なプレッシャーは、他にはありません。プレッシャーに打ち勝ってW杯に行ったあの経験があるから、僕はどんなときも”最後は負けない””何とかなる”って思うことができる」岡田体制になって2試合目のUAE戦は、終了間際に何とか同点に追いついたものの、第3代表決定戦に進める自力2位の可能性がここで消滅している。選手バスはファン、サポーターに取り囲まれ、国立競技場は重たい空気に包まれた。しかし、チームは失意の中でも諦めない気持ちを持ち続けたことで、韓国代表、カザフスタン代表に2連勝して決定戦進出を決めた。『諦めなければ何が起こるか分からない』このことを見事に体現したと言える。

(5)一致団結の大切さ

チーム、スタッフがひとつにまとまっていたからこそ、感動的なラストシーンを迎えることができた。良い集団とは、ひとつの目標に向かって一致団結できる集団だと教えてくれている。

有名なエピソードがある。

岡田監督が就任して初戦のウズベキスタン戦で中田英寿をスタメンから外した。だが、指揮官は一切腐ることなく練習に励む中田の姿を見て、その覚悟を感じ取り、スタメンに戻した。あのイラン戦の勝利も、中田英寿の活躍を抜きにしては語れない。「ヒデがもし不貞腐れたら(日本に)帰そうとも思っていた。だけど、違った。練習から一生懸命やってくれた。幸運というのは、結局自分で呼び込むしかない。それまでにどれだけ運を掴み損ねない努力や準備をしているか。俺は良く『勝負の神様は細部に宿る』と言うけど、練習から1m手前で力を抜いてしまえば、その1回抜いたがためにW杯に行けないかもしれない。そういう心掛けで日頃からやっているかどうかで幸運を掴めるかどうかが決まる」細部の努力を、惜しまない集団だった。

しっかり準備して、プレッシャーに打ち勝ち、選手も監督も”ゾーン(極度の集中状態)”に入っていく。諦めない気持ちを持ち、一致団結して目標に向かう。

「ジョホールバルの歓喜」が教えてくれた『この5つの要素』。令和の時代に入っても、勝つために大切なものは不変である。

 

2019年5月2日 二宮寿明氏 より

 

 

 

 

 三浦知良選手から始まった連休特別号の最後は、「日本サッカーの歩み」を載せさせてもらいました。この数日間、コロナウイルスの話題から離れ、サッカーについて載せてきたのには、理由があります。

 今、もしもこのブログを読んでくれてる中高生が居たとしたら、恐らく私と同じように、ここまでサッカーから離れたことは経験ないのではないでしょうか。私は小学校3年からサッカーをはじめ、大学を卒業して指導者の道を歩んでいますが、こんにちまで重度の怪我をしたとき以外ではこんなにもサッカーから離れた経験は一度もありません。怪我の時は「動けない」とか「早く治したい」という気持ちもあるので我慢できる部分も多少はあります。ですが今は、身体も、気持ちも、場所も、特別問題ないのに「できない」状況なので、こんなことは生まれて初めてです。新型コロナウイルスの影響で2月末から学校は臨時休校が続き、部活もその間活動禁止、春休みなったら…4月新年度になったら…5月になったら…連休が明けたら…リーグ戦は…今年の合宿は…期待は裏切られ続ける。そればかりか、全国中学校サッカー大会、全国高校総体の相次ぐ中止の決定。どんどん楽しみが少なくなっていく。。。

 ですが、この状況をなんとか乗り越えないと何も始まらない。このウイルスの波をなんとかして抑えないと何も始められない。世界中のサッカー選手だけでなく、たくさんの著名人も様々な形で伝えていますが『今できること』をやるしかない。なので、私は「私の形」で、部活が出来ない代わりに、この連休はサッカーについて語ろうと決めました。外出自粛でサッカーが出来ない中高生が、これを読んでくれたときに、ひとりでも気が紛れてくれたら、少しでもサッカーへの気持ちが沸々と湧いてきてくれたら、コロナをこれ以上広げさせないための努力と協力について考えてくれたら、この鬱々とした気持ちが少しでも前向きになってくれたら、明日を楽しみに今日一日を過ごせたら、そうした願いを込めて、この数日間は書かせてもらいました。サッカーは、人に勇気と希望と力と仲間を与えてくれる。

 最後になりますが、二宮寿明氏の「勝つために大切な不変なもの」は、サッカーに関してだけではないと思います。

 みんなで頑張りましょう。ONE FOR ALL, ALL FOR ONE !!

 

 

サッカー部 MUSANISTA #74 『悲運の天才』

 

 

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<”天才”小野伸二に海外メディア注目 中田英寿らに並ぶ「日本サッカー界のレジェンド」>

【名立たる選手たちも魅了した小野の才能「日本でベストのサッカー選手」】

 北海道コンサドーレ札幌の元日本代表MF小野伸二は、Jリーグのほか、オランダ、ドイツ、オーストラリアでもプレーするなど、世界のサッカーを知る数少ない選手だ。そんな38歳のMFを、スポーツ専門テレビ局「FOXスポーツ」アジア版が「天才」として特集している。

 小野は1998年に清水商業高校(現静岡市立清水桜が丘高校)から浦和レッズに加入し、すぐさまレギュラーを獲得。同年のフランスW杯にも出場した。2001年からオランダのフェイエノールトに活躍の場を移し、UEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)のタイトルを手にするなど、華々しい活躍を見せた。その後、浦和に復帰してリーグ優勝、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝を経験し、ドイツのボーフムや地元清水エスパルス、オーストラリアのウェスタン・シドニー・ワンダラーズを経て、現在は札幌でプレーしている。

「不思議なことに、日本以外では中田英寿、中村俊輔、稲本潤一ほどの知名度はなかった。おそらく、当時の3大リーグ(イタリア、イングランド、スペイン)でプレーしなかったからだろう。中村はスコットランドでプレーしたことが大きかった。だが、疑うことのない事実は、小野が彼らに劣るような才能ではなかったことだ」

 記事では、このように言及するとともに、レスター・シティのFW岡崎慎司がクラブの企画で「香川真司はスペインのイニエスタのよう。岡崎慎司はいつも60分で交代。でも、小野伸二は3人のシンジの中ではレジェンドのシンジ。彼が日本でベストのサッカー選手だと思う」とコメントしたことを紹介。ニースの元オランダ代表MFウェスレイ・スナイデルも、対戦した相手の中で最も素晴らしい選手として小野の名前を挙げたという。

【札幌を長くJ1にいられるチームにしたい】

 小野のキャリアでのハイライトは、前述のUEFAカップ優勝だろう。当時のフェイエノールトには、元デンマーク代表FWヨン・ダール・トマソン、元オランダ代表FWピエール・ファン・ホーイドンクらに加え、当時まだ18歳だったFWロビン・ファン・ペルシーも所属していた。2002年日韓W杯直前のシーズン、彼らを中盤のコンダクターとして操った小野は、間違いなく優勝チームの中心だった。数カ月後のW杯本大会では、虫垂炎の影響によりトップパフォーマンスを見せられなかったことが悔やまれるところだ。

 小野は同局のインタビューで「先のことはあまり考えたくない。できるだけ長くプレーしたい」と、まだまだ現役を長く続ける意欲を表明。そして「札幌が長くJ1から遠ざかっていたことも、ここに来た理由の一つ。札幌をJ1に長くいられるチームにしたい」と、今季のJ1残留確定まであと少しのところまで来ているチームの力になることを誓った。

 2006年ドイツW杯まで3度のW杯出場経験を誇る小野は、来年のロシア大会に臨むハリルジャパンについて「(W杯は)サッカーで最大の舞台。選手たちが技術とインテリジェンスを最大限に発揮してほしいし、能力を最大限に発揮できれば上手くいくと思う」とエールを送っている。

 記事では改めて、「中田、中村、稲本だけではなく、小野もまた日本サッカー界のレジェンドである」と締めくくっている。9月に38歳となった小野は、柔らかなボールタッチやアッと驚くようなスルーパス、意外性のあるシュートで、まだまだその「天才」ぶりをピッチで見せつけてくれるはずだ。

2017年11月17日 FootballZONEweb より

 

 

<世界に誇れるたったひとりのサッカーの天才>

 1998年フランスW杯。当時の日本代表監督であった岡田武史に選出され、「小野伸二」は18歳ながらW杯を闘う当時の22人に選出された。98年W杯と言えば、日本サッカー界を振り返る上であまりに有名で衝撃的な場面がある。

「外れるのは、イチカワ。カズ、ミウラカズ。キタザワ・・・3選手です。」

 岡田監督が25人のメンバーからフランス現地で3人を外す二段階選考という決断をし、メディアの前で発表したあの瞬間の映像は、幾度となく流れ、未だに語り継がれている。そして、偉大なるカズの背番号「11」を受け継いだ小野伸二もまた、日本サッカーを語る上で欠かせない存在となっていく。

【黄金世代】

 「小野伸二」という男は、あらゆる世代で別格だった。その伝説は、小学生時代から始まっていて、どの世代でも常に「天才」と呼ばれていた。小野をはじめとして、稲本潤一、本山雅志、小笠原満男、中田浩二、高原直泰、酒井友之、遠藤保仁などの世代が揃う、日本サッカー史上最強の世代である「黄金世代」(通称79年組)と言われる彼らの中でも小野は誰からも一目置かれ、誰もが認める「天才」だった。ナイジェリアで行われたワールドユース(現U20W杯)ではキャプテンとしてチームを引っ張り、準優勝に貢献するなど人望も厚い。

【プレースタイル】

 しなやかな足首から繰り出される柔らかいボールタッチが特徴で、そのワンタッチプレーは世界でも一級品。足元から繰り出されるパスは、鮮やかで芸術的でオランダのフェイエノールト時代には「ベルベットパス(布のように滑らかで優しいパス)」などと称され、印象的なプレーと共に数多くのアシストも記録した。98年W杯でのデビュー戦となったジャマイカ戦の残り15分で投入された小野のファーストタッチでの相手DFを股抜きしたプレーにはじまり、ワールドユースでの活躍、オランダ・フェイエノールトでのデビュー戦での絶妙アシストなどなど「小野伸二」というワードを頭の中で浮かばせただけで色々なシーンが脳裏を過ぎる。

【怪 我】

 同時に思い出されるのが、シドニー五輪アジア一次予選1999年7月5日のフィリピン戦。後方から両足で挟み込むようなスライディングに倒されて、そのまま起き上がることが出来ずに負傷交代。左膝靱帯断裂という大怪我を負った。このたったひとつの怪我が、小野の人生を変えた。後に小野自身が語っているように「あの怪我で僕は全てを失った。足の感覚だけじゃなく、サッカーのイメージ全体が消えてしまった。それからは迷いながらプレーするようになってしまった」と。

【尊 敬】

 ワールドクラスの選手たちと共にプレーしてきた小野。フェイエノールト時代のチームメイトには若き日の各国代表クラスの選手たちがひしめき合う。そんな彼らも「小野伸二」をリスペクトしていた。後にマンチェスターユナイテッドに移籍し世界的FWとなったオランダ代表のロビンファンペルシーが「小野は天才。オランダ代表でも小野より上手い選手はいなかった」と豪語し、デンマーク代表のヨンダール・トマソンやディルク・カイトらが小野を初めて見た時の衝撃は物凄かったと語る。元オランダ代表のスナイデルも、過去に対戦した選手の中で一番上手いと思った選手の名に「小野」を挙げるほどだ。ラモス瑠偉氏も「小野は、怪我さえなければバケモノになっていた」と語り、あの辛口で有名なセルジオ越後氏でさえも「日本に天才がいたとしたら、小野伸二だけだ」と言う。

【最後に】

 あの日のフィリピン戦。倒れ込むあのシーンが本当に脳裏に浮かぶ。担架で運ばれていく小野の表情が痛々しい。それでも復活してきた小野伸二は、物凄かった。フェイエノールトでのデビュー戦でヘリコプターから登場し、その後の活躍は半端じゃなかった。何よりも『サッカーを楽しむ』という想いがプレーから伝わってくる選手。小野本人も「ロナウジーニョ」のプレーに惚れ込んでいたように、多くのファンはもちろんサッカー選手までもが小野伸二のプレーに引き込まれていたに違いない。

 今なお現役を続ける「小野伸二」という男には、いつまでもサッカーを楽しみ続けていて欲しい。そして、楽しそうにプレーしている姿をいつまでも見せて欲しい。

2019年10月23日 web より

 

 

 今回は、中田・松田の下の世代にあたる「小野伸二」を載せさせてもらいました。小野伸二は、中田英寿とは違う意味で凄かった。久保建英選手や安部裕葵選手のような若手選手たちが出てきた今でも、「小野伸二には及ばない」「小野伸二だけが本当の天才」と言う人は多くいると思います。私もまだ若かりし頃、当時浦和レッズでプレーしていた小野選手と対戦相手として何度か試合練習をした経験があります。その頃は、私もまだ夢を追い掛ける少年でしたので、本気でプロサッカー選手を目指してサッカーに打ち込む毎日を送っていました。そんな私に現実を突きつけてくれたのが小野選手でした。今思えば、プロの基準を小野選手にしてしまったのは大きな間違いだったと思いますが、それでも高校を卒業して間もない小野選手ですから、その時の私とは3つ4つ程しか歳が離れていなかったと思います。それなのに、あの『ボールが足に吸い付いている感じ』『ボールと足が糸か何かで繋がっている感じ』『ボールと戯れている感じ』を試合のさなかで目の当たりにしては「コレがプロなのか…」と当時の私は、思い知らされた瞬間でした。

 最近の小野選手は、この新型コロナウイルス感染拡大防止による外出自粛のために、SNSを使ってリフティング動画やトラップの映像を発信され、ご覧になられた方の多くが大変に驚かれているようですが、よければ併せてコチラの動画もお楽しみください。”天才”小野伸二の凄さがもっと分かると思います。

  【YouTube動画】 https://www.youtube.com/watch?v=NMQHFPpC7mo&list=LLC3pY-xrtzIRgrekrlD0gxg&index=16

  【YouTube動画(フェイエノールト時代)】https://www.youtube.com/watch?v=4-uPu-h65ic

 

<小野伸二の経歴>

   1998 浦和レッズ              27試合出場 9得点

   1999 浦和レッズ              14試合出場 2得点

   2000 浦和レッズ              24試合出場 7得点

   2001 浦和レッズ              14試合出場 2得点

   2002 フェイエノールト(オランダ)     30試合出場 3得点

   2003 フェイエノールト(オランダ)     29試合出場 7得点

   2004 フェイエノールト(オランダ)     24試合出場 2得点

   2005 フェイエノールト(オランダ)     25試合出場 7得点

   2006 フェイエノールト(オランダ)       4試合出場 0得点

   2006 浦和レッズ              28試合出場 5得点

   2007 浦和レッズ              25試合出場 3得点

   2007 ボーフム(ドイツ)          12試合出場 0得点

   2008 ボーフム(ドイツ)            8試合出場 0得点

   2009 ボーフム(ドイツ)            9試合出場 0得点

   2010 清水エスパルス            30試合出場 2得点

   2011 清水エスパルス            26試合出場 6得点

   2012 清水エスパルス            14試合出場 0得点

   2013 ウエスタン・シドニー・ワンダラーズ(オーストラリア)   24試合出場 7得点

   2014 ウエスタン・シドニー・ワンダラーズ(オーストラリア)   23試合出場 2得点

   2014 北海道コンサドーレ札幌            7試合出場 0得点

   2015 北海道コンサドーレ札幌        17試合出場 2得点

   2016 北海道コンサドーレ札幌        15試合出場 0得点

   2017 北海道コンサドーレ札幌        16試合出場 0得点

   2018 北海道コンサドーレ札幌          7試合出場 0得点 

   2019 北海道コンサドーレ札幌          0試合出場 0得点

   2019 FC琉球                 9試合出場 0得点

   2020 FC琉球

 

<国際Aマッチ>

   通算56試合出場 6ゴール  A代表デビュー戦 1997年5月21日 W杯日韓共催記念試合 vs韓国戦(国立競技場)

 

サッカー部 MUSANISTA #73 『永遠のサッカー小僧』

 

 

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 <松田直樹が残した匂い>

【勝利が似合う男】

 松田直樹は2000~2005年まで日本代表として戦っているが、特筆すべきはその勝率だろう。2002年の日韓ワールドカップでは日本サッカー史上初、ベスト16に進出。2000,2004年と2度のアジアカップで優勝し、2001年のコンフェデレーションズカップも準優勝だった。圧倒的な熱量を、チームの勝利のために捧げることができた。

 16シーズンに渡って所属した横浜F・マリノスでも、常に勝利を目指している。1995,2003,2004年と3度のJリーグ優勝。クラブ史における、すべてのリーグ優勝にかかわっているのだ「誰かに負けるなら、自分の身体をいじめて苦しむ方がマシ」そう語っていた松田は、頑固なまでの負けず嫌いだった。「(2000-01年に横浜を率いた)アルディレス監督に、『おまえは一番になれ』と言われたのが嬉しかった。俺は目立ちたがり屋だから。一番になるにはハードな練習が必要だけど、勝つためならいくらでも苦しめた」松田のその精神がチームに伝播したのだろう。相手アタッカーと殴り合うような積極的な守備で、どんな攻撃をも跳ね返した。そうして得た勝利を、仲間とはしゃぐ姿が誰よりも似合った。「毎日(のトレーニング)が喧嘩腰だったね。そんな仲間がいたから、俺はやってこられたと思う。そこで言い訳をする選手は、ダセえから。とにかく、誰にも負けねぇぞって」松田はそう洩らしていた。

 2011年8月、松田は練習中に心臓発作で倒れ、34才の若さで急逝している。あれから8年、彼が残した匂いとは――。

【従順でない生き方】

 松田は、熱い血の滾りを感じさせる男だった。自らボールを持ち運び、攻撃陣を鼓舞する。周りを叱咤し、士気を高めた。彼ほどのパーソナリティーを感じさせるディフェンダーは今も出ていない。スペイン代表のセルヒオ・ラモスは、イメージが近いだろうか。チームの勝利のためには、従順でなかった。例えば日韓W杯では、一世を風靡した「フラット3」を当時の代表監督フィリップ・トルシエに厳命されていたが、松田はディフェンスラインで話し合い、試合の中でアレンジしていた。3人同時に高いラインを取れば、世界の強豪相手には必ず裏を取られる。自主的に、能動的に考え、行動を起こした。当時、それはとてつもない覚悟のいる選択だった。

 松田は奔放に見えたし、自らの正義に逡巡なく行動ができた。その軸は、チームが勝利できるか、にあった。晩年に所属した松本山雅でも、Jリーグに昇格することしか考えていない。経験の乏しい選手たちを激励しながら、短所よりも長所に目を向け、成長を促した。彼の一言で叱咤され、自分の良さに気付き、今も現役を続けている選手がいる。松田は進むべき指標になったのだ。

【歴史がクラブを作る】

 少なくとも、松田がピッチで放射した熱が、今の横浜の土台になっていることは忘れるべきではない。その存在は刻々と薄れていく。それが時の流れである。しかし偉大なクラブでは、後進が歴史を動かした男たちの名前を胸に刻んでいる。バルサの伝説であるジョゼップ・グアルディオラは、ラディスラオ・クバラへの敬意を語っていたことがあった。1950年にハンガリーから亡命してきたクバラは当時、バルサでスーパープレーを見せていた。今のリオネル・メッシに近い活躍だった。クバラを見たいがため、人々が入りきれないほど席が埋まり、巨大なカンプ・ノウが建てられた。塀に腰掛けてみる人たちのお尻が外から並んでいたことで、今もバルサファンはクレ(カタルーニャ語でお尻)と言われるほどだ。「このクラブがあるのは、先人たちのおかげ。我々は歴史を大事にするべき。クバラのような偉人なしでは今がない」グアルディオラはリアルタイムで見ていなくても、クバラを知っていた。先人がいて、今の自分があり、それを継承する。その使命を心得ていた。

 ユース、ジュニア年代も含め、横浜の選手、あるいはファンがどれだけ松田を知っているか?松田という歴史が伝えるメッセージがあるはずだ。「そんな堅苦しいのやめてよぉ、マジで」きっと松田は、そう言って照れ笑いするだろうが。

2019年8月4日 小宮良之氏 より

 

 

<松田直樹とは何者だったのか?日本サッカー史上、最も記憶に残るセンターバックを悼む>

 2010年12月、日産スタジアム。彼は泣きはらした赤い目をして、ミックスゾーンに出てきた。16年間を過ごした横浜F・マリノスから戦力外通告を受け、最後の試合だった。帽子を被り、視線は真っ直ぐ、遠くを見つめたまま歩く彼は、取り囲む記者たちに一瞥もくれなかった。少しでも口を開けば、心の中でなにか大事なものが壊れてしまいそうだったのだろう。少なくとも、そう見て取れた。筆者はそのとき、わざと遠巻きに見つめ、声をかけていない―。8月4日の命日、当時の風景を思い出す。

【松田直樹とは何者だったのか?】

 松田直樹とは何者だったのだろうか?松田はJリーグのマリノスで連覇に貢献するなど長く活躍。02年の日韓ワールドカップでは、フィリップ・トルシエ監督の率いる日本代表の守りを支えた選手である。大柄だが俊敏で、敵を呑んだような剛胆な守備が特長だが、むしろ代名詞となっているのは攻撃参加で敵に斬り込んでいくような姿かもしれない。Jリーグ史上最高のディフェンダーの一人であることは間違いないだろう。

 2011年8月、当時34才だった松田は、所属する松本山雅での練習中に心臓発作で倒れ、そのまま息を引き取った。拙著「フットボール・ラブ」(集英社)では、彼が過ごした最後の1年を書き綴っている。自分の中にある燃料を燃やし、前に進むような男の肖像を描いた。「俺は自分を追い込み、死ぬ気でサッカーをやって来た。日韓ワールドカップの前は、アドレナリンが出まくってたね。『一番になれ』といわれると俺は嬉しくてさ! 自分は目立ちたがり屋だから、そのためならマゾにでもなんにでもなれたよ。才能はなかったけど、自分の体をいじめられた。苦しくてつらいんだけどさ、誰かに負けるよりもよっぽどマシだから」松田は一気に捲し立てた後、寂しそうに照れた。その表情は、今も忘れられない。

【命がけだったW杯】

 筆者が彼に会ったとき、その燃料はすでに尽きかけていたのだろう。「燃えることのできない自分に気づいてしまった」彼は思い詰めたような顔でそう言った。日韓ワールドカップの熱狂は喪失感となり、2006年のドイツワールドカップの前に監督と衝突し、代表から外され、居場所も狭めた。自らを奮い立たせるきっかけを探していたのだろう。筆者が世界をまわって目にしてきたサッカーの風景を話すと、彼はその話に貪りつくように興味を示した。彼にとってはサッカーを続けていく燃料になるなら、木くずや紙くずであっても良かったのだろう。火の玉のようだった男は、全身を覆っていた猛火がだいぶ衰えていたことを肌で感じていたが、それでも彼は燃えたがっていた。リーグのカテゴリーを二つも下げ、松本でプレーするようになったラストシーズン、彼は利き足である右足をほとんど使えていなかった。右膝はケガの影響によりぼろぼろで、左足だけでどうにかピッチに立っていた。自分を追い込んできた男が、もはや追い込むことができなかった。「俺にはサッカーしかない、と思って生きてきた。でも、最近は自信を失いそうになる。そんな自分をしょっちゅう殴っている感じだね」松田は燃料が尽きてしまった後、己の肉体そのものを燃やしていたのだろう。その姿は切実すぎた。

【松田の人生観】

 「格好いいか、だせぇか」

 松田はいつだって、そのどちらかで生きていた。最後まで生き方を貫いたことには、男として少なからず嫉妬を覚える。彼は思ったことをそのまま口にできたし、すぐに行動することもできた。その純粋さも、眩しいほどだった。感情量の多い男は歯に衣着せぬ言動をしたが、不思議と周りに恨まれてはいない。そこに打算がないから、憎まれないのだ。なにより、情感が豊かな男だった。冒頭のマリノスでのラストマッチ、彼は私が声をかけなかったことを感謝していたという。そういう記述が、遺品として残されたノートに記してあったと後で聞かされた。大勢の関係者が詰めかけた状況で、彼の心は澄んでいたということか。

 松田は早く逝き過ぎた。あそこまで自分を追い込み、周りには優しく振る舞える男が指揮するチームを、指導する選手を、心底見てみたかった。松本の選手たちも、彼の影響を強く受けていた。本人も気づいていなかったが、松田には指導者としての素養があったのである。

 「俺にはサッカーしかないんだよねー」

 彼ははにかむように言った。明るい陽光を受けた顔は、目映いほど光り輝いてた。

2015年8月4日 小宮良之氏 より

 

 

<なぜ松田直樹は愛されたのか?Jリーグ史上最高DFの肖像>

【自分をさらけ出し続けた異才】

 2011年8月4日、松田直樹(当時34才)は所属する松本山雅での練習中に心筋梗塞で倒れ、一時は心臓の鼓動が戻ったものの、帰らぬ人となっている。

 2002年日韓ワールドカップ、松田はセンターバックとして日本代表のベスト16進出に大きく貢献した。長年プレーした横浜F・マリノスではJリーグ連覇など数々のタイトルを手にし、J史上最高のディフェンダーの一人と言えるだろう。そのプレーは守備者という枠に収まりきらず、豪快で勇敢。歯に衣着せぬ言動も含め、ピッチでの荒々しい存在感は他の追随を許さなかった。

 今年で七回忌になる。時の流れは、はやいものだ。しかし、松田を取材していたときの記憶は色あせない。

 理由があって、地下鉄を使って二人で移動したことがあった。松田は「面倒で自分でカットした」というぼさぼさの髪に、白いTシャツに短パンという出で立ちだったが、車両の中で異様なほど目立っていた。立ち姿だけで圧倒する一方で、周囲を気にせずあけすけに笑って、近寄りがたい雰囲気を出すわけではない。オーラと言われるが、それは意識的に出すものではなく、無意識に放たれるものだと思い知った。「甘いものは基本的に好きで、中でもアイスはマジ好き。放っておいたらずっと食い続けられる。だから、アイスを我慢して体を追い込むときは、もうマゾの気分になるしかなかった」

 日韓W杯で日本代表として全てを出し切った戦いを、松田はそう言って笑顔で振り返っていた。表現がどこか憎めない。自分を少しも飾らない選手だった。それが松田が人々に愛された理由だろう。しかし、すべてをさらけ出せる人間なんていない。

 「弱いからこそ、強くなれた」

 「俺は気持ちが弱いんすよ」本当の松田は、繊細さを大胆さで隠しているようなところがあった。「Jリーグに入った頃、生意気なことを言っていたけど、内心はびびっていた。ラモン・ディアスやビスコンティという世界的な選手、他にも日本代表選手ばっかりで、パス一つでもミスったらどうしよう、とびくびくしていた。そんな気持ちを隠すために、大口を叩いた。適当にやるなんてもんは、俺にあり得なかったし、いつも腹を括って。自分にとってサッカーはすべてだったし、常に真剣勝負だったからね」松田は己の弱さと向き合えた。その弱さこそ、彼の強さだったのかも知れない。それは多くの人が抱えている矛盾で、だからこそ共感されたのではないだろうか。一度取材で、横浜にある地鶏専門料理店に出かけたときだった。“勢い良く食べるのに品があるな”と感心していると、彼は思い出すように昔話をした。「高校のときは母親に頼んで、親子丼を作ってもらったんすよ。トッピングにニンニクを混ぜて、体力作り。『鶏肉のささみは低脂肪高タンパクだからいい』って話を聞いてさ」そう明かす松田は、母への感謝を忘れていなかった。口は悪かったが、その裏返しで自分を身近に支えてくれた家族を大事にしていた。それはスポットライトを浴びると、忘れてしまいそうになることだ。「子供たちのために、少しでも長く現役を続けたい。サッカー選手は自分が戦っている姿を見せられる最高の職業。親父として尊敬される存在でありたいと思う」

 晩年の松田は、父親としてしゃかりきに戦っていた。そこに生きる意味を見いだしていたところがあった。痛む膝を叱咤しながら、サッカーの熱が湧き上がるアルウィンスタジアム(松本の本拠地)の力を借りようとした。「俺の親父はあんまり喋らなかったけど、いつも自分たちを見守ってくれていた。そんな男になりたかった。背中で語る、みたいなね」そう語る松田は、長女が書いた「パパがサッカーを頑張る姿が見たい」という手紙を大事にしていた。彼が返事を書いたのか、それは聞いていない。しかし、ボールを蹴る生き様で返せたのではないか。

 松田は感受性が敏感で、飛び抜けて感情量が豊富な選手だった。そうやって戦う姿が、人々の心をとらえて放さなかったのだろう。しかし真実の彼は一人の息子で、一人の父親で、一人の男で、近い世界をとても慈しみ、大事に思っていた。家族がいるからサッカーに打ち込み、すべての情熱を燃やすことができたのだった。

 「俺にはサッカーしかない」

 そううそぶくのが、松田直樹という男だった――。

 お墓は綺麗に整えられていた。掃除する必要もないほどだった。命日が近く、ファンの人が訪れたのだろうか、数日前に生けられた花がまだ咲き誇っていた。ライターで線香に火をつけ、線香台に寝かせておく。盛大に煙が舞い上がった。松田に歓待されたような気がしたが、それはきっと錯覚なのだろう。

2017年8月4日 小宮良之氏 より

 

 

 今回は、中田英寿と高校時代からの盟友でもあり、私が大好きな選手の「松田直樹」を載せさせてもらいました。34歳という若さで突然この世を去られた時の報道は、あまりにショッキングな出来事で今もその日の事ははっきりと覚えています。前回の中田英寿とは対照的な松田直樹。冷静<情熱、知的<行動、堅実<奔放、親分<兄貴分、控え目<目立ちたがり屋…そんなふたりに共通していたのは、どちらも物凄い負けず嫌いなこと、どこまでもプロ意識が高かったことだと思います。だからこそ、それぞれがどんな道を歩み続けようともいつまでも互いに信頼し合えたのでしょう。ふたりの仲の良さや、松田直樹の一途なまでにサッカーに真剣な様子、日本代表の選手がこんなにも無邪気にはしゃぐのかという姿などがコチラによく映し出されていますので、このGW(外出(G)自粛週間(W))中に、よければゆっくり見てみてください。中学生、高校生は日本でこんなにサッカーが盛り上がったなんて、知るよしもありませんね。今年の8月4日は、どんな日になるのでしょうか。 

松田直樹の映像

   DVD 「六月の勝利の歌を忘れない」Vol.Ⅰ&Ⅱ 監督 岩井俊二 2002年11月 

   内容:日本代表、真実の30日間ドキュメント映像。2002年6月、日本中を熱狂させた日韓W杯。開催国の代表チームとして

      W杯史上初めての共同開催を戦い抜いた日本代表チームに帯同し、その戦いの一部始終を内部から記録し続けた。

      普段は見ることのできない代表チームの合宿模様やミーティング、試合中のロッカールーム、宿舎での選手の様子な

      ど舞台裏に焦点を当てた長編ドキュメンタリー。編集を手掛けるのは、日本映画界の巨匠で熱狂的サッカーファンで

      も知られる岩井俊二監督。

松田直樹の経歴

   1995 横浜マリノス  33試合出場 1得点

   1996 横浜マリノス  16試合出場 0得点

   1997 横浜マリノス  31試合出場 2得点

   1998 横浜マリノス  12試合出場 0得点

   1999 横浜Fマリノス 27試合出場 0得点

   2000 横浜Fマリノス 24試合出場 2得点

   2001 横浜Fマリノス 29試合出場 0得点

   2002 横浜Fマリノス 25試合出場 2得点

   2003 横浜Fマリノス 20試合出場 0得点

   2004 横浜Fマリノス 24試合出場 1得点

   2005 横浜Fマリノス 27試合出場 1得点

   2006 横浜Fマリノス 29試合出場 4得点

   2007 横浜Fマリノス   8試合出場 1得点

   2008 横浜Fマリノス 30試合出場 1得点

   2009 横浜Fマリノス 31試合出場 1得点

   2010 横浜Fマリノス 19試合出場 1得点

   2011 松本山雅FC     15試合出場 1得点

国際Aマッチ

   通算 40試合出場 1得点  A代表デビュー戦 2000年2月5日 カールスバーグカップ vsメキシコ戦(香港)

 

 

 

 

サッカー部 MUSANISTA #72 『異端児と呼ばれた男』

 

 

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<中田英寿が日本歴代最高の選手と言われる8つの理由>

 1993年5月15日、Jリーグが始まって以降、日本サッカー史上最高のプレーヤーであろうと言われる中田英寿。なぜ歴代最高なのだろうか。

 1990年代後半、彗星の如く日本サッカー界に登場した中田英寿。国際大会に縁が無かった当時の日本代表を国際舞台に引っ張り上げ、更にヨーロッパでの活躍で日本人プレーヤーの評価を大きく高めたパイオニアと言える彼。まさに、日本サッカーの夜明けに大きく貢献した一人と言えるのではないだろうか。

 当時、技術に勝る古典的なゲームメーカーが多い日本人の中でフィジカルと瞬間的な状況判断力に優れたモダンタイプの司令塔として君臨。そんな中田が世界中で「日本人サッカー選手と言えばNAKATA」という突出した存在感を放っていたのは紛れもない事実。中田英寿が、なぜ日本人史上最高の評価を得るに至ったのか。

その1 Jリーグ(当時全12チーム)11チームからオファーが来るほどの潜在能力

 小学校3年生の時に兄の影響でサッカーを始める。しだいに頭角を現し、ユース世代の日本代表に名を連ねる存在になる。高校は、山梨県でも有名な進学校である県立韮崎高校に進学。その韮崎を全国大会に導く活躍。そんな逸材はJリーグ全12チーム中、ヴェルディ川崎を除くすべてのチームからオファーが来る。その中で中田が選んだのは、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)。海外志向のあった中田に海外への留学を約束してくれたのが決め手。

その2 「マイアミの奇跡」「ジョホールバルの歓喜」の立役者

 中田英寿と言えば、忘れられないのがマイアミでのブラジル撃破と、ジョホールバルでのW杯出場決定戦。前者は、1996年、28年振りに出場したアトランタ五輪一次リーグの第1戦。城・前園・中田という攻撃陣が注目を集めていたものの、相手がブラジルとあって試合は防戦一方。被シュート数28本というブラジルの猛攻を川口能活がファインセーブ連発。後半27分に相手守備の連係ミスを誘い伊東が決勝弾。この試合の中心に立っていたのが史上最年少の19歳で五輪代表入りを果たした背番号14の中田。

 そして後者は、1997年11月16日マレーシアのジョホールバルで行われた日本が世界への扉をこじ開けた歴史的一戦。当時のW杯アジア予選は3.5枠の狭き門(現行は4.5枠)。最終予選はこじれにこじれ、監督も予選途中に代わるほど(この時初めて岡田武史氏が監督になる)。遂に日本はアジア第3代表決定戦へという崖っぷちに立たされる。中田はこの試合で司令塔として先発出場を果たし、強豪イラン相手に勝負を決める全3得点へのアシスト。周りはこれまで日本を牽引してきた三浦知良、井原正巳、中山雅史、北澤豪など錚々たるメンバーの中で司令塔の中田は、この時まだ20歳。

その3 当時、世界最高峰のセリエAで主力として活躍

 1998年フランスW杯。日本代表はグループリーグで敗退となるが中田は大車輪の活躍。結果、海外のクラブから12ものオファーが舞い込む。サッカー後進国と言われた日本から先進国であるヨーロッパでプレーする選手が出ることになる。中田が選んだのが、イタリアの地方クラブだったペルージャ。やはり“試合に出られる環境”が決断に影響。ビッグクラブからもオファーがあったが、中田らしい現実的な選択。しかも、そのセリエA開幕戦でいきなり2ゴールという快挙を成す。

 1990年代のセリエAは言わずと知れた世界最高峰リーグ。しかも、開幕戦の相手はリーグ3連覇を狙う絶対王者のユベントス。当時のユベントスは、ジダン(フランス代表)デシャン(フランス代表)アンリ(フランス代表)デルピエロ(イタリア代表)インザーギ(イタリア代表)ダービッツ(オランダ代表)など、今で言うところのレアルマドリードやパリサンジェルマンのようなチーム(そう言えば、当時ユベントス監督だったカルロス・アンチェロッティは、レアルもPSGも監督してた様な)。中田の活躍は、開幕戦にとどまらずその後も快進撃を続け、年間10ゴールを挙げる。(ちなみに本田圭佑のオランダ1年目は2ゴール、香川のドイツ1年目は12ゴール)

 中田は、ペルージャに欠かせない不動の中心選手として確固たる地位を築くことに成功。日本人が初めてサッカー先進国で認められた。日本向けのマーケティング目的という側面もあったであろう中田英寿の獲得。そんなセリエBから昇格したばかりのペルージャがセリエAにおける台風の目となる。

その4 日本人初のセリエA優勝メンバー

 “ペルージャの王様”となった中田英寿に強豪チームからのオファーが届くのは至極当然のこと。1999‐2000シーズンには、セリエAどころか世界屈指のビッグクラブであるASローマに移籍金にして24億円で移籍。移籍翌年の終盤、優勝争いのライバルであったユベントス相手に1ゴールを含む鬼神のごとき大活躍を見せる。優勝から脱落寸前だったASローマが中田のこの試合での活躍で息を吹き返し、そのあとチーム18年振り2度目の優勝という大逆転劇を演出。日本人が世界最高峰リーグの優勝メンバーになる。世界最高の選手が集まったセリエAにおいて、中田もそのクオリティにあることを図らずも世界中に知らしめる。

その5 バロンドール候補に3度も選出

 バロンドールとは、ヨーロッパ年間最優秀選手賞。その名の通り、その年ヨーロッパで最も活躍した選手に贈られる。当然、ヨーロッパでプレーする選手すべてが対象になるがそもそもノミネートされること自体困難。ヨーロッパには多くのクラブチームがあり、そこで大勢の選手がプレーしている。ノミネートすらハードルが高いバロンドールに中田は、1998年・1999年・2001年の3度に亘ってノミネートされる。3度も選出されるというのは、世界中のサッカー関係者が中田を「明らかにワールドクラスの選手」と認めていることに他ならない。因みにここ5年間のバロンドール受賞者は、2015年メッシ/2016年Cロナウド/2017年Cロナウド/2018年モドリッチ/2019年メッシ。

その6 圧倒的なフィジカルとボディバランス

 ヨーロッパでの活躍を支えたのが、中田のフィジカル。中田のことを『モダンタイプの司令塔』と呼ぶ理由のひとつでもある。身体の大きい外国人選手に対し、全く当たり負けしないどころか、逆に相手を吹き飛ばすシーンをよく目にする。ハードコンタクトが当たり前となった現代サッカーにおいて、これは非常に大きな武器。少年時代からフィジカルが強かったようで、素地として既に持っていた様子。更に重要なのが、そのコンタクトで崩れないバランス感覚。中田を見ていると、体幹の異様な強さを感じずにはいられない。これらは当時の日本人選手にとって、明らかに足りなかった要素。技術だけでなく、肉体も日本のレベルを超越していたということだろう。

その7 針の穴に糸を通すような超絶キラーパス

 中田英寿の代名詞。高い技術に裏打ちされたそのパステクニックは、単なるセンスという言葉だけでは説明のつかないレベル。その狙った場所にズバッと描く鋭い放物線は、少年時代からプロ入りへの過程で培ったもの。当時の中田は、技術的に突出した存在ではなく、どちらかというとフィジカルと気迫の選手。それだけに、ボールの蹴り方や飛ばし方に特化したトレーニングを自分で考案し、実践していたというのは、知る人ぞ知るエピソード。W杯やヨーロッパで見せていたキラーパスの数々は、そんなたゆまぬ努力によって醸成されたもの。先天的な才能だけで、世界の舞台に辿り着いたわけではない。

その8 名立たる名監督・名選手が中田を称賛

 中田英寿というプレーヤーを語る上で、避けて通れないのが同じ時代を生きたサッカー人たちの証言。ASローマがユベントスの優勝を阻止してリーグ優勝を果たした時、当時世界最高MFと言われファンタジスタの言葉を世に広めたジダンが「中田さえ居なければユベントスの優勝だったのに…」と発言したのはとても有名な話。同じくユベントスに在籍していたデルピエロも後日談で「中田は欠点の少ない選手だと思います。テクニックがあるし、 プレーのタイミングを理解する感覚もあるし、フィジカル的にも強い。 これがヨーロッパサッカーで成功できた大きな秘訣でしょう。」と称賛していた。2004年に行われたバルセロナと世界選抜のチャリティーマッチでは、世界一のコンダクターと評されるイニエスタが「中田はすばらしい攻撃センスとパスの持ち主」と絶賛。中田がペルージャ時代の監督だったカルロ・マッツォーネは、中田の能力を認め、彼の現役引退時には「サッカーがしたくなったらいつでも戻って来い。私の獲得リストには常に残しておく。」と最大級の賛辞を送った。しかも同氏は、自身の教え子ベストイレブンに中田を選び、「彼はクオリティと闘争心のあるミッドフィルダーだ。ポジションを後ろへずらした理由は、良い選手を主役にさせるには真ん中でやらせるべきだからだ」とまで語る。他にも多くのビッグネームたちから称賛されて来た中田。その能力の高さは、確実にワールドクラスだった。

 <世界と互角に戦った初の日本人選手>

 日本代表としてはもちろんのこと、一流のプレーヤーたちが集結するヨーロッパで活躍を続けた中田。今でこそ、ヨーロッパでプレーする日本人は何人もいる。しかし、チームの絶対的な中心軸となり、且つヨーロッパの4大リーグ(スペイン/ドイツ/プレミア/イタリア)での優勝経験まであるのは、中田ぐらいではないだろうか(香川真司もドイツとプレミアの両リーグで優勝経験を持つがチームの絶対的中心とは…)。客観的評価も含め、間違いなく『世界で通用した初の日本人選手であり、未だ超えられない存在』と言えるのではないだろうか。

 思えば2006年、あの衝撃的な引退も中田の持つカリスマ性を感じさせる眩いエピソード。まさに歴代最高、いや歴代最強とも言えるプレーヤー、それが中田英寿。偉大な日本人として世界中の人々の脳裏に焼き付けられたそのプレーの数々は、決して色褪せることなく語り継がれて行くことになるだろう。

 

 今回は、『将軍 HIDETOSHI NAKATA』について載せさせてもらいました。私が尊敬する選手の一人です。20年以上経った今でもはっきりと覚えていますが、マイアミの奇跡の瞬間、TV画面に映る背番号14に釘付けになり、試合終了まで見ていたら、いつの間にか練習時間を過ぎていてその日の練習に遅刻…。ジョホールバルの歓喜では、夜22時にキックオフだったにもかかわらず、TVの前で何度「岡野~‼」と大声を挙げたことか…。高校時代には、そんな中田のプレーや仕草を何度も繰り返し見ては、よく真似をしていたように思い出します。ひと際目立つ直立姿勢、ドリブルの最中も腰をぐっと落として背筋を伸ばす容姿、とにかく試合中に首をよく振る(首が止まってる時がない程に)、臀部から大きく脚を蹴り上げる独特な蹴り方、押されてもぶつかられても引っ張られても引っ掛けられても決して倒れない絶妙なボディバランスと屈強な肉体、世界基準のキラーパス、どんなに激しい試合でも中田だけは必ずユニフォームの裾を出さずソックスもしっかりと上げる。そんな中田英寿は、決してスピードやテクニックなど突出した武器を持っていたわけではありません。ドリブルなら香川真司の方が優れているでしょう。パスなら小野伸二の方が正確でしょう。キープ力なら大迫勇也の方が勝るでしょう。献身性なら原口元気の方が持っているでしょう。体力なら長友佑都の方があるでしょう。実際、日本代表としては77試合に出場して11ゴールしか挙げられていません。世界の中でもトップクラスの中田にしては物足りない数字です。では、中田英寿は何が凄かったのでしょうか?彼が持っていた最も強力にして彼にしかない唯一の武器、それは確固たる『信念』のようなものだったのではと、私は思っています。彼は、それをプレースタイルやピッチ内外での言動、あるいはファッション趣向などで体現していたのだろうと思います。U17W杯、U20W杯、U23五輪、コンフェデ杯、W杯にと、代表チーム主要国際大会すべてでゴールを挙げた唯一の日本人選手が中田英寿であり、A代表ではわずか11ゴールしか挙げていないものの、中田が決めた試合は11試合すべてが負けなしという記録も残しています。また、今でこそ当たり前のように多くのサッカー選手がSNSを使って自分の意見や考えを発信していますが、当時誰よりも早くサッカー選手で自身のHPを立ち上げたのは中田だったと記憶しています。中田英寿は、サッカー選手としてだけではなく、ひとりの人としてどう生きていくのかという面でも、常に人より先を見ていた先駆者、だったのかもしれません。最後に、彼の凄さの一部をYouTube動画でお楽しみください。

 

 【プレー集】https://www.youtube.com/watch?v=qZaIv5bYhFo

 【倒れない】https://www.youtube.com/watch?v=SiM1XkkbTVY

 

<中田英寿の経歴>

  1995     ベルマーレ平塚 26試合出場  8得点(日本)

  1996     ベルマーレ平塚 26試合出場  2得点(日本) 

  1997     ベルマーレ平塚 21試合出場  3得点(日本)

  1998     ベルマーレ平塚 12試合出場  3得点(日本)

  1998-1999 ペルージャ   33試合出場 10得点(イタリア)

  1999-2000 ペルージャ   15試合出場  2得点(イタリア)

  1999-2000 ASローマ     15試合出場  3得点(イタリア)

  2000-2001 ASローマ     15試合出場  2得点(イタリア)

  2001-2002 パルマ     24試合出場  1得点(イタリア)

  2002-2003 パルマ     31試合出場  4得点(イタリア)

  2003-2004 パルマ     12試合出場  0得点(イタリア)

  2003-2004 ボローニャ   17試合出場  2得点(イタリア)

  2004-2005 フィオレンティーナ     20試合出場  0得点(イタリア)

  2005-2006  ボルトン      21試合出場  1得点(プレミア)

<国際Aマッチ>

  通算77試合 11得点 A代表デビュー戦 1997年5月21日 W杯日韓共催記念試合 vs韓国戦(国立競技場)

 

サッカー部 MUSANISTA #71 『日本サッカーの父』

 

 

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<デットマール・クラマーが日本サッカーに残したものとは>

 日本サッカーの近代化に大きな役割を果たし「日本サッカーの父」とも称されるクラマー氏が永遠の眠りについた。 2015年9月17日に逝去した故デットマール・クラマー氏は、日本の1968年メキシコ五輪銅メダル獲得の礎を築いただけでなく、その後長きに渡って日本サッカーの歩みに多大な影響をもたらした。 
 

 日本代表選手たちが改めてデットマール・クラマーの偉大さを思い知ったのは、1966年イングランドW杯決勝で観客席から西ドイツ代表のベンチに座る姿を目にした時だった。 まだ日本では、W杯という舞台を知るファンも稀で、映像が紹介されたこともなかった。代表チームはアマチュア限定の五輪を目標に強化を進め、そのために初めてW杯を見学した。一方で見果てぬ夢の世界で西ドイツの希望の星としてプレーをしたフランツ・ベッケンバウアーは、同国ユース代表時代からクラマーから指導を受けて来た選手だった。 
 クラマーと日本サッカーの遭遇は、時代的背景に後押しされた奇跡だ。1960年、どん底状態から地元開催の五輪へ打開策を思いあぐねた日本サッカー協会の野津謙会長は、西ドイツ連盟に指導者派遣を請う手紙を認めた。それに対しドイツ側は、6年後にはヘルムート・シェーン監督の補佐役として代表ベンチに座る若い逸材を紹介してきた。 今なら現ドイツ代表監督のヨアヒム・レーブをコーチ時代に送り込んだようなものである。実際にクラマーは、帰国後バイエルンミュンヘンを指揮して欧州制覇を成し遂げるのだが、同時にバロンドールを二度受賞するカールハインツ・ルンメニゲらを育てて世に出している。 
 確固たる哲学を持ち育成のヴィジョンにも長けた最先端の指導者が、日本の文化に興味を抱き、その可能性に着眼してくれた。それはおそらく日本サッカー協会が描いた理想のシナリオを軽く凌駕する行幸だった。 
  ただし世界のトップに君臨する西ドイツからやって来たのは、アジアの弱小国である。両国間には数えきれないほどのギャップがあった。指導現場には頑迷なプライドが蔓延り、代表強化の合間を縫ってクリニックのために全国を行脚したクラマーに食ってかかる堅物が少なくなかった。弱音を吐かないクラマーが、同行する岡野俊一郎(当時コーチ兼通訳)だけには洩らした。 「オレたちは孤独だなあ…」。 
 それでもクラマーは、日本の習慣に倣い、出来る限り選手たちの心に寄り添って粘り強く指導を続けた。来日すると早速自分用に予約してあったホテルをキャンセルし、選手と寝食をともにした。畳の上で味噌汁をすすり、沢庵をかじった。 
 岡野俊一郎は、当時の日本サッカー界を「指導術は存在しても、指導論はなかった」と振り返る。つまりいかにチームを勝たせるかという我流の方法論はあっても、クラマーのようにどうしたら上手くなるのか、実践と理論を携えて適切に導ける人材は見当たらなかった。 
 クラマーは大半が20歳を越えた代表選手たちに基礎から教え込んだ。インサイド、インステップ、ヘディングから、「パスをしたら動く」「受ける前に見る」「ショートパス2本の次は逆サイドを見る」など…、それらは俊敏で知的な日本選手たちの特性を活かすためには不可欠な、永遠の真理だった。 ただしクラマーは、後に日本のメディアが足並みを揃えた「徹底して基礎を叩き込んだ」という記述には不服を示していた。「私が教えたのは基礎だけではない。それは大きな間違いだ」 。もちろんクラマーが基礎編しか持ち合わせない指導者でなかったことは、後の功績からも明白だ。簡単に言えば、クラマーが来るまで日本にはリフティングという概念もなかったのだ。基礎工事に時間を費やすのは必然で、五輪本番が近づけば対戦相手のスカウティングから戦力を最大限に活かすための方法まで、しっかりと応用編のページもめくっている。 
 またクラマーが伝えたのは、ピッチ上の技術や戦術に止まらなかった。身分はアマチュアでも、プロフェッショナルとしての振舞いを厳しく要求し、反面心憎い気配りも見せた。ある時、日本代表が不本意なパフォーマンスを見せると、ドアを閉め容赦なく告げた。 「今後一切このチームで片山(洋)の姿を見ることはない!」 ところがしばらくすると、調子を取り戻した片山を再び代表に招集する。そして肩を抱えて二コリと笑ってみせるのだ。 「本当の友だちというものは、いつだって見守っているものだ」。足を故障した鈴木良三が休んでいると、自らバンテージを巻きながら話した。「ホラ、こうすれば、もう片方の足は鍛えられるじゃないか」。 
 厳父は寛容さを併せ持ち、だからこそ選手たちも「クラさんのために」と最後の一滴まで汗を流した。1968年メキシコ五輪の3位決定戦を終え、精根尽き果てて眠りにつく選手たちを見て、クラマー自身も欧州制覇を凌駕する感動を覚えるのだ。 

 クラマーの功績を書き連ねれば枚挙に暇がない。だが実は常にその根幹を成したのは、すべては選手のために、つまりプレイヤーズ・ファーストの精神だったのではないかと思う。選手たちの個性を見極め、彼らを伸ばすために究極の努力を惜しまない。その情熱は、杉山隆一や釜本邦茂、あるいはベッケンバウアーやルンメニゲにも等しく傾けられ、検見川で開催されたアジアで初めてのコーチングスクールの際は、救急車で運ばれても寝る間を惜しんで尽力した。 

 クラマー氏が亡くなった翌日の9月18日、Jリーグは9月19日及び20日に開催される全公式戦で黙祷を行った。 

 

2015年9月21日 SoccerDigestWeb より

 

【クラマー氏が残した7つの凄い事】 
  1.日本サッカーでは、初の外国人指導者 
  2.日本に初めてリフティングの概念を伝えた 
  3.日本で初めて指揮した東京五輪(1964)でベスト8、翌メキシコ五輪ではアドバイザーとして3位に貢献 
    1964:強豪のアルゼンチン代表を破って8強入り(アドバイザーという立場で) 
    1968:FIFA公認コーチという立場にあり表立った協力はできなかったが日本の強化にも尽力

       クラマーの指導を受けた選手・コーチを中心に構成された代表チームは銅メダルを獲得

       この試合をベンチすぐ上のスタンドで観戦しながらコーチの岡野にアドバイスをしていた 
    ※それまでの日本代表の成績(戦後のみ)⇒ 
    W杯・・・1954初予選参加、1998フランスW杯初出場まですべて予選敗退 
    五輪・・・1956初戦敗退、1960予選敗退、1964ベスト8、1968銅メダル、その後1996まで6大会連続予選敗退 
  4.監督として欧州を制覇するが日本への愛情は失わなかった 
    1975年から1976年、バイエルンミュンヘンを率いてUEFAチャンピオンズカップで優勝。その際、人生最高の瞬間ではな

    いかと問われたものの、「最高の瞬間は、日本がメキシコ五輪で銅メダルを獲得したときです。私は、あれほど死力を尽

    くして戦った選手たちを見たことがない」と答えた。 
  5.東京五輪終了後、任期を終えて日本を立ち去る際に5つの提言を残した 
   (1)国際試合の経験を数多く積むこと 
   (2)高校から日本代表チームまで、それぞれ2名のコーチを置くこと 
   (3)コーチ制度を導入すること 
   (4)リーグ戦を開催すること 
   (5)芝生のグラウンドを数多く作ること 
    この提唱により1965年に日本サッカーリーグ(JSL)が創設、当時競技力の高かった大学の有望選手たちが続々と「日本

    サッカーリーグ参加チーム」に入団することになる。この創設が1968年メキシコ五輪銅メダルの栄光に繋がる。 
  6.育てた選手や指導者が錚々たるメンバー 
    フランツ・ベッケンバウアー/カールハインツ・ルンメニゲ /釜本邦茂 
  7.死の直前まで指導者として現場に立った 

【クラマー氏が残した言葉の数々】 
  ・タイムアップの笛は、次の試合へのキックオフの笛である
  ・サッカーの上達に近道はない。不断の努力だけである
  ・ボールをもっと可愛がれ。ボールを嫌えばボールも君を嫌う。ボールになじみボールから自由になれ 
  ・背を向けて去るな。みんな必要な人間なのだ 
  ・試合で勝った者には友達が集まってくる。新しい友達もできる。本当に友人が必要なのは、敗れた時であり敗れた方であ

   る。私は、敗れた者を訪れよう 
  ・コックが多すぎると、スープがまずくなる 
  ・ドイツ人にゲルマン魂があるように、君たちにも大和魂がある 
  ・よい準備がなければ、よい試合はできない 
  ・サッカーは人生の鏡である。そこには人生のあらゆるものが映る 
  ・眼、それ自体は見ることが出来ない。耳、それ自体は聞くことが出来ない。物を見るのは精神であり、音を聞くのは精神で

   ある

 

今回は、前回の「KING」に続いて「父」を紹介しました。

 

サッカー部 MUSANISTA #70 『KING KAZU』

 

 

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<知らない世代に伝えたい。”絶頂期のカズ”は半端ないを通り越して神がかっていた>

 「Jリーグ開幕当初にバリバリ活躍していた頃のカズ(三浦知良)は知ってる?」若手編集部員の反応はいまひとつ。返ってきた答えは「活躍したのは知っていますが、具体的にどの試合でと言われると、すぐに出てきませんね」というものだった。知らないのか、もったいない。これが率直な感想だった。

 

 絶頂期のカズをリアルタイムで見てきた自分にとっては、彼こそ真のスーパースターだ。とにかくイメージとしては、大事な局面で必ずと言っていいほど決定的な仕事をする。その決定力たるや、半端ないを通り越して神がかっていた。

 例えば、1993年シーズンのJリーグ・チャンピオンシップ第1戦では鹿島アントラーズを相手に先制ゴール、日本代表戦では92年のアジアカップ・イラン戦(グループリーグ最終戦)で決勝弾を叩き込んでいるのだ。

 勝たなければ準決勝に進めないそのイラン戦、終了間際に井原正巳のスルーパスから右足でゴールに叩き込んだカズは、まさに救世主だった。試合後の「魂込めました、足に」というフレーズに心を揺さぶられたサッカーファンも多いだろう。ただ、イラン戦のゴール以上に記憶に刻まれているのが、1993年4月8日に行われたアメリカW杯アジア1次予選の初戦、タイ戦での先制点だ。福田正博がペナルティエリア付近に出したパスに反応したカズは、目の前でバウンドして落下するボールを細かいステップで合わせて左足で蹴り込んだのだ。福田曰く「W杯予選の初戦でガチガチに緊張していた」日本代表にとって、文字通り値千金の決勝弾になるゴールはその後の戦いに勢いをもたらす意味でも印象深かった。

 93年アメリカW杯のアジア最終予選・韓国戦で決めたゴールからも感じ取れるように、どういうわけかカズのところにボールが転がってくる。いや、絶妙なポジションを取っているからこそ、そういうシチュエーションが生まれるのだろう。もちろん、シュートの上手さも見逃せない。蹴るコースが抜群に上手いのだ。振り返れば、感動的だった復興チャリティーマッチ(2011年3月29日の日本代表対Jリーグ選抜)のゴールも、繊細なボールタッチ、正確なキックから生まれている。

 ここでゴールが欲しい。エースとしての重圧を負いながらも、そのタイミングで大仕事をやってのけてしまうカズは、オフトジャパン以降、日本代表で最高のゴールゲッターだと確信している。

 とにかく、勝負強くて、格好いい。魅惑のドレッドヘア、当時は画期的だった”またぎフェイント”、そしてカズダンスも含めて絵になる男だ。たとえ、いつか、引退する日が来ても、カズは永遠のスーパースターだ。

4月27日 SoccerDigestWeb より

 

 今回は、三浦知良選手について載せさせてもらいました。高校生の多くは”カズ”の全盛期を知らないかもしれません。日本プロサッカーリーグのJリーグ発足から27年が経ちますから。そうした時代の中で、三浦選手はJリーグ開幕よりも前からサッカーの王国ブラジルでプロ選手として活躍していました。Jリーグ発足の翌年には期限付きレンタル移籍でアジア人として初のイタリアリーグ(セリエA)のジェノアでプレーします。今でこそ多くの日本人サッカー選手が海外で活躍していますが、三浦選手はそのパイオニアでした。53歳を迎えた今でもなお、現役選手としてバリバリ活躍されている”カズ”は、サッカー少年だけでなく、多くのプロ選手からも尊敬されています。サッカーを知っている人から知らない人まで慕われています。”カズ”には、人を魅了する力、応援したくなるものがあるのだと私は思います。彼は、あるインタビューで「自分の成果は、積み重ねの結果であり決して”持っている”とは思っていない」と答えていたことがあります。華やかな面ばかりが見られがちですが、かなりの苦労と努力と試練を乗り越えてきた人です。ブラジルへ渡り2年が経った頃、あの三浦選手でもプロになるのを諦めて帰国しようと考えたことがあったそうです(今のカズからはそんな姿が想像できませんが…)。その時に夢を諦めず思いとどまったことが今に繋がっています。

【三浦選手の経歴】

1986 サントス(ブラジル)

1987 マツバラ(ブラジル) → CRB(ブラジル)

1988 キンデゼジャウー(ブラジル)

1989 コリチーバ(ブラジル)

1990 サントス → 読売クラブ

1992 ヴェルディ川崎

1994 ジェノア(イタリア)

1995 ヴェルディ川崎

1998 ザグレブ(クロアチア)

1999 京都パープルサンガ

2001 ヴィッセル神戸

2005 横浜FC → シドニーFC(オーストラリア)

2006 横浜FC

 

【カズの何が凄いか】

    その1 平成30年間をプロとして活躍し続けた唯一の日本人選手

    その2 世界最年長得点記録(50歳14日)と最年長出場記録(52歳8ヵ月29日) 

    その3 30年以上のプロ人生において無得点シーズンは、これまでわずか4シーズンのみ(2011/2014/2018/2019)

    その4 フットサルとサッカーの両方でプロ兼任(フットサルでは日本代表としてW杯出場)

    その5 『#11』へのこだわり(練習中のゼッケン、車のナンバーも) 

    その6 練習場へは1番早く来て、1番最後に帰る(練習前のストレッチやw-up、練習後の自主練習や身体のケア等)

    その7 13年ぶりにJ1の舞台に帰ってくる

 

サッカー部 MUSANISTA #69 『人間と類人猿との違い』

 

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<疫病と人間> ~ 新たな連帯が要る 共感力を失わない ~

 感染の拡大が危惧され始めた時、私の頭に浮かんだのはカミュの「ペスト」でも小松左京の「復活の日」でもなく、『猿の惑星』というSF映画だった。1968年(昭和43年)に第1作が公開されて人気を博し、その後続編が次々に製作された。米国から打ち上げられた宇宙船が6カ月の飛行を経て地球へ帰還する。その時、地球時間は700年後の2673年になっている。4人の宇宙飛行士が出くわしたのは、人間の言葉をしゃべって文明生活を送る類人猿(オラウータン、ゴリラ、チンパンジー)と、言葉を失って飼育されている人間たちだった。なぜそんなことになったのかは、いくつかの続編を経て明らかになる。感染症の新薬を開発するため実験用に飼われていたオスのチンパンジーがある時、変異を起こして人間の言葉をしゃべるようになる。彼は策略を巡らして同じような境遇にある類人猿たちを解放し、自治区を設ける。その後、人間の世界ではウイルスによる感染症が急速に広がり、人類は絶滅の危機に瀕する。わずかに生き残った人間たちは言葉がしゃべれなくなったり、この感染症に抵抗力を持っていた類人猿たちに支配されるようになったのである。

 実は、ウイルス感染症は野生動物に由来する。中でもコウモリが元の感染源だとする説が多く、SARS(2003年)はコウモリのウイルスがハクビシンを経て人へ、MERS(2012年)もコウモリからラクダを経て人へ、という感染経路が推測されている。今回の新型コロナウイルスも、コウモリやセンザンコウから見つかったウイルスに遺伝子配列が似ているという報告がある。武漢市では市場で野生動物の販売が行われ、ここを通してコウモリから、あるいはコウモリからセンザンコウを経由して人に感染したのではないか、という憶測も流れている。

 類人猿もこういった中間ホストになっている疑いがある。私が長らくゴリラの調査をしているコンゴ民主共和国やガボンでは、エボラ出血熱がたびたび勃発する。これも果実を食べるコウモリが感染源と言われ、ガボンではゴリラやチンパンジーが大量に死んだ。奇妙なことに川を挟んでこちら側には全くゴリラの痕跡がないのに反対側には群れがいくつも生存していた。おそらく、ゴリラが川を渡れないため、ウイルスが川を越えられなかったと考えられる。しかも、感染地域で唯一生き残ったのは、独り暮らしのオスだった。また、この地域ではチンパンジーも生息していて多くが死滅したが、ゴリラよりはわずかに生存率が高かった。

 この理由は、ゴリラとチンパンジーの集合性の違いにある。ゴリラはまとまりのいい集団をつくる。食べる時も休む時も全個体が一緒で、夜も近くにベッドを作って眠る。しかも、縄張りを構えていないので、いろいろな集団と出会う。地上の草をよく食べるので、他の個体が接触した草に触れることが多い。だから、エボラウイルスが感染するのも早く、あっという間に同じ地域に生息するゴリラに広がった。単独生活をするオスは、集団とも、他の独りゴリラともあまり接触しないので感染を免れたのだろう。一方、チンパンジーはまとまった集団をつくらず、単独か小集団で動く傾向がある。また、縄張りを構え、隣の集団とは行動範囲を分けている。このため、ウイルスの感染速度が遅く、生き残った個体が多かったのだろうと思われる。

 

 今回の新型コロナウイルスは、これらウイルス性感染症の拡大版である。過去の感染症と比べ、はるかに巧妙になっている。ウイルスは自身で増えることができないから、生物の細胞に寄生して自分のコピーを作らせ、細胞を破裂させて分散する。宿主をすぐに殺してしまっては分散できない。新型コロナウイルスは感染しても症状が出るまでの潜伏期間が長く、全く症状が出なかったり、症状が軽かったりする人が大勢いる。感染力は高く、咳やくしゃみでうつり、感染者が触れた物に健常者が触れた手で目や鼻をこすれば感染する。生存力も高く、プラスチックの表面では3日間も生き延びる。実にしたたかな性質を進化させているため、感染者が無自覚なうちに、人々の移動や集まりに乗じてあっという間に広がった。

 新型コロナウイルスは、現代の人間社会の盲点をついている。ゴリラやチンパンジーの場合は、彼らが移動できる範囲に感染が限られていた。だから、感染個体の死滅によって感染は止められ、社会や暮らし方が大きく変わることはなかった。しかし、現代の人間社会はグローバルな人や物の動きが加速して、爆発的な感染が起きやすい状況になっている。スポーツやコンサートなどのイベントが増え、多くの人々が密着する機会が増えた。都市だけではない。地域でお祭りや催事が盛大に行われて観光客を呼び寄せ、県境や国境を越える人々の動きが高まっている。商品も自分の手に渡るまでに多くの人を経ている。都会では外食が流行ってレストランやバーが林立。カラオケなどの密閉された空間で歌ったり踊ったりして楽しむ人が増えている。新型コロナウイルスはこうした人の営みを全否定しようとしているのだ。

 まだ特効薬が開発されていない現在、ウイルスの感染を防ぐには人と人との接触を避けるか、複数の人が触れるような共有物を排除するしかない。それは、人類が進化と文明の歴史を通じて育て上げてきた人のつながりを断ち切ることに等しい。人類は長い進化の過程を通じて、つながりを増やしてきた。脳が大きくなったのも共感力が高まったのも、音楽や言葉が生まれたのも、人の輪を広げるためである。家族や共同体が生まれたのも、農業革命、工業革命、情報革命を経て現代に至ったのも、もとはと言えば多くの人とつながることが幸福への道だと信じていたからである。

 人間の幸福にとって最も大事なのは、親しい人との団欒と好奇心を満たす出会いである。はるか昔から食事は人々をつなぎ、家族や共同体を支え、新しい出会いの潤滑剤になってきた。感染を防止するために孤食を奨励され、移動を制限される今日の事態は、まさに人間の根源的な欲求を押し潰す。最も懸念すべきは、この分断によって社会に共感力が失われることである。それは、人間と類人猿を分ける最も大きな違いであり、共感なき人間の社会はない。「猿の惑星」のように人間が言葉を失うことはないだろうが、感染を避けるためにコミュニケーションや人間同士の関係が変わる可能性がある。他者と分断されて、自分の利益だけを考えるようになってしまっては、この感染症が克服されても幸福な社会は築けない。人々の分断と国境閉鎖が続けば、どの国も他国、異民族、異文化に対して、これまで以上に不寛容になるだろう。そんな事態を招かないよう、多くの人と国境を越えて連絡を取り合い、地球規模の新たな連帯を模索すべきだろう。

 今、私たちに必要なのはグローバルな地球と国の動きと、私たち自身の身近な暮らしの双方で人間にとって大切なことは何かということをじっくり考えることである。コロナ後に、それが決定的な効果を生むだろうと思う。

 

毎日新聞 4月28日 京都大学長 山極 寿一氏 より

 

4月(エイプリル)も最後という事で、類人猿(エイプ)とコロナウイルスについての記事を載せてみました。

 

サッカー部 MUSANISTA #68 『インターハイを控えていた高校生たちへ』

 

 

『夜20時の拍手』にみんなで力を合わせませんか?

~ 新型コロナウイルス感染拡大防止の為に私たちを支えてくれている人たちへの感謝と励ましの気持ちを込めて~

 

 

  今、世界中が新型コロナウイルスの影響で大変な状況になっています。その中でインターハイ(高校総体)も中止になると聞きました。インターハイは僕も高校生(鹿児島城西)の時、1つの大きな目標だったので凄く残念です。インターハイを目標にして大学やプロサッカー選手を目指す人、ここを1つの区切りにして受験や自分のやりたいことに挑戦する人もいると思います。目標をこういう形で失うということは、凄くショックを受けているのではと思います。

 ただ、みんなが目標に向かって努力してきた事、チームで頑張ってきた事はこの先の人生で絶対にプラスになります。僕も高校生の時に努力したこと、その時の仲間は今でも力になっています。僕のいるドイツでも練習や試合が出来ない状況が続いていますが、この状況を前向きにみんなで乗り越えていきましょう。

 

現日本代表 ブレーメン所属 大迫勇也選手 より

【You Tube動画】 https://youtu.be/PooBZy57Mwc

 

<大迫勇也>

1990年生まれ、鹿児島県出身のプロサッカー選手。ポジションは、日本代表ではFW、海外に移籍以降はクラブではMFを務める。2008年の高校総体(埼玉大会)で得点王となり大会優秀選手に選出。第87回冬の全国高校選手権大会では過去最多の一大会10得点を記録し準優勝に大きく貢献。この年、鹿児島城西高校サッカー部史上初の鹿児島県大会3冠(新人戦・高校総体・選手権)も達成。2014年W杯ブラジル大会、2018年W杯ロシア大会の日本代表メンバー。

 

 

 

 

 インターハイをひとつの目標とし、大学やプロサッカー選手を目指している人や、ここを区切りに受験や新しいことにチャレンジする人もたくさんいると思います。その目標をこのような形で失ってしまい、やるせない気持ちでいっぱいだと思います。でも、みんなが目標に向かって努力してきたことや、仲間と共に切磋琢磨し、同じ目標を目指したことは絶対に無駄にはなりません。私自身も一緒に戦ってきた仲間がいなければ、あの厳しい練習は乗り越えられなかったと思うし、あの高校3年間があったから今の自分がいると自信を持って言えます。必ずこの先の人生でプラスになります。頑張ることを知っているみんななら、必ず乗り越えられると信じています。

 

現女子日本代表主将 リヨン所属 熊谷紗希選手 より

【You Tube動画】 https://youtu.be/jaZivSqyqWY

 

<熊谷紗希>

1990年生まれ、北海道出身の女子サッカー選手。ポジションは、DFを務める。兄の影響から小学生よりサッカーを始める。中学校卒業後、親元を離れ常盤木学園高校に入学。1年時よりレギュラーで試合に出場し、3年時には主将として全日本ユース3連覇を達成。サッカーのみならず勉学も優秀で高校には首席で入学、成績最上位者の特別クラスに在籍。2011年W杯ドイツ大会、2015年W杯カナダ大会、2019年W杯フランス大会、2012年ロンドンオリンピック、2016年ブラジルオリンピック予選の日本代表メンバー、2017年より高倉監督の元、なでしこジャパンの主将を務める。

 

サッカー部 MUSANISTA #67 『Respond flexibly to new phase 』

 

 

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欧米からの第2波で感染拡大か

 新型コロナウイルスのウイルス株の変異の状況から、日本で現在感染が拡大しているウイルスは欧米から流入した可能性が高いことが、国立感染症研究所の調査で分かりました。

 国立感染症研究所は世界各地で流行している新型コロナウイルスの遺伝子の変異を調べ、どのウイルスが広がっているかを調査しました。

 その結果、日本国内では、「ダイヤモンド・プリンセス」を起点とするウイルス株は検出されておらず、また中国・武漢からの第1波の感染クラスターも抑え込まれていたことが分かりました。

 一方、3月末から全国各地で確認されている第2波の「感染リンク不明」の症例はヨーロッパやアメリカからのウイルスで、旅行者や帰国者からもたらされ、数週間で全国各地での感染拡大につながった可能性が高いということです。

TBS NEWS 4月28日 記事 より

 

「こういう時にしか社会は変わらないんじゃないか」小池都知事、学校の“9月入学”に賛成

  学校の“9月入学”問題について宮城県ら17県知事が提言したことについて、東京都の小池知事は28日夜、「以前から“新学年9月スタート論者”の1人だ。4月スタートで桜と一緒じゃないと雰囲気が出ないとか、会計年度の問題があるとか言うが、いま教育は世界の中での競争でもあるので、国際スタンダードに合わせていくことにもなる。これによる混乱は生じると思うが、一方で、いま混乱は生じている。こういう時にしか社会って変わらないんじゃないかとも思うし、その一つとして、ありではないか」とコメントした。

 また、小池都知事は「明日の全国知事会でも、その件について皆さんのご意見が出されると思う」とし、「大きな流れ、新しい流れは、こういう時に出てくるのではないか。教育なので、全体を考えながらだが、知事会の中で議論されれば、賛成する立場だ」との示した。

4月28日 ANNニュース より

 

 日々、新型コロナウイルスに対する新たなニュース、考え、批判が飛び交っている。 感情や思い込みによって自分の行動を変えるのではなく、正しい知識、考察をもって、自分の行動を考えるようにしよう。

 

サッカー部 MUSANISTA #66 『FC MUSASHINOへ』

 

 

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 報道などで知っていると思いますが、令和2年度北関東全国高等学校総合体育大会、通称インターハイが史上初めての中止となりました。日本全国の運動部に所属する多くの高校3年生にとっては、高校部活動生活の集大成あるいは小さな頃からずーっと続けてきた競技人生の最終ステージだった人も少なくないはずです。その機会が、このような形で失われるということの大きさは私にも計り知れないものがあります。

 私たちFC MUSASHINOにとっては、昨年大会の2回戦敗退の雪辱を晴らし、県大会出場を目指す大きな目標のひとつでした。特に1回戦での大宮高校との試合は、記憶に残る勝利をおさめた試合でしたが、選手個々には悔しい思いをした者やまだ試合に出られるレベルではなかった者もいたり。今年は、そうしたそれぞれの思いも存分にぶつけた試合を行うはずでした。

 私から君たちに今伝えておきたいことは、3つあります。

      1つ、『ここまでの努力は意味がなかった(無駄だった)ということはない』

      1つ、『サッカーができる、大会が行われることに日々感謝の気持ちを忘れてはいけない』

      1つ、『君たちには、まだチャンスが残されている』

 当たり前ですが、君たちの時間も私たちの時間もインターハイで終わるわけではないのです。ひとつの大きな機会を失ってしまったことは非常に残念でしかありませんが、長い人生の中ではただ1つの点にしかすぎないのです。これまで当たり前のように過ごしてきた日常が、決して当たり前ではない状況になって初めて気付くものがあったはずです。それは、私たちも同じです。君たちがいてこそのサッカー部なのです。インターハイの中止が決まり、代替の大きな大会を改めて実施する予定には今のところないそうです。多くの高校3年生競技者は夏の全国が『最後の大会』です。全国大会に出場できなかった多くの3年生にとっては、各地区予選が『最後の大会』です。その地区予選すらも中止となった今、日本全国の運動部に所属する高校3年生は…ただただ呆然としているのかもしれません。でも、君たちにはまだ”チャンス”が残されています。高校サッカーには、冬の全国大会「選手権」が残されています。8月末から選手権予選が行われます。開始が延期されているU18リーグも12月まで残されています。

 

 今後の詳しいことについてはまだ何も分かっていません。5月半ばにU18リーグも含めて今後の予定について連絡があるそうです。U18リーグはいつ開幕できるのか、選手権予選は予定通り開催できるのか、夏の合宿はどうなるのか、私たちさえも先が読めないことばかりです。それでも私は、今日も走ります。

 

 サッカーができるのなら、そのためになんだってする

元日本代表 三浦知良選手 より

サッカー部 MUSANISTA #65 『トレーニングについて』

 

 

 

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<Jリーガーが4週間以上練習を制限すると…専門家が指摘する”頭”と”身体”の衰え>

本文中の「Jリーグ」を「部活」に置き換えて読む

 新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言を受け、Jリーグではチームでの練習が1ヶ月以上もできないクラブも出てきた。トレーニングが制限される中、選手の肉体にはどんな影響があるのか、その解決方法とは。NSCAジャパンの大西史晃氏(38)に聞いた。

 大西氏によると、トレーニング習慣を止めることを『ディトレーニング(Detraining)』と言い、「人間の身体は負荷に適応する形で変化します。トレーニングによって掛かっていた負荷が大きく低下している期間が4週間を超えると、筋量自体が低下する可能性が出てきます」と指摘する。

 練習が中断されている選手たちは現在、個々でクラブから指導されるメニューなどに沿ってコンディションの維持を図っている。とは言え、普段行っているような強度での練習は難しい。大西氏は最も懸念される点を『スピード持久力でしょうか。この能力の低下によって、高速度のスプリント(20m以上のダッシュ)を何度も繰り返すといったことができなくなり、サッカー選手のパフォーマンスに重要な影響を与えます』と挙げた。

 その低下を少しでも食い止めるためには、『HIIT(High Intensity Interval Training)』と呼ばれる高強度のトレーニングが有効とされる。例えば、最大心拍数(220ー年齢)に近い強度でのスプリントを4分間×5セット以上行うことの有効性が報告されており、個々の状況に合わせ「定期的に強い刺激を与えること」がポイントになるという。ただし、サッカーに必要な筋の能力はキックやジャンプといった動作ごとに多岐にわたるため、走るだけではカバーしきれない。「普段トレーニングで行っていた、サッカーに特異的な動作の組み合わせと、それを繰り返していた部分が、どうしても不足します。プレーのイメージに対しても身体を動かすという能力はもちろん、イメージそのものの精度が低下する可能性など、身体のブランクだけではなく、頭のブランクとも言える現象が現われるかもしれません」。試合の局面をイメージしたフットワークやジャンプのトレーニングとともに、HIITを取り入れていくことが現実的な方法論になりそうだ。

 Jリーグ再開に向けて、コンディションの低下を抑えるには、選手の工夫と高い意識が重要になる。

 

報知新聞 4月23日 記事 より

【参考web】 https://hb-web.jp/beauty/p10952/

  私も先々週から毎日少しでも走ることを取り組み始めました。「意味があるかないかは、やってみて後になって確かめればいい」そう信じて、人通りが多くない時間帯を選んで走っています。ちなみに私のメニューはHIITではありませんが参考までに。

【学校から上江橋を渡って古谷上交差点を折返して往復】38分前後のペース

サッカー部 MUSANISTA #64 『Stay Home Weeks』

 

 

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 本日は、ステイホーム週間に突入したので自宅で観る映画の紹介第2弾です。今回は、『フォレスト・ガンプ 一期一会』です。

 

 知能指数は人より劣るものの、”俊足”と”誠実さ”は人一倍のフォレスト・ガンプが周囲の人々の協力を受けて数々の成功を収めていく”うすのろフォレスト”の半生をアメリカ合衆国の1950~80年代の歴史を交えながら描いた一作。タイトルの「フォレスト・ガンプ」は主人公の名前。「フォレスト」はネイサン・ベッドフォード・フォレスト(実在)からつけられたもの。「ガンプ(gump)」はアラバマ州の方言で「うすのろ」「間抜け」「愚か者」を意味する言葉。

 私が印象に残っている場面のひとつは、物語の終盤までを支えるバス停のシーンです。フォレストの思い出話をバスを待つ人が代わる代わる聞いてくれます。その中で、最後に話を聞いてくれていたおばあさんからフォレストの目的地は、バスに乗車せずとも行けるということを思わず知ります。フォレストの生き方(人生)は、まさにタイトルにもある通りの『一期一会』だと感じた場面です。この場面だけではありませんが、作中にはフォレストの人生を変えるような出会いや言葉がいくつも出てきます。

 映画の中には様々なセリフが出てきます。個人的に印象に残っている言葉を載せておきますのでどの場面で使われているのか、よければ探してみてください。

 最後になりますが、この映画で主役を演じたトム・ハンクス氏は、3月はじめに撮影のためオーストラリア滞在中に新型コロナウイルスに感染し入院、その後無事3月末に退院したという報道がありました。数日前には、同じくコロナウイルスに感染して周りの人から嫌がらせを受けたというオーストラリアの少年との優しさが溢れるやり取りも注目を浴びました。その彼が米国コメディー番組で話していた言葉です。

 『まだしばらくは困難な状況が続くだろうけど、一致団結すれば必ずや乗り切れる。医療従事者やファースト・レスポンダーをはじめ、この国を守るために日々闘っているすべての人たちに、心から感謝します。みんな、とにかく無事でいて。お互いを思いやり、助け合いながら、この困難を乗り越えましょう』

 公 開:1994年

 監 督:ロバート・ゼメキス

 出 演:トム・ハンクス、ロビン・ライト、ゲイリー・シニーズ、サリー・フィールド、

 上映時間:2時間22分

 

 

 生まれた時も、初めてのクリスマスも、初めてのピクニックも覚えていないのに、世界中で一番美しい声を聞いた時の事はよく覚えている

 『じゃあ、もう知らない人じゃないね

 死は生の一部

 『靴を見れば、その人について分かる』『ママは言ってた、奇跡は毎日起きる

 『バカをする者がバカなんだ

 『俺を見ろ!どう生きればいい!

 『走って!(走れ!)フォレスト

 『必要以上のお金は、意味のない無駄なお金

 『自分の運命は自分で決めるの。神様からの贈り物を生かして

 『過去を捨てて前へ進みなさい。走ったのは、そのためだ

 『運命があるのか ただ風に乗って彷徨っているのか。おそらくどちらもだろう。両方が同時に起こっている

 『人生は、チョコレートの箱。食べるまで中身は分からない

 

 

サッカー部 MUSANISTA #63 『中止になった修了式から1ヶ月』

 

 

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<日本なら打ち勝てる>

 日本に滞在しており、緊急事態宣言のもとで生活している。現在指揮を執っているラグビー・イングランド代表の関係者とはテレビ会議システムZoomなどで連絡を取り合う日々だ。

 すべての人にとって大事なのは、一人一人が「良い市民」でいるということ。他人と一定の距離を保つ「ソーシャルディスタンス」(社会的距離)を取り、ルールにのっとり、不要不急の外出はせずに家族の面倒を見る。それは一般の市民に限らず、スポーツ選手なども同じだ。

 私は、日本の人々の規律正しい特性をよく知っている我慢強く耐えれば、我々は新型コロナウイルスの苦難に必ず勝つはずだ。厳しい時期だが、終息後に必ずまたチャンスは来る。テレワークなどもそうだが、ビジネスの手法などは変わるかもしれない。新技術でコミュニケーションを取り、強い絆、関係性を構築するようになるだろう。

 政治家のリーダーシップのスタイルを見ていると、米国のニューヨーク州知事と東京都知事には強い印象を受ける。今回のことで社会が得る教訓は、より良い医療制度や、健康への研究と発展に惜しみなく投資する政府が必要ということだ。未来の社会が、健康で安全であるために。

 

毎日新聞 4月23日 エディージョーンズ氏 より

[エディージョーンズ]

オーストラリア出身、60歳。2015年ラグビーW杯では日本代表監督として3勝。昨年W杯で優勝した南アフリカ代表にラストワンプレーで逆転し歴史的大勝利を収める。昨年のW杯日本大会では、イングランド代表監督として準優勝に導く。母は米国出身の日系2世、妻も日本人で日本とは縁が深い。 

 

<コロナウイルスの恐ろしさ>

 だから絶対かからないようにするしかないんです。

 うつさないようにするしかないんです。コロナ、怖いんです。

 そのためには、どうか家にいれる人はいましょう。お出かけは、自粛しましょう。

 自分のためにも医療従事者の方々をこれ以上苦しめないためにも。

 

Twitter 4月22日 大和田美帆氏 より

 

 岡江久美子が4月23日5時20分に新型コロナウイルスによる肺炎の為、永眠いたしました事をご報告いたします。今はただ残念で信じがたく、悔しくて悔しくて他は何も考えられない状態です。

・・・

 皆様、コロナウイルスは大変恐ろしいです。どうかくれぐれもお気をつけください。

 

朝日新聞 4月23日 大和田獏氏 コメント より

 

バンクシーの壁画もマスクを着けました。

サッカー部 MUSANISTA #62 『私、接触しないので』

 

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 <緊急事態宣言下の外出 他者への配慮欠かせない>

 新型コロナウイルスの感染拡大を受けた緊急事態宣言から2週間が過ぎた。人と人との接触を社会全体で8割減らせていない状況では、感染者の減少は難しい。

 専門家会議は、引き続き人々が行動を見直すことを求めた

 感染リスクが指摘された繁華街では、ある程度の効果が見られる。さらに対策が必要なのは、自粛要請の対象から外れ、にぎわっている場所だ。

 スーパーやホームセンター、地元の商店街では混雑するところも多い。食品や日用品の買い出しは必要だが、店内や道が混みあうと感染リスクが増す。工夫する努力を続けたい。

 東京都は一度に入店する人数を制限などを検討している。家族に外で待っていてもらったり、すいている時間帯を選んだりするなど、消費者として協力が可能だ。レジに並ぶ時に距離を空ければ、互いに安心できる。

 買い物が集中して商品が一時的に品薄になることがある。苛立ちを感じるかもしれないが、店側の努力にも限界があることを理解したい。

 公園は親子連れや子ども同士の姿が目立つ。学校休校や保育所の休園で、ストレス解消に外遊びは大切だ。だが、遊具は接触感染の可能性がある。使った場合は手洗いが欠かせない。親同士で会話する場合は、互いに手の届かない距離を保つように配慮したい

 健康維持のために公園でジョギングする人も多い。息が上がると、飛沫が飛びやすくなる。人の後ろを走らずに左右にずれたり、マスクを着けて苦しくないペースで走ったりすることが勧められている。

 観光スポットへの訪問客が減らないことを懸念している自治体もある。自家用車での日帰りでも、今は行楽を控えたい。

 厚生労働省によると、新型コロナウイルスの感染が確認された人のうち、症状のない人が1割程度いる。自覚のないまま、外出で他の人を感染させてしまう可能性は誰にでもある。その意識をもって、リスクを減らす行動を心掛けたい。それが、大切な人の命を守ることにつながる。

 

毎日新聞 4月23日 コラム より

 

 

<人との接触を8割減らす「10のポイント」専門家会議が提示>

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため政府が「緊急事態宣言」を出してから2週間超が経った22日、政府の専門家会議が開かれた。その後の記者会見で、副座長の尾身茂氏は「現在までのデータを見ると、目標である8割の接触の削減が達成できているとは言えない状況」と主張した。

 尾身氏が挙げた10のポイントは以下の通り。尾身氏は、「こちらが今日皆さんに一番お伝えしたい人との接触を8割減らす10のポイント。是非こういうことを毎日工夫してもらえれば」と述べた。

 

 10のポイントについて、会見では「公園は屋外だから密閉ではないと思っている人が少なくないのでは?」という質問が出た。

 これには北海道大の西浦博教授が返答し、「3つ密と、そのうちの1つが欠けた場合、2つが欠けた場合の考え方だが、1つの密が欠けてもリスクがゼロになる訳ではない。リスクに濃淡、グラデーションがあると思って欲しい。3つが重なるところが最もリスクが高くて。1つなくなると少しずつ下がっていく」と語った。

 また、「屋外で1人で散歩するのは近くに人が居なければ問題ない。しかし、公園内の人口密度があまりに高くて、公園でたくさんの接触が起きてしまう。具体的には、2メートル以内にたくさんの方が集まって長い時間を共に過ごしてしまうと、本末転倒の話になってしまう。人口密度が高くて接触してしまう場を避けてもらいたい」とも述べた。

 

Yahoo!JAPAN 4月22日 THE PAGE より

サッカー部 MUSANISTA #61 『宣言発令から2週間』

 

 

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 政府が新型コロナウイルス特措法に基づく緊急事態宣言を7都道府県に発令してから21日で2週間となった。16日には対象地域が全都道府県に広がったが、都市部の平日の人出は通常時の4~7割にとどまり、感染拡大の傾向が続く。5月6日までを期間とする宣言について、専門家や政府関係者は「解除は困難」とし、延長は避けられないとの見通しを示す。

 政府専門家会議のメンバーで日本感染症学会の舘田一博理事長は、取材に対し「個人的な意見だが、5月6日の宣言解除はかなり厳しい。オーバーシュート(爆発的感染急増)に向かう状況ではないが、感染源とのリンクが追えない患者がいろいろな所で出ており、感染の蔓延期と言える」と話す。

 国際医療福祉大の高橋和郎教授(臨床検査医学)も「中途半端に外出を控えた状況で、あと2週間で解除するのは無理。解除されても、他国のように段階的な活動再開にすべきだ」との見方を示す。

 菅義偉官房長官は、21日の記者会見で「宣言を終えるためには、接触削減を何としても実現しなければならない」と強調。政府関係者は「全部の都道府県で解除はできないだろう」と、少なくとも一部地域の延長は避けられないとの考えを示した。政府は、22日にも専門家会議を開き、さらなる取り組みの強化などを検討する。

 

東京新聞 4月22日 記事 より

 

<テレワーク実施は97.8% 経団連調査>

 経団連は、新型コロナウイルス感染拡大防止策として取り組みが進むテレワーク・在宅勤務の実態調査をまとめた。テレワーク・在宅勤務を実施している会社企業は97.8%と、ほとんどで取り組みが始まっている状況だ。

 今回の調査は今月14~17日に全会員企業1470社を対象に実施。前回行った2月28~3月4日の調査では、実施・実施予定企業が68.6%だったことから、新型コロナの感染拡大と政府の緊急事態宣言発令を受け、大幅に実施企業が増えたことを示している。

 その一方、今回調査でテレワークや在宅勤務者数の割合については、金融、電力、生活必需サービスなどの事業を除いたベースで、8割以上とした回答は36.1%、7割以上8割未満が16.3%で、両方を合わせても52.4%という状況だった。

 政府は人と人との接触を「最低7割、極力8割」減らす目標を掲げているが、経団連の会員企業のほとんどである大企業でも、その水準を達成するのは難しいことが浮き彫りになった。

 

産經新聞 4月22日 記事 より

 

<「7割休業」に批判の声>

 新型コロナウイルスの感染拡大で影響を受けた中小企業に対し、埼玉県は最大30万円を支給すると発表した支援金を巡り、飲食店主らが不満を募らせている。支給対象を緊急事態宣言の期間中(4月8日~5月6日)に7割以上休業した場合としたが、発表の翌日から休業しても7割を満たせないためだ。「後出しじゃんけんだ」と批判の声が上がっている。

 埼玉高速鉄道の川口元郷駅近くにある「キッチン66」。昼間に訪れると、普段は地域住民や高齢者で賑わう店内が、がらんとしていた。オーナーの人見貞道さん(63)は「この状態が続けば店はどうなるのか」と不安をこぼす。コロナ禍で売り上げは3月が前年の半分、4月は25%に急減。家賃や光熱費など合わせて約12万円の固定費が毎月かかり「1000円でも2000円でも売り上げたい」と店を開いてきた。

 県の休業補償に注目してきたが、「7割以上」の条件に落胆した。対象期間の計29日間のうち最低21日間の休業が必要だが、大野元裕知事の発表は17日夜。翌日から休んでも19日間にしかならない。今から休業しても支援金は受け取れないため、店は開け続けるつもりだ。

 別の飲食店の外国人オーナーは、隣の店長に支援金の条件を教えてもらい、慌てて店を閉めた。「文字を読まないやつは知らないという態度はどうかと思う」。洋食店経営者は(38)は、店内飲食は控え、持ち帰りだけにしている。「これも営業日数に含まれるのか」といぶかった。

 県によると19日までの2日間で約700件の問い合わせがあり、「休業期間が7割に満たない」といった声が多数寄せられた。大野元裕知事は20日、「休業の日数は柔軟に考えたい」と述べた。

 

東京新聞 4月21日 地方版 より

 

サッカー部 MUSANISTA #60 『人は自分が信じたいものしか信じない』

 この言葉は、元は、古代ローマの政治家・軍人・文筆家であったカエサルの名言『人は喜んで自己の望むものを信じるものだ』から来ているらしい。2016年、アメリカ大統領選中には大量のデマ情報が飛び回った。多くの人がこのデマ情報を安易に信じたことを説明する言葉として使われるようになった。
 さて、ここまで広がってしまった新型コロナウイルス感染症の拡大。感染症の拡大は止まるところを知らず、東京でのPCR検査陽性者は連日100人を超えている。テレビや新聞、ネットニュースでは、日々信じられないニュースが数多く飛び込んでくる。例えば、新型コロナウイルスが日本で流行り出した1月末や2月頃には、「新型コロナウイルスは4月末には収束するだろう」と予想する人がいたり、今では「終息には早くとも1年はかかるだろう」と主張する人が出てきている。国の機関である国立感染症研究所も、本日、濃厚接触の定義を見直し公表している。濃厚接触者の対象者は「発症日以降に接触した人」から「発症の2日前から接触した人」に変更されたそうだ。
 まだまだ分からないことが多い、新型コロナウイルス感染症。特に、SNSの中には何の根拠もないものがあふれていたり、政治家の中にも突拍子もない裏付けのない発言をする人もいる。テレビや新聞、ネットニュースの中においても、相反するような主張がされていたり、中には何の根拠もないものがあったり、根拠となる論文が1本しかないものもあったりする。
 そんな中で、今大切なことは、
① 「外出自粛をしよう」という意思と行動
② 新型コロナウイルスに対する正しい知識を持って対策をすること
 だと考える。その上で、
③ 断じてデマに騙されないこと。デマを自分の手で拡散させないこと。
 も大切であろう。今自粛をすることはもちろんのこと、今後、例えば新型コロナウイルスが収束に向かっていったとしても、デマに流されて油断しないこと。自分の行動が、自分の今後、家族・周囲にいる人の今後、ひいてはコミュニティ全体の今後につながることを考えて行動をしてもらいたい。とにかく、「自分の都合のいいように真実を捻じ曲げて理解・納得しないこと」「自分の都合のいいことにのみ耳を傾けて自分の行動を決めないこと」に注意し、日々心がけるようにしてほしい。自分の頭で考え、自分で行動を一つ一つ決めることは、今回の「新型コロナウイルス感染症」に関することだけでなく、今後生きていく上での大切な指針になってくれると信じている。
 最後に、FIJ(ファクトチェック・イニシアティブ)という面白く、ためになるサイトを発見したので、掲載しておく。各自参考にしてほしい。

【FIJホームページ】 新型コロナウイルスに関連するチェック済み情報まとめ(国内編)

https://fij.info/coronavirus-feature/national

 

サッカー部 MUSANISTA #59 『外出自粛の意義と意味』

 

『夜20時の拍手』にみんなで力を合わせませんか?

~ 新型コロナウイルス感染拡大防止の為に私たちを支えてくれている人たちに感謝と励ましの気持ちを込めて~

 

 <保健所逼迫(ひっぱく) もう限界>

 新型コロナウイルス対応の最前線である保健所の業務が逼迫している。感染者が急増する中で、住民からの電話相談や入院先の調整、自らも感染の恐れがある感染者の搬送など数多くの仕事に追われているためだ。ほとんど休みも取れないままウイルスと闘う職員の疲れはピークに達している

 東京都大田区保健所では他部署からの応援なども含め職員約20人が電話相談や感染者の対応にあたる。残業は毎日深夜まで、休みはほとんどない。帰宅後に「感染者が出た」と連絡があれば、真夜中も病院などに駆けつける。担当者は「このままなら、残業が月80時間の過労死ラインを超える職員が続発する」。

 保健所の新型コロナウイルスへの対応業務は多岐にわたる。殺到する相談業務をこなしながら、検査機関に検体を搬送。陽性が確認されれば、防護服を着て車で感染者を入院先に運び、感染経路などを聞き取る。感染者の増加で調査対象となる濃厚接触者も増える。

【新型コロナウイルスに関する保健所の主な業務】

  • 市民からの電話相談
  • 検体の搬送
  • 感染疑いがある人の経過観察
  • 陽性患者の病院搬送
  • 感染経路の調査
  • 濃厚接触者の調査

4月20日 毎日新聞 記事 より

 

 <自分でロックダウン>

 星野源が歌う通り、よそで新型コロナウイルスをもらわず、人にもうつさぬ最良の方法は「うちにいること」に違いない。これは一見、自明のようでいて、人によって認識にばらつきがある。テレワーク、宅配で在宅厳守の人もいるが「買い物はいいはず」「10人以下の会合なら参加」と油断の向きも少なくない。

 緊急事態宣言発令のさなか、首都圏の感染者は加速度的に増えている。今の緩さが、東京をニューヨークに変えるという予測は現実味を増している。

 米Google社がスマートフォンの位置情報データで分析した職場への移動量調査(3月29日)によれば、年初に比べ、ニューヨーク州46%減少▼、ロンドン大都市圏62%減少▼、パリ地域圏63%減少▼に対し、東京都は27%減少(日本全体は9%減少)だった。

 先週13日、ソフトバンクの子会社アグープが公表した同じ手法の推計によれば、緊急事態宣言後、最初の休日となった11日、12日、東京・新宿駅周辺の人出は2月上旬より8割以上減ったが、平日の8~10日は約6割減少にとどまっている。目を引いたのは、同じ調査に表れた首都近郊・戸越銀座の人出である。緊急事態宣言後6日間の平均が、直前の6日間より5.5%増えた△。

 1月下旬に比べ、先週の新宿、渋谷の人出は8割以上減ったのに、巣鴨の商店街はせいぜい1割減…というNTTドコモの調査もある。つまるところ、都心のオフィス街や盛り場から人が消えた半面、郊外の商店街やスーパー、ホームセンターは混んでいる

 人と人との接触を極力避けるというコロナ対策の基本は顧みられず、「銀座とか渋谷に行かなきゃいいんだろ?」という割り切りに傾いていうように見える。それが、緊急事態宣言後12日目の現実である。

 

 宣言発令後の10日、「スーパーは遊び場、レジャーランドではありません」という全国スーパーマーケット協会のツイッター発信が話題になった。この状況で家族総出の買い物は必要かと消費者に問うた。買いあさりを念頭に置いた東京都知事の「買い物は制限しません」発信が緩みを招いた面もある。3月下旬の話だが、協会が加盟店対象に実施した実態調査の自由回答の中にこういうものがあった。

『納品口でトラックがマスクやティッシュをいつ配送するかをチェックしていて、それっぽい車両を見つけると「すぐ出せ!」と電話してくるお客様がいて嫌になる。小売業で働く者がまだまだ人間扱いされていないと悲しくなる』

 スーパーは忙しい。開店前の行列誘導、商品の品切れに対するクレーム対応、スタッフ不足による業務増大、疲弊。なにより従業員が、不特定多数相手の接客による感染リスクにさらされている。

 

 行動抑制に集中するときだろうが、日本には強制を伴うロックダウン(都市封鎖)のしくみがない。ならば、自ら納得し、自分で自分を封じるしかない。

 

毎日新聞   4月20日 コラム より

サッカー部 MUSANISTA #58 『Stay HomeⅡ』

 今日はひとつの映画を紹介したいと思います。外出自粛要請が出され自宅で「何しようか…」と困っている人がいたら、一度手に取ってみてください。することに困っていない人でも、よければ一度見てみてください。今、私たちが置かれているこの状況がもっと深刻化したらどうなってしまうのか。それは決して空想世界の話ではないことに気が付くはずです。(高校生の君たちには、課題という素晴らしいアイテムがあるから問題ないと思いますが)

 

 紹介するのは、2011年に公開された「コンテイジョン(Contagion」という洋画です。監督は、「オーシャンズ11」を撮ったスティーブン・ソダーバーグ。以下にごくごく簡単な映画の紹介と予告映像を載せておきますので参考にしてみてください。

 

香港でのビジネスを済ませたベスは元恋人に会うためにシカゴに立ち寄る。2日後、ミネアポリス郊外の自宅で彼女は、痙攣を起こして意識を失ってしまう。ベスの夫、ミッチが慌てて病院へ運ぶも、ベスは原因不明で死亡する。ミッチが自宅に戻ると息子のクラークも同じ症状で死んでいる。ミッチは隔離されるが、正体不明の病気に免疫があることが判明し、解放される。自宅では10代の娘ジョリーが待っている・・・。

映画の主役は、『感染』そのもの。感染に振り回されたり、立向かったり、悪用したりする人々を群像劇として描いた作品です。

感染について、丁寧に調査されて作られている本作は、新型コロナウイルスが切実な問題になっている世界の今を映し出している様に見えます。劇中には、今の世界の状況と重なるシーンが次々と出てきます。

映画に登場するウイルスがコロナウイルスと違うところは、潜伏期間が短く、致死率が25~30%と高いところです。

この映画は、もちろん「フィクション」ですが、パンデミック・シュミレーションとしても優れている作品です。

【予告映像】 https://youtu.be/fd8L-LC-QEM

 監 督:スティーブン・ソダーバーグ

 出演者:マット・デイモン/ローレンス・フィッシュバーン/ジュード・ロウ/グウィネス・パルトロウ

     ケイト・ウィンスレット/マリオン・コティーヤル

 上 映:105分

 

 最後に、この映画に出演したケイト・ウィンスレット氏とマット・デイモン氏が現在の新型コロナウイルス感染の拡大をSNSで訴えていました。併せて是非ご覧ください。現在から約10年も前に感染症についての作品を制作した二人の言葉には、妙な説得力を感じるのは気のせいでしょうか。

【新型コロナウイルス感染拡大防止メッセージ】 https://youtu.be/nFyplN-fYEc

 

サッカー部 MUSANISTA #57 『優しいだけでは国民の命は守れない』

 

 サッカー選手の香川真司氏が呼び掛けた。

 「ご存知のようにスペインでは本当にたくさんの人が苦しんでいます。日本もおそらく、これから感染が拡大されていくでしょう。それを止めるのはみなさん次第です。ワクチンもない、止める方法もない、一人一人の行動が、コロナに打ち勝つ唯一の方法です。今は自宅にいて待機することです。」

 

 ”ステイホーム”のハッシュタグでメッセージを発信した香川選手は思慮深く、格好よかった。阪神タイガースの藤浪晋太郎選手も京都産業大学の学生たちも、あんな風に格好よい若者であって欲しい。今は、自分の思い中心でいくより、慎む方がよい。自分の欲望を追求するより他者への思いやりを優先する方が大事だ。その方がすてきで品格もある。

 東京都知事の小池百合子氏が3月30日、「若者は、カラオケ、ライブハウス、中高年はバー、酒場、ナイトクラブなど、接客を伴う店に行くことは当面控えてほしい」と訴えた。彼女は25日の夜、都庁で緊急会見し、不要不急の外出自粛を強く要請した。すると『不要不急とは具体的にどういう場合か』などと疑問視したつまらない新聞もあった。

 具体的に教えてもらわなければそんなことも分からないのか。人の暮らし方、お付き合いの仕方は各人各様だ。普段自由に生きている幾千万の国民、都民に対して、不要不急を具体的に示せとは、これはまた、大人の問いとは思えない。本来、一人一人が自分で考えて判断することだろう。

 そんなところに30日の小池氏のメッセージである。ここまで具体的に語ったのは、若者たちの間でクラスターが発生してしまっているからだろう。京都産業大学の学生たちのイギリス、フランス、スペインなど5か国への卒業旅行、帰国後のゼミやサークルの懇親会やカラオケでの熱唱を知ると、『21歳か22歳の君たち、十分大人でしょ?香川選手に学べ』と再度強調したくなる。

 

【危機感に欠ける】

 ウイルスとの戦いは国民全員の協力なくしては制することができない。若い世代は感染しても症状が軽くて済むと考えているかもしれないが、自らの感染でウイルスを拡散し、周りの人々に感染させ、その人々の命を奪うことにもなる。そのことをどうか大いに自覚して欲しい。

 他方、政府は緊急事態宣言について、「まだその状況にない」として慎重な構えを崩さない。無論事態が緊急事態宣言を必要とするところまで悪化しないのが最善である。しかし、段々分かってきたのはこのウイルスとの戦いは本当に容易ではないということだ。何といっても感染後約1週間から2週間は症状が出ないのである。症状が出た後の体調悪化は、あっという間のことだ。志村けんさんは倦怠感を覚えてから、12日後に亡くなっている。

 症状悪化の速度も凄まじいが、ウイルス拡散の勢いも凄まじい。だが、米欧諸国が悲惨な状況に直面しているのとは対照的に、日本はまだ危機感に欠けるのではないか。緊急事態宣言で国民に自覚を促し、緊張感を持ってもらうことが大事ではないか。日本人は、一旦自覚しさえすればきちんと対処できる人々だ。

 そもそも日本国の建てつけは、国民の「自覚」「徳」「人品卑しからざること」に依拠してようやく成立するものである。日本の憲法も法律も全て性善説で成り立っている。国家や政府が強い力で強制したり罰したりする形はとらず、あくまでも国民の善意、私利よりも他利の思想によって国も社会も運営されていく形である。「緊急事態法」も例外ではない。決して強権発動の法律ではない。だが、性善説に基づいた国の形で、ウイルスに勝てるのか、と今私たちは問わなければならない。3月13日に成立した改正特別措置法の32条第1項に基づいて首相は緊急事態を宣言することができる。その条件は、①新型ウイルスの国内での発生②全国的かつ急速な蔓延、である。経済再生担当相の西村康稔氏は、①の条件は満たされているが、②の「全国的」な蔓延とまでは言えない、と語った(3月29日「日曜報道THE PRIME」)。

 法治国であるからには法の厳格運用は大事である。しかし、ウイルスの全国的蔓延が確認されてからの緊急事態宣言では遅すぎる。にも拘わらず、政府のメンタリティは「権力による強権発動」を退ける優しい日本国なのである。

 

【戦える国】

 そこで改めて、緊急事態を宣言すると実際に何が起きるのか、特措法に沿って検証してみる。首相が宣言すると、知事は、ざっと以下の権限を行使できるようになる。

 ・みだりに外出しないなど、感染防止に必要な協力を「要請」できる。

 ・学校、社会福祉施設、興行場等に対し、使用制限や停止等の措置を「要請」できる。

 ・しかし、応じない時は措置を講ずるよう「指示」できる。

 首相からバトンタッチされた後、知事に出来ることはおよそ「要請」と「指示」が全てで、「命令」はできない。朝日新聞等が度々指摘してきた「私権の制限」の危険性は、特措法の次の部分に限られる。

 ・臨時の医療施設を開設するため土地、家屋、物資を使用する必要のあるときは、「所有者の同意」を得て、土地等を使用できる(49条1項)

 ・同意が得られないときは、同意なしに利用できる(同条2項)

万が一、日本で感染者が急増して、イタリアやスペイン、ニューヨーク州のような医療崩壊の危険性が見えてきたとき、病床を増やし、出来る限りの命を救わなければならない。新たな病院建設のために空いている土地の一時的提供を知事が求めるのはやむを得ないことであり、それに応えるのは国民の義務であろう。しかも、これは本当に緊急事態に対するための措置で、私権制限だといって危険視するのはおかしい。

 

 日本大学名誉教授の百地章氏が指摘した。

 「中国と違って人権を手厚く保障している欧米各国でさえ、国民の外出や移動の禁止、商店の閉鎖などを次々と行っています。フランスでは買い物などを除き全土で国民の外出を禁止しました。米国ではトランプ大統領が国家非常事態を宣言し、カリフォルニア州は実質的な外出禁止命令を出しました。理由なく外出した人に罰金まで科す国もあります」

 

 性善説に基づく、限りなく優しい法的枠組みだけで、ウイルスの猛威から国民の命を守れるのか。

 

週刊新潮 4月9日号 櫻井よしこ より

 

サッカー部 MUSANISTA #56 『Stay Home』

 本日、都内では1日あたりの新型コロナウイルス感染者数が初めて200人を超え、計201人と確認されました。間違えてはならないのは、この人数は昨日今日感染された方々ではないということ。およそ2週間のタイムラグが生じる為、本日の感染確認の方々は4月3日前後の行動が影響をしているということです。私たちの今の行動が2週間後の未来を左右するというのは、そういうことを意味しています。

 さて、明日は「緊急事態宣言」が出されてから2度目の週末です。1度目の週末は、かなりの率で外出者数が減少していたようです。それでも外出自粛の要請は当然ながらまだ解かれていません。むしろ先週よりも対象範囲は拡大されています…。

 そこで今回は、今週自宅の中にずっとこもりっぱなしで沈みがちの気分を軽くしてくれたり、今この瞬間も人の為に活躍され、私たちを支えてくれている方々に力を与えてくれそうな楽曲を紹介したいと思います。全くの個人的な独断と偏見による選曲ですので異議異論等あるかもしれませんが、一切受付致しませんのでご了承ください。

 明日は、歌でも聞きながら1日家の中でのんびり過ごしてみませんか。

 

  <夜8時に拍手を送ろう運動>に乗せて ※記載順は、アーティスト名の五十音順

         Hero/ 安室奈美恵

         にじいろ/ 絢香

         TOMORROW/ 岡本真夜

         キズナ/ ORANGE RANGE

         YELL/ コブクロ

         負けないで/ ZARD

         上を向いて歩こう/ 坂本九

         黄金魂/ 湘南乃風

         三百六十五歩のマーチ/ 水前寺清子

         世界に一つだけの花、Piece of world/ SMAP

         ファイト!!!/ 竹原ピストル

         何度でも/ DREAMS COME TRUE

         ひまわりの約束/ 秦基博

         Jupiter/ 平原綾香

         あとひとつ/ FUNKY MONKEY BABYS

         人にやさしく/ THE BLUE HEARTS

         いつでも微笑みを/ Mr.Children

         fight/ YUI

         栄光の架け橋/ ゆず

         馬と鹿/  米津玄師

         For you/ WANIMA

 

 

サッカー部 MUSANISTA #55 『MUSANISTAの皆さんへ』

 これを更新している最中、ニュース速報で「緊急事態宣言の対象を全都道府県に拡大することが決定」と流れました。安倍首相は会見で、全国で一丸となって取り組んで行くべきだと述べられていました。

 昨日のブログで「医療従事者への感謝」について新聞コラムを載せました。私も同じ考えでしたので君達にも一緒に考えてもらいたいと思いここに書かせてもらいました。

 本日、埼玉県高体連サッカー専門部より君達へのメッセージがありました。以下にその要約を載せます。私は、とても素晴らしい事だと思い、早速本日から実行に移し、息子と一緒にベランダに出ました。皆さんも、どうぞ一緒にやりませんか?ひとり一人の音は小さいかもしれないけど、大勢の人で一緒に行えば大きな力になります。そして、その音は遠く離れていても強く高く響き渡り、必ず多くの医療関係者の方々まで届き、大きな励みになると信じています。

 

 

 今、海外で活躍しているサッカー選手たちが「夜8時の拍手」を広げようとしています。これは、「感染リスクが高い状況にも関わらず、献身的に病院で治療されている医療関係者の方々への感謝と応援の気持ちを拍手で表そう。」という運動です。その運動に、私たちも全国規模で参加してみませんか。医療関係者の方々への感謝の気持ちはもちろんですが、高校サッカー界として、リバプールFCの「You'll never walk alone」から

You'll never walk alone 君は決して一人じゃない

Hold your head up high 顔をしっかり上げて行こう

With hope in your heart 希望を胸に

Walk on walk on 歩き続けよう 歩き続けるんだ

というメッセージを込めて、「夜8時の拍手」を全国の高校サッカー界の指導者、選手、マネージャーで共にしてみませんか。

 毎日夜20時に10秒間、窓の外に向けて一斉に拍手をして、感謝と勇気と励ましの気持ちを各自が表現して、それぞれがその気持ちを感じ取る時間にしてみませんか。今、こんな時だからこそ、「いまできること」から、みんなの力を合わせてウイルス感染に立向かっていきましょう。

 

「You'll never walk alone」の輪を、全国の高校生サッカープレーヤー、マネージャーの皆さんで広げてみませんか。

 

 どんなに困難な状況でも、圧倒的に勝ち目のない勝負でも「戦っているのは自分たちだけじゃない」と分かれば、疲弊したはずの心と体の底から大きな力が湧いてくることをFC MUSASHINOの君達なら、一番よく知っているはずです。あの時あの試合あの瞬間、彼らの声援、視線、言動、助言、存在からどれだけ大きなパワーをもらったか。あの100分間は、まさしく「You'll never walk alone」そのものだったと思います。

 だから今度は、私達が「力になる」番だと思いませんか?

You'll never walk alone ~決してひとりじゃない~ (参考動画)http://youtu.be/lvcPM18tD8s 

サッカー部 MUSANISTA #54 『感染症との戦い 医療従事者に感謝したい』

 

 目の前の患者を助けたい。救いたい。それが医師であり、看護師である。感染症の患者についてもそれは同様で、細心の注意を払いつつ、診察に当たる。

 当然、リスクは高い。医師や看護師ら医療従事者が感染するケースはある。使命感ゆえの不幸である。最前線で事態に対処する保健所の職員や臨床検査技師らも同様の危険と隣り合わせで奮闘している。そうした個々の献身的な努力が日本社会の崩壊をぎりぎり防いでくれていると理解し、最大限の敬意を払うべきである。

 ところが、どうだろう。聞こえてくるのは、医師や看護師に対する誹謗中傷である。患者や医師、看護師らが新型コロナウイルスに感染したことが明らかになった病院が中傷の電話や貼り紙に悩まされている。

 日本看護協会によれば、自身も感染した看護師が心的外傷後ストレス障害を負った事例や、子どもがいじめを受けた事例を挙げて、差別や偏見の是正を訴えている。秋田県では、感染者が受診した医療機関で従事者の子どもが保育園の登園を拒否された報告もあった。

 なんとも寒々しく、悲しい事態ではないか。医療従事者の多くは疲弊している。誹謗や中傷はこれに追い打ちをかける。待っているのは医療崩壊である。欧州や米国、インドでは、医師や看護師の奮闘に対し、市民が一斉に拍手を送るといった運動が起きている。イタリアではオペラの国らしく、医師らをたたえる歌を自宅待機の人々が各戸の窓越しに合唱する光景も見られた。

 もちろん日本でも、医療従事者を支える動きはある。

 感染症指定医療機関の駒込病院は1月からチャーター機やクルーズ船に加え、都内の新型コロナウイルス患者を受け入れてきた。24時間態勢で診療に当たる医療スタッフには疲労が蓄積し、マスクなどの備蓄も先行きが不明だった。

 そこへ3月末以降、都内や他県の5人から手術用マスクやウイルスを通さない目の細かいマスク、使い捨ての防護服などが相次いで郵送されてきた。団体からの寄贈も合わせるとマスクは1000枚近くになった。病院の窮状をニュースで知った人々が送ったものだという。病院側は「小さな奇跡だ」と話している。弁当や軽食の差し入れなどが病院に届く、小さな善意の報告も数多くある。

 安倍晋三首相は緊急事態宣言の発令を明らかにした7日の記者会見の冒頭で、医師らへの謝意を表し、「過酷なウイルスとの戦いにおいて、確かな技術と高い使命感を持った医療従事者の皆さんの存在は、私たち全員を勇気づけてくれるものです」と述べた。その思いを同じくしたい。

 謝意を伝えるのは、何も拍手や寄付ばかりではない。何より大事なのは、彼らの邪魔をしないことである。それが医療崩壊を防ぐことにつながる。医療現場を苦しめている一つにマスクの不足がある。不安にかられた過剰な買い占めがこの事態を招いていると知るべきだ。

 厚生労働省は、スマートフォンなどを使ったオンライン診療について、初診からの適用を今週から始めると明らかにした。高齢者の利用も考慮し、電話での診療も可能としている。院内感染を防ぎ、医療崩壊を防止するためだ。医療現場の負担を軽減するためにも、活用を進めたい。自らの感染リスクを下げることにも寄与する。

 医療現場が崩壊すれば、社会は立ち行かない。国や自治体に十分な施策を求めると同時に、一人一人がどう医師らを支えることができるかを考えなくてはならない。そのための外出自粛である。

産經新聞 4月12日 コラムより

 

サッカー部 MUSANISTA #53 『 自分たちの力をもう少し信じていい 』

 

 クラブハウスが閉鎖され、グラウンドは使えず、利用していたジムも1ヶ月近く休止している。自分で所有している器具で最低限の運動をする日々が続く。

 自分が新型コロナウイルスにかかることも、他へうつすこともあってはならない。プロスポーツ選手は誰でも、そんな大きな責任とプレッシャーと隣り合わせの生活を送っていると思う。クラブに、対戦相手に、試合開催に。自らが及ぼす影響が大きすぎる。

 屋外を走りたくなっても、感染するかもと控えてしまう。ほんの3分ほどでもいったん家の外に出たら、何に触れていなくても手をゴシゴシと洗う癖がついてしまった。うちの息子たちは街で遊びたい年ごろだけど、家族にも同レベルの緊張を強いてもらっている。

 

 「え、行くの?」。ある同僚は奥さんにとがめられつつ練習へ出ていた。4月初旬、1ヶ月先にリーグが再開する予定の一方で、感染への危機感が増していた時期のことだ。一部屋に40人近くが集まるミーティングのさなか、僕も声を上げた。「緊急事態宣言も出そうなときに、こうして集まって、練習していいの?」。選手の大半が同じ思いだったという。自らをリスクにさらしてでも、命や社会機能を守るべく奮闘する方々がいる。休みたくても、休めない人がいる。でも、選手は、そうじゃない。

 いつ電話しても満席だったなじみの繁盛店は、店の維持さえ難しい状況に追い込まれた。我慢は、先が見えてこそ我慢できるもの。娯楽や明るい話題も楽しめず、それどころでない人々がたくさんいる。そんな状況で、僕らが「何か希望を」などとは言えない。

 

 すべての行動が制限されるわけではない緊急事態宣言は「緩い」という声がある。でもそれは、日本人の力を信じているからだと僕は信じたい。きつく強制しなくても、一人ひとりのモラルで動いてくれると信頼されたのだと受け止めたい。

 戦争や災害で苦しいとき、隣の人へ手を差し伸べ助け合ってきた。暴動ではなく協調があった。日本にはそんな例がたくさんある。世界でも有数の生真面目さ、規律の高さ。それをサッカーの代表でも日常のピッチでもみてきた。僕らは自分たちの力をもう少し信じていい。日本人はこういうとき、「やれるんだ」と。

 「都市封鎖をしなくたって、被害を小さく食い止められた。やはり日本人は素晴らしい。」そう記憶されるように。力を発揮するなら今、そうとらえて僕はできることをする。ロックダウンでなく『セルフ・ロックダウン』でいくよ。

 自分たちを信じる。僕たちのモラル、秩序と連帯、日本のアイデンティティーで乗り切ってみせる。そんな見本を示せたらいいね。

日本経済新聞 4月10日 「サッカー人として」 元日本代表 三浦知良 より

 

サッカー部 MUSANISTA #52 『 80%off 』

 4月に入り、年度も「令和2年度」に変わって早10日が過ぎました。8日には入学式も行われ、いよいよ新入生も仲間入りを果たしました。しかしながら、コロナウイルスの感染拡大は収まるところを知らず、7日には7都府県に向けて政府から緊急事態宣言も発出されました。それを受けて埼玉県でも様々な対応がなされているところです。

 こうした状況の中、全国の高校部活動の顧問は工夫を凝らして生徒の体力維持やパフォーマンス低下をなんとか食い止めようとあの手この手を駆使しているようです。私達も何か出来そうなことはないかと色々と考えましたが結論は、サッカー部としてのトレーニングは当面「一切無し」です。少なくとも、私達FC MUSASHINOは9割以上が電車利用者のため、移動時の感染リスクを考えると一堂に会してというのは実施できません。

 私の個人的考えですが、今はもう部活がどうのと言っている様な状況ではなくなったと思っています(3月末の登校日の時とは状況が全く変わりました)。確かにテレビ報道等で、練習時間を短縮させたり、練習内容を変えながら部活動を行っている所もあることは知っています。私達も当初は同じようなことを考えました。たとえ、接触を伴うメニューやゲーム形式のトレーニングが出来なくても、週2日以内で1回約90分程度以内の活動との指示でも、技術やフィジカルに特化したトレーニングならできそうではないかと考えた時もあります。ですが、今はもう、その様な事を言っている場合ではないと、私は思っています。

 

『 最低7割、極力8割削減 』

 

 これは、この感染拡大の勢いを抑え込むために出された国民への新たな指針です。これまでの人の移動や人との接触を最低7割、極力8割削減できれば、2週間後には恐らく感染者のピークアウトを迎えるという事だそうです。

 そこで考えてみました。私達の日常で「本気で人の移動や接触を8割削減するとしたら」どうすればいいのか。

  外出時間(登下校・部活も含めた日常)7時~20時 ⇒ 2時間36分

                            (通学片道1時間を要する人は、1日に家の外で自由に使えるのは

                             36分だけです)

  学校生活(朝SHRから帰SHRまで) 8時40分~15時40分 ⇒ 1時間24分

                                 (学校に来ても授業は2時間も行えません)

  部活時間 16時~19時(準備・片付けも含む) ⇒ 36分

                           (準備・片付け・w-up・c-downだけで終わってしまいそうです)

  週の活動頻度 6日 ⇒ 1.2日(1週間で2日も練習が出来ません)

  練習人数 9人 ⇒ 1.8人(2人以上での練習は出来ません。マネージャーは誰も来られません)

  サッカーの試合 90分(40分ハーフでハーフタイム含む) ⇒ 18分(10分ハーフの試合もできません)

  人との接触(すれ違う/接客するレベルも含む)100人 ⇒ 20人

                             (公共交通機関を利用したり、コンビニへ買い物に行ったりして

                              も1日に接触できるのは20人までです)

  人との接触(1クラス34人として) 34人 ⇒ 6.8人(各クラス6人以内での授業となります)

  学校の教員 約50人 ⇒ 約10人(授業も満足に行えません)

 

  本気で「8割削減」を達成しようとするなら、ここまでしないと無理でしょう。でも、これらをすべて実行に移すならば、それこそ部活は?なんて言っている様な状況ではないことは一目瞭然です。日本では、緊急事態宣言が出されても欧州の国々とは違い、外出禁止(ロックダウン)はされていません。それは、私達国民の自主性を重んじているからだと思います。そこまで強制しなくとも、日本国民は自らの判断で適切な行動を取ってくれるものだと期待しての事だと思います。ですが、実際はどうでしょうか。ある携帯アプリ会社がGPS機能を使って人の移動を調査した結果では、緊急事態宣言が出された後でも5割程度までしか減っていないそうです。これでは一体、何のために緊急事態宣言を発出したのでしょうか。今この国は、「緊急事態」なのです。そして、私達が暮らす埼玉県はその「ド真ん中」にあるのです。

 話を戻します。今、私達FC MUSASHINOがするべき事は、決してリーグ戦開幕に向けてトレーニングを積んでおくことでも、総体予選に向けて走り込んでおくことでもありません。今の目標は、埼玉県民のひとりとして、1日でも早くこの状況を収めるために、君達の「使命」を果たすことです。「サッカー選手の前にひとりの高校生である」という事です。今、高校生に課せられていることは下記の様な事だろうと思います。それでもやはり、身体を動かしたい人やボールを蹴りたい人、少しでもトレーニングをしておきたいという人が、もしもいたならば、今は『ひとりで』『人に会わない(接触しない)時間帯と場所』を選んでやるべきではないかと私は思います。

 (1) 外出を可能な限り抑制(我慢)する事。それによって、家族以外との接触を最大限減らす事。

 (2) マスク必着(うつさない/うつらない)、手洗い励行、毎朝の体温計測(体調変化を早急にキャッチ)。

 (3) 「屋外がダメなら友人宅で遊ぶ」という発想も駄目(移動を要する/人との接触/密閉密集密接)。

 (4) 専門家の声に耳を傾けて意識を変える事(この位なら大丈夫/自分は大丈夫/別に問題ない等)、行動変容に繋げる。

 (5) 学校から与えられた課題を黙々と何十回でも繰り返しやる事(FC MUSASHINOの最難関使命)。

 街中を見ると、色んなところで「8割削減」の努力を目にします。販売店では、列に並ぶ人の間隔を社会的間隔(2m)に近づけるために目印が付けられました。レジの前には、透明なカバーが設置され飛沫感染を防ぐ対策がなされました。店舗によっては、入場制限を敷いて店内の人数を制限する対策を取っている所も出始めました。学校から帰宅する時には、暗い中をジョギングする人たちをよく見かけるようになりました。私達は、それぞれが”本気で”感染拡大予防対策に講じなければ、5月の連休明けから学校再開というのは、正直とても厳しいのではないかと感じ始めています。

 専門家のある人は、「今はまだオーバーシュート(爆発的な感染拡大)には至っていない。でも、このまま行けばそれは間違いなく免れない。」と話しています。そんな事になれば、現在でも大変な医療現場は益々切迫した状況になるでしょう。そうなれば、コロナウイルス以外で医療を必要としている人達さえも十分な医療を受けられず、苦しみ困る人が増えるでしょう。医療に携わる人達は今、自分や家族を顧みることなく私達の安心安全を保障してくれています。そうした人達を守るためにも、私達は行動を慎むべきだと思います。

 現在の行動結果が出てくるのには、約2週間程度要するそうです。私達の、君達の行動がこのまま変わらなければ、部活動だけでなく学校生活も2週間後、さらに2週間後とどんどん先送りになります。4月25日前後にコロナウイルス感染者数のグラフが大幅に右下がりになるように「移動と接触の8割削減」を目指して、この状況を乗り越えよう。私達は、今こそ昨年、日本国内だけでなく世界各国からも讃えられたラグビー日本代表のチームスローガンにあった『ONE TEAM』になる時ではないでしょうか。

 

サッカー部 MUSANISTA #51 『Do what you can in a given situation』

 本日は、今年度最後の休日でした。3年生は先日、卒業式を終えて、4月からはそれぞれの道へと歩んでいきます。1・2年生は進級し、2・3年生になり、4月からまた新たな目標に向かって歩み出す時期となりました。
 海外では新型コロナウイルスが流行り、その猛威は収束する様子がありません。また、日本でも東京オリンピックは延期が発表され、東京や埼玉、神奈川では自粛要請がさらに強くなりました。そんな中、学校では部活ができなく、またいつ再開できるのか分からない状態が続いています。政府からは、「新学期が4月8日から始められる場合、対策をした上で4月6日から部活ができる」という発表がありましたが、この数日で新型コロナウイルスの蔓延は進み、学校としても対応を検討し続けている日々です。金曜日の段階では、学校の顧問間で、「4月6日から部活動ができる!」と喜び、早速対応を考え始めていたところではありましたが、またこの数日で状況が変わってきました。まさに今、学校現場では、次々と変わる状況に臨機応変に対応することが求められているところです。

 さて、在校生の皆さん、新入生の皆さんは何をしてお過ごしでしょうか。本来、春休みには部活をやり、新学期を迎える予定でした。サッカー部では、新入生にも部活に参加してもらい、4月からの試合に備える予定でした。しかし今、このような状況の中で、その望みはかないません。皆さんは臨機応変に今の状況に対応できているでしょうか。今できることは、顧問の阿部も皆さんに伝えているように、「4月からいろんなものが始まった時に良いスタートが切れるように出来得る準備をしっかりしておくこと」だと思います。今は、「いつ学校が始まってもいいように、万全の準備をすること」これにつきると思います。臨時休業の延長、延長が続く中で現状に麻痺することなく、まずは今発表されている「4月6日」から部活が再開できるよう、スタッフ一同準備をしてまいります。サッカー部の在校生のみんな、新入部員の皆さんも「その時」を心待ちにしながら、今するべきこと、今できることを考え、万全の準備をしてください。

 新型コロナウイルスの猛威はとどまる様子はありませんが、政府は学校再開に前向きで、部活の再開もあと少しでできそうな状況を、個人的にはとても嬉しく思っています。4月初めの大事な時期からこんな状況ではありますが、部活が始まったその日から、「 よーい、ドン!」で全力で活動ができるよう、4月1日からはまた新たな気持ちで心を入れ替え、準備をしましょう。THINK, and DO what you can in a given situation!

サッカー部 MUSANISTA #50 『tommorow never knows』

 昨日は、今年度最後の登校日でした。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、生徒は時差登校で午前中に1年生、午後から2年生という形を取り、通知表をはじめ学年末考査の返却や配布物、次年度の教科書販売、個人写真撮影、大掃除、そして各担任から最後のHRという流れでした。登校する生徒たちは一様に明るく、久々の学校に心が弾んでいるように私には感じられました。ふと、グラウンドに目をやるとサッカーボールを蹴っている生徒がひとりいました。2年生のキャプテンでした。学年末考査前から暫く部活が出来ていませんので、うずうずしていたのでしょう。また、例年では4月の第1週からU18リーグが始まっていますで、その焦りや不安も多少あったかもしれません。話をしてみると、この臨時休校の間は他校のサッカー仲間と一緒に近くの公園などでサッカーをしていたそうです。本校のみではなくどこも同じ状況なのだということ、どの高校生も早くサッカーをやりたいんだなということを改めて感じました。お昼が近くなると、1年生もグラウンドに姿を見せ始めました。見渡してみれば、ほぼ全員がグラウンドでサッカーボールをとても楽しそうに蹴っていました。部活動は3月31日まで禁止の中、彼らは自主的にグラウンドに足を運び、久々に顔を合わせ、この1カ月間の鬱々としたものを発散させていたのでしょう。顧問として、非常に良い光景だなと話をしていました。また教員として、彼ら(他の多くの生徒も)になんとかして活動の機会を与えてあげられないものかとも思いました。4月にリーグ戦があるとかないとか、一部の高校では既に部活を始めていて差がつくとかつかないとか、そんな事ではありません。ただ単純に身体を動かして汗をかくことや筋肉、心肺機能を働かせて脳へ刺激を与えること、それに伴う精神的解放感、仲間と一緒に一生懸命に目標に向かうことの素晴らしさ、つらいことや苦しいことを乗り越えていく中で学ぶもの偉大さ、うまくいかない中でも諦めないことの大切さ、何よりも、自分が好きなことに好きなだけ打ち込めることの輝かしさ。高校生の間にできる心と身体の健全な育成、部活動をすることの意義、生徒にとって私にとっても、今回の件で改めて強く感じさせられました。

 サッカー部への入部を考えている新入生も同様だと思います。春休みになったら1回くらい部活に参加してみようとか、早く試合で活躍できるように毎日でも参加しようとか、中には在校生の先輩から声を掛けられている人もいたかもしれません。私も残念ですが、今はまだ部活が出来ません。4月からもどうなるか分かっていません。ですが、君らの先輩たちは「そういう」先輩たちばかりです。1日も早く君たちとも会える日を楽しみにしています。

 この状況がいつまで続くかは分かりません。世の中は今、混乱の中にあります。東京オリンピック・パラリンピックも1年延期、4月3日を考えていたJリーグの再開も5月へ再延期、ラグビートップリーグでは今シーズンの残り試合を全て中止、いち競技者で似たような道を歩んできた者として、彼らアスリートたちの悔しさや難しさを考えたら…今の私たちの置かれている状況は屁でもないことなのかもしれません。都内では、今週に入り1日の感染者が再び増加し始めました。今は、これ以上世の中が混乱しないように各自が出来る努力と、4月からいろんなものが始まった時に良いスタートが切れるように出来得る準備をしっかりしておくことだと思います。ですから、もう暫くは、部活は我慢して、それぞれが出来ることをやってください。冷たい言い方ですが、今はそれしか言ってあげられません。

 

がんばれ!コロナファイターズ!